総理会見を受けて…今こそ考えたい 求められた責任と義務にどう向き合うか
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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安倍晋三首相は2月29日の新型コロナウイルスに関する問題の記者会見で、国民に協力を呼びかけた。異例とも言える表現で、国民に協力を求めたのである。このことは、国家と国民のあり方を考えるという点で、画期的なものであると思う。
■安倍首相「政府の力だけでは勝てない」
安倍首相が国民に協力を呼びかけたのは、終盤の部分。「最終的な収束に向けては医療機関、ご家庭、企業、自治体をはじめ一人一人の国民の皆さんのご理解とご協力が欠かせません。…改めてお一人お一人のご協力を深く、深く、お願いする次第であります。」と話した。
この前の部分では、さらにこう言っている。「率直に申し上げて政府の力だけで、この戦いに勝利を収めることはできません。」
このような感染症を防ぐには政府が笛を吹いても、国民の広範な協力が得られなければ克服できないのは自明であるとはいえ、政府の力の限界を首相自らが口にするのは異例であろう。それだけ安倍首相が新型コロナウイルスの脅威を深刻に捉えていることの証左でもある。
■2009年民主党の甘い公約 財源は”埋蔵金”
通常、政府は国民に対して「甘い囁き」をする。選挙の前に増税を訴える政治家がほとんどいないのと同じ理屈である。
民主党の場合、2009年の総選挙で勝って政権を担当したが、その際の公約は、高速道路を原則無料化すること、公立高校の実質無償化、中学卒業まで「子ども手当」を支給すること、ガソリン税に上乗せされる暫定税率の廃止などであった。
その財源は”埋蔵金”(特別会計の剰余金・積立金を指していたようである)という、冗談のようなマニフェストを掲げ圧勝し、政権の座に就いた。その結果はご存知の通りである。
■「お国のために」の記憶が生々しかった昭和
日本では国民が国家のために尽くすということにアレルギーのような反応を示す層が存在する。戦後、特に顕著であったが、それは「お国の為に」戦地に赴いた人々の記憶が生々しかったことも影響していたように思う。その流れは今も一部の政治勢力に引き継がれている。
日本が戦争の記憶が生々しかった1961年(昭和36)、第35代の米国大統領ジョン・F・ケネディが就任演説でこう語った。
国が何をしてくれるかを問うな、国に何ができるかを問え。
(Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.)
この文章は前後の文脈を考えた時に、言葉通りに受け取るべきではないという主張もあるようだが、国と国民のあり方について考えさせられる部分は少なくない。特に、自由や権利には責任や義務が伴うという点である。
■首相の呼びかけに対し国民の判断が問われる時
安倍首相は「今回のウイルスについては、未だ未知の部分がたくさんあります。よく見えない、よく分からない敵との戦いは容易なものではありません。」としつつ、できることは全力ですることを約束した。同時に、見えない敵との戦いに国民の力を求めたのである。国民に自由を享受し、権利を行使するだけでなく、責任と義務を果たすことを求めたと言っていい。
政府の力の限界を示す異例の呼びかけは、首相自らがその政治生命を賭けたものであることは容易に想像がつく。
過去にない脅威に直面している状況下、協力を求める政府に国民がどう向き合うかが今、問われている。記者会見の質問を打ち切った、プロンプターを見て話したなど、細かい手続き論は脅威に打ち勝ってからしても遅くない。
天から何か降ってくるのを待つだけの国民でいるかどうかが問われていることを、意識すべきと考える。