妊婦救う災害派遣医療チーム 能登半島地震

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 能登半島地震では妊娠中、あるいは出産直後の女性の救援に災害派遣医療チームが尽力した。現地で救援にあたった医師がメディアに対応、妊婦らを探し出して安全な場所に移動させるなどの活動が報告された。同時に周産期(妊娠22週から出生後7日未満までの期間)の女性や胎児に危険が迫っていても強制的に安全な場所に移動させる法的な仕組みがないなど、今後への問題点も明らかになった。

◾️被災地の分娩施設の少なさ

被災地での救援活動を説明する服部純尚氏(撮影・松田隆)

 能登半島地震での周産期医療体制等についての報告は、4月10日に日本プレスセンタービルで開催された日本産婦人科医会主催の記者懇談会の場で行われた。

 服部純尚氏(国立病院機構埼玉病院 周産期母子センター産婦人科部長)は1月11日から17日、20日から26日までの合計10日間、輪島市におけるDMAT(Disaster Medical Assistance Team=災害派遣医療チーム)活動に従事した。以下の事実関係は服部氏の説明によるものである。

 現地は道路の損壊などで陸路での進入経路が南部からの道路1本のみとなり、支援活動が遅れている状況。さらに広範囲で上下水道が被害を受け、被災者だけでなく支援者の生活が困難になっていた。

 奥能登地方の分娩取扱いは輪島市立病院と珠洲市総合病院の2施設しかなく、多くの妊婦は七尾市にある4つの施設に通院しており、しかもそれらの医師は県都・金沢市から派遣されている。地震後は産婦人科医は引き揚げてしまい、奥能登地方に産婦人科医は不在という事態に陥ってしまった。出産間近、直後の女性にとっては危険な状態になっている。

 そのような中で服部氏らは病院支援、患者診療・搬送、避難所スクリーニング、避難所支援、感染対策、施設避難などを行い、その合間に周産期ニーズに対応していた。

◾️現地での具体的対応

 DMATでは、発災後、奥能登にいる妊娠30週以降の妊婦ほぼ全員を施設の整っている南部に移動させることに成功した。この点はDMATの中のベテランの医師が県庁本部に入り、南部への移動のオペレーションを実施。妊婦の所在については母子手帳の交付記録からデータを集め、ローラー作戦で回って移動を勧めた。これは母子の安全を守る上では非常に大きな成果であったと言える。

 服部氏は2件の例を報告、1件目の輪島地区の避難所で乳児を抱える女性に対する支援は以下のようなものであった。避難所を訪れると20代の母と(幼い)乳幼児が間仕切りなしで雑魚寝状態、しかもペットが同居している劣悪な環境にいた。そこで直ちに母子福祉避難所への移動を勧めた。「母子福祉避難所」とは、自治体が妊産婦や乳幼児など、特別な配慮が必要な被災者を対象にした福祉避難所の一種である。

 母親は家族と一緒に避難所に入っていたが、服部氏らの説明を聞いた日に乳幼児と2人で移動。ところが、移動した日の夜に乳幼児が発熱したため翌朝に輪島市立病院で受診し、母子共に入院ということになった。劣悪な避難所に留まっていた場合、母子はより大きな危険に晒されていたかもしれない。

◾️強制的に移動させる仕組みは?

 服部氏が対応したもう1件の例は、移送がうまくいかなかったパターンで、対象は輪島市門前地区在住、20代で妊娠30週以降の女性。「(輪島市門前地区に)妊婦さんが取り残されているんじゃないかという情報を現地のネットワークからいただきまして、どういう状況かよく分からないので、状況確認を含めて確認をしました。それからなるべく早く奥能登から出して、(金沢市など)南の方に行っていただきたい、ということでスクリーニングを行いました」(服部氏)。

 かかりつけの病院から住所の提供を受けて自宅に向かい、本人と面談して簡易的問診と状況確認を実施。能登北部に産科医がいないこと、経過が順調でも突発的な事態が発生する可能性、その場合には母子の救命が間に合わないこともあるなどを説明して早期の七尾市への移動を勧めた。

 しかし、本人は水道水が出ない以外は平時と変わらない生活ができるために門前地区の残留を強く希望。そこで服部氏は突発的な事態が発生した場合の連絡先を教え、門前支所に情報共有をすることとした。

 このように、医師の勧めにも移動に応じない周産期の女性も実際にはいる。その場所に留まれば、胎児の生命の危険もあると医師が考えた場合にも強制的に移動させる法的手段はないのか、一般の国民としても気になる部分である。

 その点について服部氏は「そうした(強制的に移動させる)法的根拠はありません。平時で言えば、虐待という考えが取れるので、裁判所に申し立てて強制的に親権を奪って移動させる手段も取り得ますが、災害時にそれができるかと言えば現実的には難しいでしょう。移動を望まない方々に対して我々ができることは、動く理由を理解できるように説得すること、動かない不利益について理解していただくこと、そして最終的にその方に自発的に移動していただくようにもっていくことしか、今の段階ではないように思います」と話した。

◾️体制整備とコミュニケーションの深化

 多くの被災者が出る中、周産期の女性の救援は大きな課題である。今回のDMAT活動から、分娩施設が金沢市に集中し、奥能登には分娩施設が極めて少なく、奥能登に定住する常勤医が不在という石川県が抱える潜在的問題点が明らかになった。

 さらに、DMAT隊に産婦人科医が少なく、石川県庁には災害時小児周産期リエゾン(小児周産期領域の調整支援を行う人々)がいるものの現場に産婦人科医がいないというのも大きな問題である。

 服部氏は現地での経験をもとに、私見と前置きしながら問題点と改善策についてまとめた。まず、問題点としては現地医師は個別ニーズについてDMATの対応を望むだけでなく、他県産婦人科医の継続的な支援を望んでいるが、それらに対応するためには莫大なリソースが必要となり、また、限られたリソースをどう配分するかが難しい。

Googleマップから

 能登半島地震では超急性期はDMAT資格を持つ県外のリエゾンが活動し、大方うまくいったが、現地リエゾンとの関係がどうだったのかは今後、検討が必要であるとした。

 改善策としては、コミュニケーションの深化。リエゾンや県本部と現地医師とのコミュニケーションをもっとうまく取れるスキームがあれば、もう少し混乱は少なくなったのではないかとする。

 産婦人科として災害対応に習熟する必要性、産婦人科学会として発災時の連絡体制、活動統括やDMATとの連携体制の整備などを平時に明確化しておくことが重要とした。

 「DMATも現地のドクターも、産婦人科学会も、こうした支援を行いたい、助けたいというのは皆さん同じ気持ちだと思いますので、ちょっとした体制整備とコミュニケーションの取り方だけでも、かなり活動の効率は図れるのではないかと、現地で活動して思いました」と服部氏は話した。

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