明治生まれ国内10人 出生時に新選組永倉新八存命

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 日本国内にいる明治生まれは1月12日現在、10人であることが分かった。海外の長寿のサイトに掲載されているもので、国内のニュースに照らし合わせて確認できた。最高齢は岐阜県土岐市在住の林おかぎさんで今年9月2日に116歳の誕生日を迎える。

◾️新選組の永倉新八が生きていた時代

World Supercentenarian Rankings Listから松田隆作成

 5日公開の記事で、国内の明治生まれは40人から80人程度ではないかと想像したが(参照・明治生まれで存命は日本に何人?最低でも112歳)、実際はもっと少ない10人であった。米ロサンゼルスなどを拠点にする老年学研究グループ(Gerontology Research Group =GRG)という非営利団体が運営するサイトが公表しているもので、同サイトは老年学の研究を推進するとともに110歳以上の「スーパーセンテナリアン」の認証、検証、記録にも注力しているという(Gerontology Research Group・Gerontology Research Group – Dr. Coles’ Supercentenarian Institute)。

 このサイトに世界の長寿ランキング表があり、明治45年7月30日以前に生まれて現在、存命する国内在住の日本人は10人であることがわかる。なお、国内在住ではないが沖縄県出身でブラジルに移住した新城トシさん(112)も明治生まれである(Gerontology Research Group・World Supercentenarian Rankings List)。

 一覧表のとおり、日本の最高齢は岐阜県土岐市在住の林おかぎさん(115)で明治42年9月2日生まれ。世界では第3位で、林さんより年上なのは1年3か月年長のInah Canabarro Lucasさん(116=伯)、12日早く生まれたEthel Caterhamさん(115=英)の2人しかいない。林さんと同年の生まれとしては俳優の上原謙さん(加山雄三さんの父)、映画評論家の小森和子さん、伝説の女優の田中絹代さん、陸上短距離の選手”暁の超特急”吉岡隆徳さん、十一代目市川團十郎さんなど。「降る雪や 明治は遠く なりにけり」の句で有名な中村草田男さんは8歳年上の1901年生まれである。

 同年生まれの人を並べても年齢の凄さがあまり伝わらないが、明治43年に存命だった人を考えるとあらためて驚かされる。

 最後の将軍・徳川慶喜(71)、新選組二番組組長・永倉新八(70)、高杉晋作とともに尊王攘夷運動を行った元老・井上馨(73)、初代総理・伊藤博文(67)、維新の立役者の1人で後の総理・山縣有朋(71)、早稲田大学を創設した大隈重信(71)。名前の後ろの( )内の数字は林さんが生まれた時の年齢で、伊藤博文が暗殺されるのは、林さんが生まれた54日後のことである。

 我々、令和に生きる人間は林さんを通して幕末・維新の英傑と繋がっていることを感じることができる。

◾️120年前の写真の謎

 5日公開記事でも紹介したが、筆者の母方の祖母は1902年生まれで林さんの7歳年長となる。記事で紹介した写真を撮影した時の話は、現在、90歳を超える筆者の母がよく聞かされていた。それによると、ある時、父親(筆者の曽祖父)が「お前たち、今日は写真を撮るぞ」と言って、近くの写真館に子供を連れて行ったそうである。

左写真中央が筆者の祖母

 当時は「写真を撮ると魂を抜かれる」といった迷信が信じられていたそうであるが、曽祖父は「そんなバカなことがあるか」と全く取り合わず子供達を撮影してもらったという。

 中央の小さな女の子が筆者の祖母が不安そうな顔をしているのは、「魂を抜かれる」ということに恐怖を感じていたのかもしれない。120年以上前に撮影された明治の写真を眺めていると、あれこれ考えさせられ不思議な気持ちになる。

 実は2、3年前に相続に関連して祖母の戸籍を取り寄せた。その時に本籍地の住所があり、台東区蔵前3丁目であった。写真撮影時は京橋に住んでいたと聞くが、そのあたりの事情は分からない。蔵前3丁目の下の番地もあったが、Googleマップで調べると今でも使用されている番地であったため明らかにしないでおく。

 浅草線蔵前駅のすぐそばで、都道462号に面した家のすぐ裏。ストリートビューで見ると普通の民家で、もしかすると、そこに住んでいたのかもしれない。もう1世紀前の話なので何とも言えない。

◾️筆者の先祖は西南戦争で西郷軍に

 筆者の父はもう他界しているが大正の終わりの生まれであった。宮崎県都城市の出身であるが、元々、松田の家は鹿児島県在住で、川辺町(現南九州市)に菩提寺があるらしい。第二次大戦に帝国陸軍の兵士として参戦したが、出征時は祖父が松田家から日清・日露戦争に出征した者がいなかったことで負い目があったらしく、長男である父が戦争に行くことを大層喜んだとか(参照・原爆投下直前父に訪れた幸運 命の不思議さ思う8月6日)。

 その父が幼い頃、大おじの松田長次郎という人が存命で、もともと侍であったためか頭部に月代(さかやき)の痕跡があったという。「時代劇の侍みたいに、頭の上の方が禿げてたんだ」と父が言っていたのをよく覚えている。

 その松田長次郎は西南戦争に参加、西郷軍の生き残りで、昭和の初めの頃まで存命であった。戸籍を調べたところ江戸末期の生まれのため10代そこそこで西南戦争に行ったことになるが、当時の戸籍は結構いい加減だったと聞くので、適当に申告したのであろう。

 西郷隆盛は今でも鹿児島では英雄であり、筆者の名前「隆」はそれに由来している。子供の頃、父からそういった明治時代の話を聞くのが好きであったが、先祖が西南戦争に参加した話を聞いた時には(僕の先祖は天皇陛下に弓を引いたのか、反政府軍か…)と子供心にショックを受けた。

 ちなみに、父が子供の頃は実家に先祖が使用したのか錆びた日本刀が結構あったらしいが、戦後、GHQに接収されたと聞く。

◾️5つの元号を生きた人々

1991年ヨハネスブルグでの筆者

 あれこれ話が飛んでしまったが、とにかく、今、明治生まれは国内に10人で、全て女性である。

 明治は遠くになりにけり、どころか明治はもう歴史の1ページの中に完全に入り込み手の届かない存在になっていると言っていい。

 令和の今、我々がこうして平和に暮らしていられるのは、平成、昭和、大正、明治と懸命に生きた先達たちのお陰である。5つの元号を生きている現代の歴史の証人である10人の女性に「いつまでもお元気で」と声をかけてますますの長寿を祈ることとしよう。

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