『大東亜戦争』の何が悪い

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 陸上自衛隊第一師団第32普通科連隊が5日、X上で「大東亜戦争」の呼称を使用したポストを投稿した。自衛隊の一連隊の公式アカウントが大東亜戦争の呼称を使用したことを批判的に論じるメディアもあるが、かつては閣議決定された呼称であることから使用することに何の問題もないと思われる。

◾️自衛隊のポストに朝日新聞が反応

第32普通科連隊のアカウントから

 同隊が5日に投稿したポストは以下の通り。

#32連隊の隊員が、大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に旗衛隊として参加しました。

慎んで祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします。

(2024年4月5日午後5時55分投稿

 この短文の中の「大東亜戦争」に朝日新聞が反応した。現在、日本政府はこの呼称を公式文書では用いていないことを明らかにした上で、同隊の「本日はコメントすることができない」という反応を伝えた。さらに「日本は1940年、欧米からアジアを解放し『大東亜共栄圏の確立を図る』との外交方針を掲げ、41年12月の開戦直後に『大東亜戦争』と呼ぶことを閣議決定した。戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』の呼称は禁止された。」という説明を加えている(朝日新聞DIGITAL・陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現)。

 同隊のポストには批判的なリプライも数多く寄せられた。大東亜戦争の呼称が盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争と、その後の太平洋戦争は、欧米からのアジアの解放を目的としたという大義の下に行われたという考えに立つものであるから、戦争を美化するものである、あるいは戦争への反省がないといったものが多数を占めている。

 こうした反応を見ると大東亜戦争の呼称に反対する人々は「日本は侵略戦争を行ったのであるから真摯な反省の上に立ち、戦争を正当化はもちろん美化することは到底許されない」といった考えに立っているものと思われる。それはそれで個人の内心の問題であるから、特に言うことはない。ただ、そうした価値観が客観的な事実や正しい法的評価と適合しているかどうかは別問題である。

◾️大東亜戦争をGHQが使用禁止

 朝日新聞DIGITALが説明したように、大東亜戦争の呼称は大日本帝国が米英に宣戦布告をした直後の1941年12月12日、当時の東條英機内閣が「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ関スル件」を閣議決定したことに由来する。その内容は「一、今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と直截呼称を決定するものであった(防衛省戦時資料・陸普綴 昭和16年 S16-4)。

 この流れを変えたのがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)である。1945年12月15日にいわゆる神道指令を発出。大東亜戦争の呼称を禁じた。

【国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件】

一(ヌ)公文書ニ於テ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ却刻停止ヲ命令スル

(文部科学省学制百年史 資料編・連合国軍最高司令部指令 国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件<昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書>)

鈴木宗男氏(同氏ブログから)

 当然のようにこの神道指令は、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を果たしたことで法的拘束力を失った(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律)。ところが日本国政府は公式文書ではその後も大東亜戦争の呼称を使用していない。

 こうして日中戦争から太平洋戦争に至る戦争を何と呼ぶべきか曖昧なまま時間だけが過ぎ、2006年に鈴木宗男衆院議員(当時)が「大東亜戦争の定義等に関する質問主意書」を提出した。その内容を以下に示す。

1 大東亜戦争の定義如何。大東亜戦争という呼称の法令上の根拠を明らかにされたい。

2 太平洋戦争の定義如何。太平洋戦争という呼称の法令上の根拠を明らかにされたい。

3 太平洋戦争に1941年12月8日より前に行われていた日中間の戦争が含まれるか。

4 政府は、いつから大東亜戦争という呼称を用いなくなったか。その経緯と法令上の根拠を明らかにされたい。

5 政府は公文書に大東亜戦争という表記を用いることが適切と考えるか。

(衆議院 平成18年11月30日提出 質問第197号 大東亜戦争の定義等に関する質問主意書

◾️政府は”ケースバイケース”

 まさに今回の問題をはっきりさせるための質問が20年近く前に政府に対して投げかけられていた。それに対する答弁を示すと、1については前述の閣議決定を根拠とした。2、3については「お尋ねの定義を定める法令はなく、これに日中間の戦争状態が含まれるか否かは法令上定められていない。」としている。

 4の大東亜戦争という文言の不使用については、前述のGHQの覚書をあげ「…連合国総司令部覚書以降、一般に政府として公文書においてお尋ねの呼称を使用しなくなった。」と回答している。

 そして最大の問題である、5の公文書への大東亜戦争の表記に関しては以下のようにされた。

「公文書においていかなる用語を使用するかは文脈等にもよるものであり、お尋ねについて一概にお答えすることは困難である。」

(以上、衆議院 平成18年12月8日受領 答弁第197号

 政府見解としては、いわゆる日中戦争と太平洋戦争をどのように呼称するかは、どのような文脈で用いられるかなどによるため一概には言えない、即ちケースバイケースであるということである。行政機関が「大東亜戦争」という表記を用いたからといって、直ちに不適切とは言えないのは明らか。

 大日本帝国政府は正式に「大東亜戦争」とすると決め、それを占領軍(GHQ)が「使ってはダメだ」と言ったので使用をやめたが、GHQの占領が解けて国家の独立を果たした以後はGHQの禁じた措置に従わなければならない理由はなく、どう呼ぶかは個々の事情に応じて決めるのは独立国家として当然のことである。ごく当たり前の答弁と言える。

◾️望月衣塑子記者も”参戦”

 個人的には日中戦争と太平洋戦争は当時の大日本帝国の国策遂行上、一連の戦争と位置付けるのが間違った評価とは思えない。両者を合わせた総合的な呼称とすることに一定の合理性は認められると考える。

 上記で示した現在の日本国政府の見解に立てば、第32普通科連隊がX上で大東亜戦争と表記したからといって、直ちに「不適切な表現である」とされるわけではない。用語の使用・選択はあくまでも「文脈等による」のが現政府の考えである。直ちに違法と言えないことから朝日新聞も「占領軍の命令で『大東亜戦争』の呼称は禁止された。」という歴史的経緯の説明にとどめたものと思われる。見方を変えれば不適切と言えるまでの根拠が見出せなかったということ。

写真はイメージ(防衛省、撮影・松田隆)

 朝日新聞に呼応するかのように、東京新聞の望月衣塑子記者は7日にXで朝日新聞の当該記事を引用して「陸自の靖国神社への集団参拝といい、タガが外れてきている。」(2024年4月7日投稿)と投稿した。

 タガが外れてきたとは、要は政府が法的根拠はないままにおそらく慣用で使用を止めていたものが、末端まで行き届かなくなったという意味にとれる。それはそれで間違いはないのかもしれないが、それが直ちに国民にとって悪いことではない。前述のように日中戦争、太平洋戦争を合わせて考える歴史的評価は決して間違っているとは言えず、満州事変を含め15年戦争と一括して呼ぶ政治勢力も存在する。

 戦後、日本は国民主権の国家として生まれ変わり、現在に至っている。戦争の反省から平和主義が唱えられたと一般には解釈されているが、それなのにその戦争を何と呼称するかが国として決められていないことは不自然極まりない。

 今回の「大東亜戦争」問題は、こうした国のあり方を含めて考えていくいい機会となるはず。堂々と「大東亜戦争」と呼べるようになれば、それはそれで国民の考える幅が広がる。表現の自由を保障した日本国憲法の主旨にも即し、実にいいことではないか。

    "『大東亜戦争』の何が悪い"に7件のコメントがあります

    1. nanashi より:

      一種の「言葉狩り」になってしまっていますね。
      此こそ「多様性の否定」に該当します。
      左派マスコミ及び左派識者としては「自虐史観」を何としてでも死守し、そして日本を腐していき、何れは日本を特定アジアの奴隷国家にでもしたいのでしょう。
      国民を見殺しにしても、自分達の地位は保証されるであろうと勘違いしているみたいですが、特定アジアの国々は「人間不信」の度合いが日本以上に強い為、譬え国を差し出した協力者でも何だかの理由を付けて粛清するのが、此までに積み重ねてきた歴史が証明しています。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        日本でリベラルとされる勢力の特徴でしょう。自由を叫びながら、政敵の自由を平気で制約する矛盾。結局、自分たちに都合のいい人たちだけの自由を主張しているに過ぎません。

        イメージですが、それがスターリンタイプの独裁を生んだように思います。

      2. BADチューニング より:

        朝日新聞と毎日新聞の“通常営業”ですねw

      3. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        あの話題の新聞も夕刊が廃止になっていたのですね。販売店も20年間で6掛けですから、気がつけば廃業していたというのは珍しくない光景なのかもしれません。僕の周囲でもそうです。1980年代には考えられなかったことが現実になっています。

        それから、地方紙が次々と夕刊を廃止したことで共同通信の配信先が減って苦しくなっているという話もあります。新聞の苦境に通信社も無縁ではいられないということです。新聞業界は景気の良くない話ばかりです。

        もはや時間の問題という感じがします。

        報道のスピードでテレビ・ネットに大きく劣るだけでなく、伝える内容、偏向した編集方針などが原因と思われます。

    2. BADチューニング より:

      >大東亜戦争

      “太平洋戦争”=“ Pacific War ”とは、
      あくまで『第二次世界大戦の太平洋戦域』( Pacific theater of World War II )です。

      とすれば、
      “大東亜戦争”とは、つまり『太平洋戦争+日中戦争』であり、『大東亜戦争 = 日本が昭和期に十五年に渡って続けた戦争(十五年戦争)』という事です。

      あの戦争の事を真摯に考えるのであれば、インパクトに欠ける“十五年戦争”の名称よりむしろむしろ“大東亜戦争”の表記の方が正しいですね。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        政治的な思惑を抜いて考えると、太平洋戦争は、米国から見れば呼び名として適切なのかもしれませんが、日本側からすれば太平洋ではない地域での戦闘も含まれていますから、どうなのかなという気はします。

        逆に日本側としてはアジアの解放、大東亜共栄圏の建設という大義を名目にして戦ったから大東亜戦争はごく自然な呼び名であると思います。記事にするならその観点からも考察したものにすればいいと思いますが、なぜ、できないのかなと不思議に感じます。

        それが朝日と言ってしまえばそれまでですが。

    3. 通行人 より:

      「大東亜戦争」の大東亜って単なる地域呼称ではなく大東亜共栄圏=欧米を排除した偉大な東アジアっていう意味ですからね
      多分に反米主義的な考えから来た名称で、対米関係を重視する戦後の日本政府が使用を避けてきたのは当然と言えば当然
      それを今使うのは、不勉強で由来を知らないのか、それとも知っていて確信犯で使ったのか

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