蓮舫議員 責任回避の謝罪術「差別を謝れ」
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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立憲民主党の蓮舫参議院議員が4月30日に「高卒発言」について謝罪のツイートを投稿した。しかし、その文言を見ると全く反省していないように見える。巧妙とも言える言い回しで責任の軽減化、回避を図り、事態の収拾を図っているようにしか見えない。
■蓮舫議員「私の言葉が過ぎました」と謝罪
蓮舫議員は4月29日に開かれた補正予算案を審議する参院予算委員会で以下のように発言した。
「学校を辞めたら高卒になる。就職はどうなるか、奨学金返せない…」
これに対して「高校を卒業して進学しない者への差別ではないか」という批判が起こり、4月30日にツイッター上で以下のように謝罪した。
私の言葉が過ぎました。
本当に申し訳ありません。
高卒で頑張っておられる方々に心からお詫びします。
目指す目的のため奨学金で大学に入った学生が、バイトがなくなり金銭的に退学しか選択肢がない場合の人生再設計の前の支援を求めました。
使う言葉が全く駄目です。申し訳ありませんでした。
ここで注目すべきは、蓮舫議員があくまでも「表現の問題」について適切ではなかったことを謝罪しているに過ぎないことである。
冒頭の「言葉が過ぎました」とは「度をこしてものを言う。言うべきではないことまで言う。」(広辞苑第7版)とされている。つまり、根本の発想や意識等は問題はないが、表現上行き過ぎたものがあったということである。
ここで図1を見ていただきたい。下の正方形は発言のバックグラウンドの部分で、左側は差別意図あり、右側は差別意図なしである。根本の発想に問題がないということは、図1のBの部分について謝罪していることになる。なぜなら、Aであれば前提となる差別意識こそが大問題で、言葉が過ぎた問題ではなく根本的な考え方が許せないということになるからである。
ツイートの最後に「使う言葉が全く駄目です」と念押しをしているのは、まさに「自分はBについて謝っている」という点を明らかにする目的なのは間違いない。蓮舫議員が今回の謝罪を「使用する表現が適切ではなかった」点に矮小化していることは明らかである。
■「高卒になる」の意味をよく考えてみよう
もう一度、蓮舫議員の予算委員会での質問(発言)を見てみよう。
「大学生は…このままだと大学をやめなきゃいけないというのが13人に1人で…この子は生活も成り立たない、学校をやめたら高卒になる、就職どうなるか、奨学金返せない、その不安の声にどうして応えられないんですか。」
この発言の赤字の部分を言わなければ、確かに何の問題にもならない。それをわざわざ「高卒」と入れてしまった、まさに「言うべきではないことまで言う」即ち「言葉が過ぎた」、図のBの問題としているのである。
だが、問題の本質はそこではない。
「学校をやめたら高卒になる」という表現の持つ意味を考えてほしい。
大学をやめる→高卒になる
表面上の解釈は「pならばq」の命題である。だが、多くの人がこの発言を不快に感じたのは、「高卒になる」という表現に「大卒より下の地位に甘んじることになる」「大卒に劣後する地位に落ちてしまう」というニュアンスを感じたからであろう。直後に「就職どうなるか」という言葉が入っていることで、「高卒は下の地位なので、まともな仕事などない」というニュアンスになり、その点を補強している。
そうすると、問題の本質は「言うべきではないことを口にした」ではなく、「高校卒業までの学歴しかない人々に対し、差別的な表現をした」ことにある。つまり、多くの人は蓮舫議員の発言はAであると解釈し、怒っていることになる。
ところが蓮舫議員は人々が怒るAには全く触れず「余計なことまで言ってしまってごめんね」とBでの謝罪をしているに過ぎない。
蓮舫議員がこのような形で謝罪すれば、この発言を追及された時に以下のように言い逃れできるのである。
記者:あなたは以前に失礼な発言をした。
蓮舫:それについてはすぐに謝罪した。
記者:高卒の人を差別的に扱うことは許されない。
蓮舫:私は差別などしていない。
記者:高卒発言で謝ったではないか。
蓮舫:差別していないから、その点について謝る必要はないし、実際、謝っていない。
記者:何を謝ったのか。
蓮舫:表現が適切ではないことを謝った。それはツイート中、2度確認している。
記者:議員辞職すべきだ。
蓮舫:差別的な考えを持ち、差別的な表現をしたら議員辞職に相当するだろう。私の場合はそうではなく、単純な言葉、表現の問題であるから辞職の必要はない。
記者:皆が納得すると思うか。
蓮舫:謝罪した後、お叱りの声がほとんどなくなったのは謝罪を真摯なものと受け取っていただけた、「今後は仕事で頑張れ」と言われたと考える。
■こういう謝罪を国民は待っている
どこまで狡猾な議員であろうか。蓮舫議員が本当に反省しているなら、以下のような謝罪をすべきである。
「私は心の中で高校卒業までの学歴しかない人たちを学士号以上を有する方に比べ、一段、低く見ていました。それは他者を合理的な区別ではなく、社会的身分によって差別するものであったと言われても否定できませんし、決して許されることではありません。
『学校やめたら高卒になる』という発言は、私自身のそのような考えが思わず口に出てしまったものです。申し訳ありませんでした。お詫びして取り消します。
今後はそのような考えから脱け出し、二度と皆様に不快な思いをさせることがないようにいたします。ご迷惑をおかけした皆様方に、心よりお詫び申し上げます」
このような謝罪を国民は待っているはずである。一連の出来事にお怒りの方は、上記の文章と実際の謝罪ツイートと比較し、今回の蓮舫議員の謝罪を受け入れるかどうかを決めていただきたいと思う。
おはようございます。
私は蓮舫氏がいつも、いつも批判ばっかりしてと思いました。高卒と言う事にあまり意識していませんでしたが、その後、差別していると炎上しました。松田さんが言われる様に、確かに高卒を下に見ていますね。勢いで言ったのでしょうが、本音ですね!
私は家業が鉄工所で親父と兄貴だけでしたから、中卒で家業に就きました。時代も別に不思議ではありませんでした。しかし、同級生が高校に通う姿に切ない思いをしました。だから、本を沢山読みましたし、新聞も隅まで読みました。常識だけは持ちたかった、職人は腕を磨く事です。後悔は有りません。腕を認められて、得意先の本社から仕事の依頼が有り、島外の仕事も受けるようになりました。
学歴で人を判断して欲しくないです。まだ日本は高卒で職業に就く人は中卒、大卒より多いです。蓮舫氏の上から目線で物を言う姿勢は改めて欲しいですね。
>>山口 秀明様
コメントありがとうございます。
蓮舫氏は中国系ですが、彼らの学歴に対する執着は凄まじいものがあります。僕は日本語学校で多くの中国人の受験指導をして、それを目の当たりにしてきました。蓮舫氏もその流れであるような気がします。アグネス・チャン氏も自分の子供への学歴は非常に気を使い、主に北米で学位を取らせていました。今回の発言はそうした民族的な背景があるように感じています。蓮舫氏に関していえば、高卒の方を下に見ているのは間違いないと感じます。
個人的には日本社会で学歴がどれだけ役に立つかと言われたら、それは分かりません。僕がいた日刊スポーツは新卒は大卒・院卒しか採用していませんが、新聞内容はご覧の通りです。間違いが多く、社会通念から外れ、勉強不足で思い込みで記事を作っているとしか思えません。あれを見ていると、学歴の意味のなさが分かるような気がします。
蓮舫議員が「奨学金で大学に入った学生がバイトがなくなり金銭的に退学しかない学生の金銭的支援を求めた」とありました。反面、毎年外国人留学性13万人は年間380万円の返済不要の奨学金をもらっている。特に中国人留学生の奨学金は、中国政府の要請により中国に支払ってから中国人留学生に支給されている。また、中国人留学生は国家総動員法によって中国政府の指令があれば日本国内での破壊活動を拒否できないのである。このような留学生の返済不要の奨学金の支給を止め、その金を日本人学生の支援に回すべきである。現状こそ蓮舫議員の好きな言葉、差別「日本人逆差別」が横行しているのである。