「死刑はんこ」メディアと野党の言葉狩り
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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葉梨康弘法相の「死刑執行のはんこ」発言にメディアも野党も大騒ぎをしている。報じられている部分だけを見ると、法相の職を軽んじているように聞こえるが、話の全体を聞けばごく当たり前のことを言っているに過ぎない。こうした言葉狩りのような真似で大臣のクビをとろうという試みはやめたらどうかと思う。
■立憲民主党、共産党が批判
葉梨法相は9日、武井俊輔副外相のパーティーに参加し、「法相というのは、朝、死刑のはんこを押しまして、それで昼のニュースのトップになるというのはそういう時だけ、という地味な役職」「外務省と法務省、票とお金に縁がない」などと発言。
これが10日、メディアによって批判的に報じられ、野党も批判を始めた。立憲民主党の泉健太代表は「あのような法相のもとで死刑の判断を今後していくのか。それはできるのか。許されることなのか。…法務行政を執行できないような発言をしてしまったことからすれば、この任にとどまることはふさわしくないと明確にお伝えをしていきたい。」と辞任を要求(朝日新聞DIGITAL・立憲・泉健太代表「葉梨法相は任にふさわしくない」)。
共産党の小池晃書記局長はTwitterで「言語道断の大暴言。死刑執行命令という法相の職務を軽んじるような人物に法務行政の責任者の資格はない。岸田首相は即座に更迭すべき。」(11月9日午後11時14分投稿)とつぶやいた。
こうした動きの中、葉梨法相は10日の参議院法務委員会で「職務を軽んじているような印象を与える発言についておわび申し上げる」と謝罪し、撤回した。
■発言の全体をとらえてみると…
葉梨法相は発言の全体を聞いてほしいとして、10日に首相官邸で実際の発言をテープ起こししたとする文章を読み上げた。
それによると、確かに「法相というのは、朝、死刑のはんこを押しまして、それで昼のニュースのトップになるというのはそういう時だけ、という地味な役職」と話している。しかし、それは話の導入部分であり、「ウクライナの難民を受け入れているのが法務省。ロシアの戦争犯罪について国際的な連携を図るのも法務省です。…法務省は憲法を具現化する、理念を具現化する、そういう行政です。」とその職責の重さを語っている。
つまり、地味な役職というのは、その後ろの「国の屋台骨を支える」という部分との対比のために持ち出したもので、法相の問題とされる発言は「地味な仕事だが、国の屋台骨を支えているんだ」という説明の1つに過ぎない。
「票とお金に縁がない」という発言は、「しっかりと良い仕事を武井さんにしてもらうためには、今日お集まりの方々が、物心両面で支えていただかないと…なかなか日本の国を良くすることはできない。」と繋がり、だから、武井俊輔氏を支えてください、という話へと繋がっていく(毎日新聞電子版・「発言全体を見て」葉梨法相が“死刑のはんこ”テープ起こし読み上げ)。
感心できる表現かと言われれば決してそうではないが、だからといって「辞めろ」と言われるほどのものかと言えば、そうでもない。「朝、死刑のはんこを押しまして、それで昼のニュースのトップになるというのはそういう時だけ」というのは虚偽でなければ誇張されたものでもなく紛れも無い事実。法相の責務の重さを説明する中で、こうした事実を摘示することが大臣職を辞さなければならないほどの言葉とは思えない。
■本当に批判されるべき法相は
葉梨法相を批判する人は、たとえば前出の立憲民主党の泉代表が言うように「あのような法相のもとで死刑の判断を今後していくのか。それはできるのか。許されることなのか。」と、死刑囚の命を奪うことになる命令書への署名を冗談めかして言うことは許し難いといった倫理的な面から攻撃する。
だが、「死刑の判断」という表現は、あたかも法相が死刑囚の生殺与奪の権利を持っているかのようで適切ではない。死刑にするかどうかを決めるのは裁判所であり、法相は確定した死刑判決の執行の命令をする存在に過ぎない。法相が死刑にするかどうかを決めているわけではない。
さらに言えば、死刑囚の人権に配慮しているように聞こえる泉代表は、元首相の国葬儀には反対しており、他者の死に対する考えが根本的におかしいと感じる。これが安倍元首相の追悼の演説を行った野田佳彦元首相が言うのなら、まだ分かる。政敵の死を惜しんだ野田元首相が「人の死を軽く扱うな」、「亡くなった人の尊厳を傷つけるような発言をするな」と言えば、多くの人は納得するであろう。
そもそも死刑の執行は判決確定の日から6か月以内にしなければならないと定められている(刑事訴訟法475条2項)。ところが6か月以内に執行されることはほとんどなく、その上、執行に消極的な法相も過去には存在した。その結果、死刑確定者として30年以上拘置が続いた例もある。1948年に発生した帝銀事件は、犯人とされた平沢貞通死刑囚は1955年に死刑判決が確定し、1987年に死亡するまで32年間、拘置されていた。
帝銀事件が冤罪であったのかどうかは措くとして、司法が死刑と出した判決を、執行機関がいつまでも執行しないのは司法に対する裏切りであり、行政の怠慢と言うしかない。本来、批判されるべきは左藤恵氏、江田五月氏らのように執行を拒否、あるいは当面、命じないとして、法相の職務を全うしなかった者である。前述の刑事訴訟法475条2項について「死刑判決は確定後速やかに執行すべしというのが本条の趣旨なのである。」(新・コンメンタール刑事訴訟法第2版 後藤昭・白取祐司 日本評論社 p1122)とされており、それを公然と無視するのであるから、まさに職を辞するに値する行為と言える。
あるいは民主党政権下で法相を務めた柳田稔氏のように「法務大臣は二つ覚えておけば良い。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と『法と証拠に基づいて適切にやっております』。何回使ったことか」と法相の責務を放棄するかのような発言をした者こそが批判されるべきである。
■「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」
こうした言葉狩りのような報道や野党の攻撃はこれまで何度も目にしてきた。有名な例では2000年に森喜朗元首相が「日本は天皇を中心にしている神の国」と言い、猛烈な批判を浴びている。森元首相がそう考えているのであれば、それは思想信条の自由に属する範疇で、批判を浴びる筋合いのものではない。
結局、メディアや野党が閣僚の発言の一部を切り取って批判的に報じるのは政治的な目的があるとしか思えない。個人的には蓮舫氏の高卒発言の方がよほどタチが悪いと思う(参照・蓮舫議員 責任回避の謝罪術「差別を謝れ」)。結局、メディアも野党も「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」だけを問題にしているのであろう。
バカバカしい葉梨、いや話ではないか。
》》ジャーナリスト松田様
概ね同感です。
まあ、閣僚としてスピーチする際の言葉や文章については、ブレインに事前チェックしてもらった方が無難ですね。
切取り報道については大手メディアや政治家からSNSなどの個々のユーザーに至るまで、もはや無法地帯と言えるほど常態化しています。
上手に文章を書くことよりも、無難に表現するスキルが時として求められる時代なのでしょうか。
無学につき「死刑判決の確定から6か月以内の刑の執行」については、今回の松田さんの記事で初めて知りました。
還暦過ぎても日々勉強ですね。
左向きの方々の切り取りやチェリーピッキングには日々ウンザリさせられます
これで「総理の任命責任がー」からの「内閣不信任案がー」「支持率低下がー」まで行くんでしょうか…
>「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」
此が重要なポイントですね。
具体的に言えば、自由民主党の議員やその支持者が言えば「問題発言」とされ、特定野党の議員やその支持者が同じ事、或いは似た事を言ったとしても「お咎め無し」で済まそうとしている事です。
此では「公正中立、不偏不党」というのが全く守られていないという事となります。
メディアによる言葉狩りを防止するには、ある種の「強制力」が必要なのではないかと思います。
此はメディアを萎縮させる事が目的ではなく、「確りと法令遵守をして報道せよ。」ということを強調させる為に、新法制定や既存の法を改正すべきだという事です。
大臣の失言?を槍玉にあげて揚げ足を取った所で、野党の支持率が上がる訳でもなく票が増える訳でもないのに、無駄な事するなぁ、といつも思う。
葉梨氏は日本学術会議の在り方に踏み込もうとしていたようですね。
これが今回葉梨氏がターゲットにされた理由ではないかと。