無罪主張”上級国民”に江川紹子氏の絶望的無理解

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。
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 ジャーナリストの江川紹子氏が2019年の池袋暴走死傷事故で自動車運転死傷処罰法違反で起訴され、無罪を主張した飯塚幸三被告(89)に関する一部メディアの報道を批判した。加害者とその家族に優しい江川紹子氏だが、違和感を覚える人は少なくないものと思われる。

■飯塚幸三被告とその家族を擁護する3つのツイート

写真はイメージ(一部加工しています)

 池袋で運転する自動車の暴走により母娘2人を死亡させた飯塚幸三被告が10月8日の東京地裁での初公判で無罪を主張したことに、世論は沸騰している。報道によると、飯塚被告は「アクセルペダルを踏み続けたことはないと記憶している。車の異常で暴走した」(文春オンライン10月12日付け「<<池袋暴走>>なぜ”上級国民”は無罪主張するのか? 『車の異常で暴走した』」)と無罪主張した。

 これに対してテレビ等では被告を批判するコメントなどが殺到した。こうした一連の状況について江川紹子氏は11日、自身のツイッターで、タレントの杉村太蔵氏が「推定無罪という大原則はメディアで押さえておかないといけないポイントだと思います」とテレビでコメントした記事を引用しつつ、こうツイートした。

①「杉村氏まっとう。と言わなければならない状況が嘆かわしい。…無関係の芸能人とかがテレビでわいわいと自分の『思い』をぶっちゃけ合うという企画そのものがどうか、と思いますね。」。(10月11日付け)

 さらにその前には飯塚幸三被告の家族が社会からバッシングを受けていることについて以下のようにツイートしている。

②「事実確認もないまま、共犯者であるかのような非難にさらされる日々。終わりなき社会的制裁に、加害者の家族も苦しんでいる。」(10月9日付け)

③「加害者の家族を苦しめているのは、被害者ではなく、『社会』の人々です。」(10月9日付け)

■自分は収監されない…被害者感情無視の無罪主張

 まず、①について見てみよう。この点は無罪主張をするのは被告人の自由であり、特に言うことはない。飯塚被告が自らの過失はなく、運転していた自動車のメーカーであるトヨタ自動車に過失があると信じているのなら、そう主張するのは勝手であり、弁護士もそれに沿った主張をするのであろう。

 ただし、検察側の冒頭陳述によれば「事故の約1カ月前の定期点検で異常は見つからず、車の走行データにもブレーキが踏まれた記録がなかったと指摘。『後続車の運転手はブレーキランプを一度も見ていない』」とされている(日本経済新聞電子版10月8日付け)。

 客観的な証拠からは到底認められない無罪主張をすることが、被害者感情を著しく傷つけることに世間の批判が集まっている。江川紹子氏のツイートには自らの権利行使が他者を傷つけていることをどう感じるかという点が、すっぽりと抜け落ちていることに違和感を覚える人は少なくないと思う。

 このように客観的な証拠に反して自らの過失を認めずに荒唐無稽と言っていい無罪主張をすることも、現行の裁判制度では認められるが、その場合、通常は判決に影響する。2人を死亡させたという点について「過失がない」と主張することは全く反省していないということであり、被害者感情を傷つけるものとなる。

 そうなると裁判所でも矯正施設での矯正が必要という判断から、執行猶予をつけるところを実刑にすることもあり得る。過失運転致死傷罪の法定刑は7年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金である(自動車運転死傷処罰法5条)。ところが飯塚被告の場合、高齢を理由に収監される可能性は低いとされている。それを見越したかのような無罪主張と多くの人は感じているのかもしれない。そうした点に国民が怒っていること、法の抜け穴を利用するかのような無罪主張を倫理的に許し難いと考えていることを理解できないとしたら、ジャーナリストの看板を下ろした方がいい。

■伊藤詩織氏裁判との比較に見る二重基準

 ②と③について考えよう。飯塚被告の家族がまるで共犯者のように非難されることを「加害者の家族を苦しめているのは、被害者ではなく、『社会』の人々です。」と、批判しているが、この点はいいだろう。加害者の家族には、免許返納をさせなかった道義的な責任はどうなのかという問題はあるが、基本的には非難は被告人が受けるべきものであろう。その点はいい。

 しかし、江川紹子氏はTBSの元ワシントン支局町の山口敬之氏と伊藤詩織氏の民事訴訟では、どのように書いていたか。

「刑事事件として有罪認定されていない以上、彼を『犯罪者』と呼ぶことは適切でないが、本件判決は彼を性的暴行の「加害者」と位置づけており、「新たな客観的証拠」がなければ、この判決に基づいた論評ができないものではない。」(Business Journal「【伊藤詩織さん『性暴力裁判』で勝訴】江川紹子が見た判決・会見…今後求められるものとは」)

 刑事では不起訴、検察審査会が不起訴が妥当とした案件で当事者を「犯罪者」と呼ぶことが適切ではないのは当たり前のこと。ところが、損害賠償請求が一審で一部請求認容されたという事実だけを取り出して「判決に基づいた論評ができないものではない」とし、山口氏側が伊藤氏の証言の信憑性を攻撃したことについて「人格攻撃」と決め付けている。江川氏の表現活動で、山口氏とその家族がどれだけ苦しんでいるのか想像力が及ばないのは残念というしかない。そして、民事訴訟における攻撃と防御について何も知らないから、証言の信憑性に関する主張を「人格攻撃」などと的外れなことが言えるのであろう。

■このレベルのジャーナリストに需要があるメディアの状況

 刑事裁判で自らが収監されないことを知り、客観的事実に反する身勝手な無罪主張で被害者感情を傷つけ、さらに免許返納させなかった家族の道義的責任は考慮せずに、加害者とその家族を擁護する。

 そして、客観的事実が当事者の主張しかない事案の民事訴訟の未確定の一審判決をベースに、控訴することを明らかにした一方の当事者を加害者と決めつけて攻撃する。この判断力の悪さ、二重基準はジャーナリストとして致命的。江川氏がネット上で頻繁に攻撃されるのはこうした点にあると知った方がいい。

 このレベルのジャーナリストに一定の需要があるメディアの現状に、絶望感を感じるのは僕だけではないと思う。

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