新聞業界の終末は近い 消えていく販売店

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 各家庭に新聞を届ける新聞販売店の倒産が続いている。2023年度の倒産は39件で、過去30年間で最多を記録した。新聞発行部数の落ち込みに伴う倒産の増加は新聞の販売力を削ぎ、それがさらなる発行部数の落ち込みに繋がる負のスパイラルに陥っている。このような状況で筆者の出身母体の日刊スポーツはどうなっているのかを聞いた。

◾️減り続ける販売店

2023年に事業から撤退した新聞販売店があった建物(撮影・松田隆)

 東京商工リサーチが5日に公開したデータによると、2023年度(2023年4月~2024年3月)に39件の新聞販売店の倒産があり、1994年度以降最多だった2014年の30件を上回る最多記録となった。

 倒産の原因としては「販売不振」が30件、「既往のシワ寄せ」が6件と、この2つで大半を占めた。要は「新聞が売れなくて、もうやっていけません」と言って多くの販売店が事業をやめているわけで、各店舗の経営努力だけではどうにもならないレベルになっていることを思わせる。このような業界そのものの構造的な不振に加え、燃料費、人件費などのコストアップに、コロナ禍が重なって次々と倒産に追い込まれたものと思われる(東京商工リサーチ・2023年度「新聞販売店」倒産 過去最多の39件 発行部数の減少に、物価高・人手不足が追い打ち)。

 2023年の全新聞の発行部数は2859万486部で、2001年の5368万753部から、およそ半分の53.2%に落ち込んでいる(日本新聞協会・新聞の発行部数と世帯数の推移)。これに伴い新聞販売店も減少の一途を辿り、2001年には全国で2万1615店舗あったものが、2023年には1万3373店舗と61.9%になっている(同・新聞販売所従業員数、販売所数の推移)。発行部数と販売店の減少率が比較的近似した数値になっており、発行されなくなった分、店舗がなくなったと言っていいのではないか。

 ご存知のように日本の新聞販売は特殊で、世界にあまり例を見ない宅配制度が取られている。米国でも一部は宅配制度はあると聞くが、基本的に新聞はニューススタンドで買うものとされる。一方、日本では一般紙はそのほとんどが宅配。スポーツ紙は宅配と主にコンビニで売られる即売の二本立てで、通常は宅配の方が多い。筆者が勤務していた日刊スポーツで宅配と即売の比率は概ね4:1~5:1であった。

◾️新聞社と販売店の力関係

 新聞社と販売店の関係を一言で言えば、製造業者と小売業者。新聞社は新聞という商品を製造(発行)するが、それを消費者に届けるための手段を有していない。SONYの製品をSONYの社員が直接、消費者に売らないのと同じである。

 昨今、製造業者と(大規模)小売業者の力関係は、後者の方が強いとされる。一般紙は販売店よりも強い関係にあるとされるが、スポーツ紙に限っていえば、圧倒的に販売店の方が強い。販売店は新聞を配達することで得られる利益に加え、折り込み広告を入れて収益を得る。スポーツ紙には基本的に折り込み広告は入らないため、販売店からすればそれほど魅力のある商品ではない。そこでスポーツ紙の販売担当は各販売店を回って部数の拡張をお願いし、扱いを増やしてもらうことが重要な仕事になる。

写真はイメージ(朝日新聞東京本社、撮影・松田隆)

 今はどうか知らないが、日刊スポーツには販売店のオーナーの子女が入社することが少なくなかった。おそらく、一般紙を含めて同じようなものと思われる。販売店の子女が入社すれば、当該販売店は当然、その新聞をたくさん売ろうとするから、何よりの販売対策となる。そのため、こうした採用を新聞社の「販売店対策」と呼ぶ者も少なくなかった。筆者の同期にも1人、販売店のオーナーの息子がいた。彼は優秀だったので実力で入社したのは間違いないと思うが、早めに退職して今は実家の販売店を継いでいるようである。

 日刊スポーツの話をすれば、販売担当は毎日のように販売店を回り、夜は一席設けてというのが仕事であったらしい。中に競馬好きの販売店主がいて、毎週、東京・中山競馬場の指定席を取ってほしいと無理難題を言ってきたこともあった。その依頼が販売局から筆者の在籍していたレース部に来たが、競馬場で我々が出稿で忙しい時にやってきてチケットを渡してもお礼も言わない。おそるおそる忙しい時間帯を外して来場してもらえないかもちかけると、「お宅の編集局次長が持ってくると約束してくれたんだよ。それができないと言うのか!」と恫喝してくるという信じ難い時代(人)であった。

 販売店にすれば、仕入れ先の一般紙に文句を言えば契約を切られる可能性もあり逆らえない部分もある。その結果、契約数より多い部数を押し付けられる「押し紙」を強いられることもあるはず。そうした新聞社に対する鬱屈した思いのはけ口が、スポーツ新聞なのかもしれない。

 新聞社の中でよく言われた言葉がある。多少、問題のある表現であるが、そのまま書こう。

「アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む」

 新聞販売店の担当員には、威勢のいい方や過去に傷を持つ方も存在したのは確かで、それを揶揄したものである。スポーツ紙の人間は販売店に頭が上がらないが、実際は販売店も、その先にいる読者も見下ろしており、さらに販売店との微妙な関係もあって、そのような品性のないセリフになったのであろう。

◾️全く機能しない販売局

 販売店が次々と倒産する状況で新聞社の販売局はどのように対応をしているのか。ここで以前にも話を聞かせてくれた日刊スポーツの関係者のX氏(参考・日刊スポーツ東京は25万部? 気になる行く末)に聞いてみた。おそらく他のスポーツ紙も同様の状況、一般紙も大差ないと思われる。

 「今は特に即売がダメ。大きなイベントがあれば多少は売れるけど、それも瞬間風速に過ぎない。(日本が優勝した)WBCなどがそう。部数を増やさないといけない販売局は全く機能していない状況で、しかもコストダウンのために部局をどんどん削られている。昔は販売一部、販売二部、即売部、販売推進部、それ以外にも色々とあったけど、今は販売部と即売部、販売推進部の3つになってしまった。しかも、販売推進部は広告局の記事広告作成の部署を兼ねている。そこでは正社員が4、5人しかおらず、後は60歳を過ぎて再雇用になった年寄りばかり。そうしたことで会社は人件費を削っているのが実情だ。」

 良い記事、スクープ記事を連発して、その効果で部数を増やせればいいが、そう簡単にいくものではない。部数を増やすのに販売局の力は不可欠で、その販売局が人員削減、部局減少では部数が増えるはずがない。というより、目先の部数は減る一方であろう。

 こうして発行部数が減る、販売店の売り上げが減る、コストダウンのために販売局の体制を再編する、発行部数が減るという悪循環から脱け出せなくなっていく。

 コロナ禍から新聞の発行部数の減少率が大きくなっているのはこうした事情があるものと思われる。日刊スポーツ自体に余力がなく、販売店主に一席設けてという20世紀タイプの営業は行われていないようで、この点はおそらく他の新聞も似たり寄ったりではないか。

◾️ガンにカンフル剤

写真はイメージ

 販売店の減少と新聞社の売り上げ減の負のスパイラルが続く中、日刊スポーツはどのような雰囲気なのかもX氏に聞いた。

 「10年ぐらい前は早期退職制度を利用する者も多かったが、今は少なくなった。年に2、3人じゃないかな。辞めずに60歳まで頑張れば余程のことがない限り再雇用されて65歳まで働ける。年金が出るまでは『泥舟でも乗って行こう』というのが多いように思う。定年退職者のピークを超えたらしく、今すぐ潰れるという状況ではないと判断している社員が多いのかもしれない」。

 こうしてみると、構造的な部数減、販売店減はガンのようなもので、それを組織改編や人件費などのコストカットなどのカンフル剤を投与して生きながらえている状況と言えるのではないか。これはおそらく日刊スポーツだけの問題ではない。

 販売店の倒産の連鎖は、いよいよ新聞の終わりが近づいていることを感じさせる。

    "新聞業界の終末は近い 消えていく販売店"に5件のコメントがあります

    1. シューツヴァイ より:

      私が住んでいる地域でも新聞販売店はどんどん少なくなってきています。
      発行部数が減少しているのですから当然ですが、新聞業界が末期状態であることがよくわかります。
      日刊スポーツは昨年から北海道、仙台の印刷工場を閉鎖しており、来年には藤岡工場も閉鎖する予定になっているようです。
      発行部数が年々減少して苦しい経営状態であるのは間違いなく、日刊スポーツ新聞社、印刷社(現日刊スポーツプレス)ともに数年後に倒産してもおかしくないと思っています。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        単一の商品が売れなくなれば、それしか扱っていない店舗は潰れるのは道理です。今回、あらためてこの単純な理屈を思いました。

        藤岡工場も閉鎖予定とは知りませんでした。僕も日刊スポーツを離れて10年になりますから、状況は大きく変わっているのでしょう。在職中はこのままではジリ貧なのでネットへの依存を強め、ネットで新聞の枠を超えた報道をしていかないとダメだと言っていたのですが、管理職は全く危機感を持っていませんでした。

        当時、始めたのが日刊スポーツ独自の会員制のSNSです。mixiやフェイスブックが全盛の頃、全くお話にならず、登録会員は自社の社員以外はほとんどないという惨憺たる結果で1年ほどでやめたと思います。

        そういったことが今の危機的状況に繋がっていると感じます。

    2. 通りすがり より:

      こちらの地元のローカル紙も順調に縮小しています。
      この数年でコロコロと販売店も変わりました。販売店の閉鎖はエリア内で続発しているようです。
      数年前に夕刊も廃止になりました。

      安芸高田市の石丸市長に低レベルな挑戦を仕掛け不毛な戦いを繰り広げた挙句、既に敗戦処理状態が濃厚になっているあの新聞社ですw

    3. MR.CB より:

      ジャーナリスト松田様

      ご無沙汰しております。
      昭和の時代に日刊スポーツで競馬を知り、還暦を過ぎた今でも持病のように競馬と共に生きる術を教えていただきました。小生も日刊スポーツとは離別してもう25年ほどが経ちますね。もちろん喧嘩別れではなく、なんとなく読まなくなってしまいました。当時から二股で購読していた日刊ゲンダイ(競馬面のみ)に惹かれて乗り換えた、が正直なところであります。ともあれ松田さんが再三述べられているように、もはや新聞業界の没落は誰にも止めることが出来ないことなのでしょう。
      悲しくもありますが、その役目を終える時が来たのだと思います。
      ただ一点の心配が残ります。新聞配達をしながら学校に通う「奨学制度」は今後どうなってしまうのか…、です。親のスネをかじり尽くした小生が言えた義理ではありませんが、出来るだけこの制度は続けて欲しいと願っております。

      松田さん、これからも素敵な記事を楽しみにしております。ご多忙とは思いますけど、お身体に気をつけてますます頑張ってください。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        MR.CBさま、お久しぶりです。

        そちらも日刊スポーツ離脱組でしたか。読む方と作る方との違いこそあれ、離れていったという点では共通しています。日刊ゲンダイの競馬は現場密着、いい記者が多くて一時は非常に面白かったです。染川記者、中谷記者、森本記者…個性的な人が多く、紙面も華やいでいました。

        新聞配達の奨学制度、これも先は見通せない状況です。僕のかなり年上のイトコも新聞配達を続け、70年代初頭に欧州を旅しました。あの頃は海外旅行自体が夢のような感じで、その中で欧州ですから、子供心にすごいと感じました。

        今の感じではスポーツ紙と体力の弱い全国紙・地方紙は5年程度で消滅すると思います。苦学生を支えるための制度は別の方法を考えるしかないのかと思います。さまざまな意味で新聞に寄りかかっていた制度、システムが消滅するのは残念ですが、公益性のある制度は別の形で存続を図るようにしてほしいと願っています。

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