夏の甲子園 5/20早々の中止決定に疑問
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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今年の夏の甲子園は中止が決まったが、果たしてそれで良かったのか疑問を感じる。新型コロナウイルスの影響で5月20日時点での中止決定は余りに早すぎ、日本高野連は開催に向けて最大限の努力をしたのか、甲子園の特殊事情も踏まえての検討がなされたのかを問いたい。
■中止決定の5つの理由 どれも対策が可能では
日本高野連の中止決定の主な理由は以下である。
・地方大会
①全国約3800校が参加し感染リスクが避けられない。
②休校等が長期に及び、練習不足による負傷リスクが予想される。
③夏休み短縮の動きもあり、学業の支障になりかねない。
・全国大会
④開催期間が2週間以上に及び感染リスクが避けられない。
⑤代表校が宿泊を伴う移動をして地元に帰ることで感染リスクが避けられない。
※以上、産経新聞5月21日付け朝刊記事から
この理由を見て、どれだけの人が納得できるのだろうか。一つひとつ見ていこう。
①無観客試合にすること、感染リスクを重大に考える学校は不参加とすればいい。
②練習不足による負傷リスクは科学的根拠に欠ける上、仮にそのように考える学校では不参加とすればいい。また、負傷を避けるために試合前にストレッチを入念に行う時間を作るなど、対策を立てられる。そもそも地方大会は各都道府県の高野連に実施の可否が任されるのであるとされたのだから、負傷リスクは大会中止の決定的な理由とはならない。
③出地方大会で学業への支障が出るのであれば、予選敗退校は夏休み中に補講を行うなどで対応が可能。本大会出場校は秋以降の土・日を利用しての補講等で対応できる。
④無観客試合、あるいは制限した入場者での開催で感染リスクが避けられ、選手もベンチにいる間はマスクを着用するなどで感染リスクを低く抑えられる。
⑤選手の宿泊をホテルの個室にして、食事も個別にするなど対策を取ること、日常ではマスク着用などで感染リスクを低くすることができる。
■世間の批判を恐れ無難な決定?
中止の理由とされたものは、どれもリスク軽減のための措置が可能で、そうした方法を十分に検討した上で中止にしたのか疑問に思う。地方大会は例年6月下旬に沖縄から始まるが、すでに沖縄県は緊急事態宣言が解除されている。
予選がピークを迎える7月中旬から下旬にかけては状況はかなり変わっているだろうし、無観客試合での開催も可能であろう。
「生徒の安全だが第一」という理由は当然のことだが、リスクとの比較衡量を十分にしたのか問いたい。最悪、全国大会も無観客試合で実施することも視野に入れてゴーサインを出し、途中、感染の最拡大などの兆候が見られたら中止にする選択肢があってもいい。
言葉は悪いが、日本高野連は「世間から批判されないように」無難な道を選んだように思えてならない。本大会が無観客試合になった時に主催の朝日新聞社が大打撃を受けるというようなことも主張する人がいるようだが、それは全くない話ではないように思える。大人の事情で、学生の夢が奪われたとしたら大問題である。
■夏の甲子園を特別視すべき2つの理由
こうした主張をすると「夏の甲子園だけなぜ、特別扱いなのか」という声は出るだろう。確かに特別扱いすべきだと思っている。その理由は以下である。
①高校3年生にとって一生に一度のこと
②代替え大会が難しい
①は甲子園を目指すものは高校3年生の夏は「最後の夏」であり、ここを目指して小学校の頃から鍛錬を重ねてきた者が多いということ。プロ野球などと異なり「来年頑張ろう」がないシチュエーションである。高校生の夢を失わせないために、実施に向けて最大限の努力をするのが大人の務めであろう。
②は重要である。他競技はインターハイが中止になったものの、代替え大会が検討されている。運動に関して高校時代の集大成の大会が開かれる可能性は高い。また、サッカー、ラグビー、駅伝は冬の大会があり、インターハイよりはそちらを目指す者は多く、目標を失わずにクラブ活動ができる。
一方、夏の甲子園は1世紀以上の歴史を有し、注目度は他競技とは比べものにならず「夏の風物詩」として国民の間に定着している。大会は高校の野球NO.1決定戦という性格とともに、国民が注目するお祭りのようなもの。インターハイの代替えとは同レベルで論ずるものではない。
以上の点から考えると、少なくとも地方大会を無観客試合で開催し、感染の状況を見ながら判断を先延ばしする手もあったのではないか。「生徒の安全」という一言で、過剰な反応で中止を早々と決定したことが残念でならない。