免職教師の叫び(30)ドミノ倒しの起点
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
最新記事 by 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 (全て見る)
- 自民大敗 自爆スイッチ押した岸田前首相らの愚 - 2024年10月28日
- さようなら水島晴之さん 日刊スポーツの戦友を悼む - 2024年10月26日
- 赤ちゃん守る 妊婦のRSVワクチン接種 - 2024年10月21日
文部科学省は21日、令和2年度の人事行政状況調査を公表した。児童生徒等に対する性犯罪・性暴力により懲戒処分を受けた公立学校の教職員は96人、うち免職は91人であることが明らかにされた。今年1月28日に免職となった札幌市の鈴木浩氏(仮名)も含まれているとみられるが、このような大量の処分者の存在が鈴木氏を免職へと追い込む背景となっているのは間違いない。さらに法の盲点を突いたとも言うべき東京高裁の判決が、免職処分に決定的な役割を果たしている。
■2年間で200人以上が免職
文科省は毎年、人事行政状況調査を公表しており、教育現場での処分状況を明らかにしている。令和2年度の同調査では教職員による性犯罪・性暴力で懲戒免職となった者は91人に達している。令和元年度の同調査では121人であり、2年間で200人を超える教職員が児童生徒へのわいせつな行為で免職になっている。
全国の教職員は平成30年度で92万34人(学校基本調査)という多人数のため、2年間で212人という数値が多いか少ないかは個人の考え方によって異なるが、被害が1度だけとしても、およそ1週間で2度、児童に対するわいせつな行為が行われている計算となる。
これらは表に出てきた数値であり、表沙汰にならないものの免職に相当する行為が行われていたケースも存在すると考えられる。そして、これだけ多くの処分者が出ていながら、免職処分が覆ったという例はほとんど聞こえてこない。実際に処分の取り消しを争う例も少ないようで、結局、被処分者が認めている、裏付けがしっかりと行われている、など”クロ”確定と言っていい案件がほとんどということと予想される。
そのような事情から、多くの国民はもとより、メディアも「被害を受けたと称する児童生徒の狂言」などという事態は想像もしていないと思われる。
鈴木浩氏は今年1月28日に免職となっている。写真家の石田郁子氏(44)が中学3年生だった1993年から約2年にわたり、わいせつ行為を行ったと認定された。それに伴うネット上のバッシングの嵐は、鈴木氏はわいせつな行為をしていたに違いない、という人々の思い込みがあったのは間違いない。
■当初は常識的だった市教委の判断
当サイトはこれまで石田郁子氏の証言やメディアを通じて提供された証拠などに疑義を投げかけ、その証言の多くが虚偽であることを明らかにしてきた(連載(12)CAN YOU CELEBRATE?、連載(19)影なき闇の不在証明)。
そもそも免職処分は、被処分者の身分を剥奪するもので、一生にかかわる重大なもの。軽々に行われていいはずがなく、まして、処分を受けるべきではない者が免職になるという「冤罪」は絶対に避けなければならない。
札幌市教委は2016年2月に、石田郁子氏から鈴木浩氏の懲戒処分申し立てを受けた。しかし、同委は鈴木氏を処分しなかった。今から思えば、偽造(合成)された写真や、招待券かどうか分からない展覧会のチケット、客観的な証言と異なる交際期間に関する証言など、およそ真実とは思えない証拠の数々で1人の教師を免職にすることなどあり得ず、その意味で市教委の判断はごく常識的なものであったと言える。
石田氏が2019年2月8日、東京地裁に損害賠償を求めた訴えを提起した際には、その被告は鈴木浩氏と、鈴木氏を処分しない札幌市(市教委)であった。つまり、当初、市教委は鈴木氏と力を合わせて石田氏の訴えの棄却に努力していたのである。
■東京高裁の判決で流れは一変
結局、訴えは一、二審ともに棄却され、石田氏の敗訴が確定した。本来なら、これで終わるはずであった。ところが、控訴審である東京高裁の判決文が事態を一変させる。原審・控訴審ともに訴えは不法行為の20年の除斥期間(民法724条後段)にかかり、石田氏のいうわいせつな行為があったかどうかの前に訴えを棄却するいわば門前払いの判決をしている。
そのため、石田氏がわいせつ行為を受けたという主張と、鈴木氏がそのようなことはしていないという実体面の審理は双方が書面を提出しただけに終わっている。その中で原審は訴えを除斥期間にかかるとして棄却し、その上で、実際の交際期間(石田氏は大学1年から、鈴木氏は大学2年からとしている)の中で、恋愛と思わされていたという主張は認めず、性的関係の意味するところは認識できていたはずと認定。
仮に石田氏が言うような中学3年時からわいせつな行為を受けていたとしても、その意味は分かっていたはずとした。つまり、原審は中学3年時からのわいせつな行為が行われていたという主張は認めず、仮にそうであったとしても、除斥期間にかかっているという判断をしている。
控訴審での判断も概ね原審と同様であるが、事実に認定でほぼ石田氏の言い分を認め、原判決を補正。「裁判所の判断」で石田氏の主張をほぼそのまま認めてしまったのである。それは中学3年の時に鈴木氏のアパートでキスや、胸を触られた(連載(4)疑わしい元教え子の主張)、高校1年の時にアパートで、同2年の時に塩谷丸山の山頂付近でフェラチオをした(連載(5)まるでAV元教え子の証言)など、鈴木氏に言わせると「完全な石田氏の妄想」というストーリーである(以下、石田氏のわいせつに関する主張を当該事実とする)。
2020年12月15日に言い渡された東京高裁の判決は、それまでの市教委の態度を一変させ、鈴木氏を一気に免職へと追い込む。
■東京高裁の”不意打ち”
一般の人からすれば、書面をやり取りしただけで、本人尋問も証拠調べもないまま、重要な判断が180度変わっていいのかと思うであろう。
関係者の話を総合すると、そもそも東京地裁は事実の認定に先立って、除斥期間の適用について中間判決を示すとしていた。そのため、鈴木氏側は当該事実への反論、反証を準備していたが、それを出す前に除斥期間に関しての判断が示され請求棄却の判決を受けることになってしまった。当初、中間判決されたものは、終局判決となってしまったのである。
控訴審でも反論、反証は提出されることなく終局判決を迎えたが、東京高裁は鈴木氏にとっては重要な東京地裁の当該事実に関する判示を変更する心証を開示せずに、審理を終結して判決の中で当該事実を認定したのである。
こうしたやり方は民事訴訟法の基本書などでは「不意打ち」と呼ばれ、禁止されている。「裁判所は職権で事実・証拠を収集できるのであるが、しかし、そのことは、裁判所がこれらの職権で収集した事実・証拠について、あらかじめ当事者に意見陳述の機会を与えずに、まったく不意打ち的に判決の資料として利用しても構わないということまで意味しない。」(新民事訴訟法講義 第2版補訂2版p210 中野貞一郎ほか編 有斐閣)というのが一般的な解釈である。
このような致命的な事実認定をされた鈴木氏と札幌市は上告して争いたいところであるが、裁判の結果としては、石田氏の請求棄却、鈴木氏と札幌市の全面勝訴になっており、上訴の利益が認められないため不服を申し立てる術がない。本来なら石田氏が上訴して請求認容を求めるところ、上告せずに判決を確定させた。その結果、東京高裁が認めた当該事実が確定判決として、司法の最終的な判断となってしまったのである。
この点について鈴木氏は「除斥期間ではなく、石田氏の主張の真偽をしっかりと判断して訴えを棄却してほしかったです。石田氏の嘘を暴く機会が与えてもらえないまま、裁判が終わってしまったのは本当に残念です。石田氏の矛盾点を突いて、完全に勝訴したかったという思いは今もあります」と振り返る。
■加速したドミノ倒し
こうして鈴木氏は原審、控訴審を通じ当該事実への反論、反証を示せないまま、「わいせつ教師」の烙印を押されてしまう結果となった。
それ以後は激しいバッシング、メディアによる非難、そして免職と坂を転がり落ちるように転落していく。
「柔道で言えば、畳の上で立ったまま何もしないのに審判から『試合は君の勝ち』と言われ、畳を降りると大会役員から『君は2度と畳の上に立つな』と言われたようなものです。それを見た観客に『お前は最低だ』と罵声を浴びせられ、私は何もできずに呆然と立ち尽くしている感じです」と鈴木氏は苦笑する。
自分の手の届かない場所で事態が勝手に進み、何もできないまま気づいたら谷底に落ちていたというのが正直な感想であるのかもしれない。
鈴木氏の免職へのドミノ倒しの起点は、2020年の東京高裁の判決にある。そして、上述の公立学校の教職員の多数の処分という事実が、ドミノの倒れる速度を加速させていった。
(第31回へ続く)
(第29回に戻る)
(第1回に戻る)
このシリーズを全て読んでいる私ですが、私の読解力がないせいで、今一つわからなくて。
鈴木先生は、どのように戦っておられるのでしょうか?免職を取り消してほしいと訴えているのはわかるのですが、石田氏を虚偽告訴罪や名誉毀損罪で訴えているのでしょうか。お時間のある時で結構ですので、教えていただけませんか。
もし訴えていないのなら、松田さんの指摘した写真のトリックをあげれば、虚偽告訴罪が成立するのではと思います(もうすでに訴えているのなら、すいません)
前にも書きましたが、虚偽性被害に加えて、虚偽DVも、大きな社会問題になっています。本来DVに苦しむ母子を救う為のものが、一部の悪意ある者により悪用され、新たな悲劇を生んでいます。また、この前中学生の同級生殺人がありましたが、その後「加害者はいじめられていたに違いない」とし、被害者バッシングなるものまで起こりました。事の真偽はわかりませんし、このケースは全く別として、もしも殺人を犯した時、罪を軽くしたいが為に、被害者の悪業をでっち上げるという事も起こりうるかもしれないと、ふと思いました。亡くなってしまったら、もう何も言えませんからね。ただ何度も言いますが、今回の同級生殺人のことを言っているわけでは、全くありません。
弱者を救おうという、言わば良心からの好意を、まさか逆手に取り悪用するなんて、一般の人は思いません。そこが、それらの犯罪の盲点なのでしょう。
虚偽告訴罪の罰は、性犯罪のそれと比べて、軽いようですね。でも私は、もっと重くすべきだと思います。なぜなら相手の男性に、社会的に葬ってしまうほどの被害を与えるのはもちろんのこと、本当の性被害者が泣き寝入りするのを増やしてしまうからです。
「私も彼女たちのように、嘘をついていると思われたらどうしよう」というように。弱者救済の顔をして、弱者を尚一層追いつめるような社会のひずみ。人間の悪意というものがここまでだとは、私も想像だにしていず、これら一連の出来事は、ある意味勉強になりました。
これからの社会は「弱者救済」に加えて「正直者救済」も行っていかないといけないようですね。とても悲しく、虚しいものです。
>>名無しの子様
いつもご覧になっていただき、ありがとうございます。
戦っている方法は、連載第1回で明らかにしています。
>>札幌市の人事委員会に審査請求を行い、懲戒免職処分の取り消しを求めている。
今の戦いの場は札幌市の人事委員会です。司法の場はその次のステップでしょう。
松田さん、返信どうもありがとうございます。
そうですよね。まずは、懲戒免職処分の取り消しですよね。
つい悔しくなって、先走りしてしまいました。
ただの私個人の思いにすぎませんが、懲戒免職処分が取り消されたら、鈴木先生にはぜひ虚偽告訴罪の訴えを起こしていただきたいと思います。刑事裁判で石田氏の虚偽がはっきりされないと、たとえ職場に復帰できても、周りから白い目で見られてしまいますので。
来月には、伊藤詩織事件の判決が言い渡されますね。もし山口氏が勝ったとしても「伊藤氏の名誉毀損は認められる。しかし性行為については、同意があったかどうかは不明」という結果になったりしたら、相手側はそこをついてきて「不同意性交は、なかったとは言えない」と、堂々と批判してくるでしょう。裁判とは、勝ち負けだけではなく、勝ち方も大切なのだと、石田ケースで思い知りましたので。
鈴木先生も山口さんも、早く潔白が証明され、元の穏やかな生活を取り戻していただきたいものですね。嘘つきが得をして、正直者が悲惨な人生を送るなんて、許されないことだと思いますので。そしてもちろん、本当の性被害に苦しんでいる方々も、一日も早く救われますように、心からお祈り申し上げます。
タイトルと内容がマッチした良い記事ですね。問題点や鈴木氏(仮名)の状況がよくわかります。
札幌市人事委員会の判断は、いつ頃になるのでしょう。今は結果を待つしかないわけで、ストレス過多であろう鈴木氏を案じています。
鈴木氏の免職報道を耳にした時、この処分は「見せしめ」ではないかと思いました。表沙汰にならないことをいいことに、犯罪行為を継続している卑劣な教員に対し、過去の行為であっても免職になることを知らしめ、「抑止力」を狙ったのではないかと感じました。
一般論ですが、私は「支援者の話」は話半分で聞くことにしています。なぜなら、支援対象者に不都合な事実は話さないからです。多くの方の支援を得る為には、そうなるのも仕方がないとは思いますが、それはアンフェア。良いこともそうでないことも、「ありのまま」伝えて頂きたい。
そういう意味では、松田さんの記事は常に公平で公正です。決して、鈴木氏寄りの記事ではありません。
正直なところ、このシリーズの前半では、鈴木氏の対応に疑問を感じたこともありました。そういったご自身が批判され得ることも含めた「事実」を正確に伝えて下さった鈴木氏に敬意を表します。
札幌市人事委員会の皆様にも、是非、このシリーズを読んで頂きたいと思います。鈴木氏は冤罪被害者であり、懲戒免職は撤回されるべきものだと理解して頂けるはずです。
今に至る石田氏の生きざまを想像すると、助けてくれる人はいなかったのかな…と思います。少女時代の病的とも思える言動に、周りの大人は何をしていたのか。私は石田氏に何らかの病名をつけたいわけではありませんが、もしかしたら、当時の石田氏には、専門医の診察が必要だったかもしれません。適切な治療を受けていたら、彼女の人生も違っていたかもしれません。そして、鈴木氏が冤罪被害者になることも無かったと思います。
被害に遭われた方は、被害者の三文字で表すものです。虚偽で人を貶める人間がいることで、自称被害者や真の被害者という言葉を使うしかありません。裁かれるべき者が、相応の裁きを受けることを願っています。
昨日発売された『週刊新潮』2022年1月13日号で、石田氏が「教師による児童生徒性暴力防止法」について、かつて教師から性暴力を経験を持つ立場からコメントしています。
週刊新潮は松田さんが持った疑義やその検証を知らないようです。是非一読下さい。
今年も松田記者の鋭く論理的で客観的な報道に、大いに期待しています。お体ご自愛下さいませ。
>関係者の話を総合すると、そもそも東京地裁は事実の認定に先立って、除斥期間の適用について中間判決を示すとしていた。そのため、鈴木氏側は当該事実への反論、反証を準備していたが、それを出す前に除斥期間に関しての判断が示され請求棄却の判決を受けることになってしまった。当初、中間判決〔と〕されたものは、終局判決となってしまったのである。
御参考までに。「実務上は、〔中略〕国際裁判管轄のように、実質審理を進めるための前提となる事項や、和解または取下げの無効という訴訟係属そのものにかかわる事項を除いては、中間判決はあまり行われていないといわれていた。しかし、中間判決をするといって弁論を終結したからといって、必ずしも請求棄却の本案判決ができないというわけではないから、争点の整理による訴訟の促進という点から、適切な場合には、中間判決を活用する姿勢が望まれる。近時はその例も増えている」(秋山幹男ほか・コンメンタール民事訴訟法Ⅴ・33頁)。
松田様の上記記事を前提とする限り、地裁は、おそらく当初は除斥期間の適用につき肯定否定双方の結論があり得るとの前提で中間判決を示すとして弁論を終結したけれども、最終的に除斥期間適用を肯定する以上は、不法行為(わいせつ行為)の成否について双方に更なる攻撃防御の機会を与えずとも、請求棄却の終局判決を言い渡せば足りる、との判断に至ったのでしょう。
どのような場合に中間判決を示すべきか、また被告主張の抗弁(消滅時効や除斥期間等)で請求棄却判決を言い渡せる場合にどの程度まで原告主張の請求原因事実(不法行為の成立)を認定すべきか、裁判所の訴訟指揮でも明確な指針が確立されていない(数十年前の殺人事件の真犯人が判明した場合の遺族による民事訴訟のような事例で同様の問題があります)。
双方の主張の当否は第三者からは分かりませんが、少なくとも鈴木氏(仮名)の現在の窮地については、上記のような論点について明確な審理指針が定まっていない司法の現状が招いた悲劇という側面も否定できないようにも思えます。
>>とある司法関係者(匿名)様へ
コメントをありがとうございます。
この件は本当におかしな話で、1、2審ともに請求棄却なのに、勝訴した方が職を失うというおかしな結果となっています。その原因は二審の判断による部分が大きいと思います。
>>司法の現状が招いた悲劇
まさに、それだと思います。そして、それを盲信したかのような市教委の判断が加わってのおかしな結論と言えるのではないでしょうか。