台湾プロ野球に「甲子園」100年ストーリー

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葛西 健二🇯🇵 @台北 Taipei🇹🇼

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京都産業大学外国語学部中国語学科、淡江大学(中華民国=台湾)日本語文学学科大学院修士課程卒業。1998年11月に台湾に渡り、様々な角度から台湾をウオッチしている。
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 日本では夏の甲子園の開催の可否が話題ですが、台湾プロ野球の球場に今年から日本の「甲子園歴史館」の広告ロゴが掲示されました。台湾野球と甲子園は浅からぬ因縁があります。今から100年ほど歴史を遡り、そこから再び下って21世紀の今、私・葛西健二へと繋がる細い道をご紹介しましょう。

■台湾プロ野球の球場に登場した「甲子園」

マウンド上で挨拶した陳時中部長(中華職棒CPBL youtube チャンネルから)

 新型コロナウイルスの感染拡大防止に成功した台湾では、4月12日からプロ野球が無観客試合で始まりました。5月8日には各球場1000人の上限付きで入場が解禁。15日の試合からは上限が2000人に引き上げられ、正常化に向けて着実に歩みを進めています。

 5月8日には新型コロナウイルスの最前線で戦う「鉄人部長」の陳時中衛生福利部長が富邦ガーディアンズ本拠地の新荘野球場に登場し、挨拶しました。感染者ゼロを表す背番号「0」のユニフォームを着用し話題になりましたが、ここでもう1つ話題になったのが、バッターボックス後方にある「甲子園歴史館」の広告ロゴです。

 日本の方は「台湾野球に何で甲子園?」と不思議に思うかもしれません。

■郭李建夫、林威助、鄭凱文…阪神タイガースの台湾人選手

左上に甲子園歴史館の広告(中華職棒CPBL youtube チャンネルから 5月17日 楽天対富邦)

 台湾でも甲子園は有名です。1つには甲子園を本拠地とする阪神タイガースで、多くの台湾人選手が活躍したことがあるのでしょう。過去に郭李建夫(在籍1993-1998)、林威助(2004-2013)、鄭凱文(2009-2012)、現在は呂彥青(2018-)が所属しています。

 「甲子園歴史館」はその名の通り、甲子園球場内にあります。台湾からの来館者は年間約1万6000人(阪神タイガースHPから)と多く、それもあって2016年から阪神タイガースの主催試合で「台湾デー」を開催することになりました。

 昨年は6月19日、20日の交流戦(楽天)で実施。最近、日本でも人気が出ているチュンチュン(本名:呉函峮)らの中華職棒CPBLのチアリーダーとのコラボ活動や、台湾グッズやグルメ提供などでファンを喜ばせています。

 今回の甲子園歴史館の看板掲載については富邦ガーディアンズ側から申し出をしたということです。無償での掲示らしく、陳昭如オーナー補佐は「日本のプロ野球にエールを送っている。甲子園球場で野球が開催される日を楽しみにしている」と述べました。

■甲子園の認知度高めた映画「KANO」

 甲子園を有名にしたもう1つの要因は2014年の映画「KANO」(馬志翔監督、魏德聖製作)でしょう。今から89年前の1931年(昭和6)の夏の甲子園(第17回全国中等学校優勝野球大会)で、当時、日本統治下にあった台湾代表として出場し準優勝した嘉義農林学校(現国立嘉義大学)野球部の活躍を描いた作品です。映画の記録的ヒットにより多くの人が甲子園を認知し、甲子園博物館の来館者の増加につながっているようです。

 「KANO」には、当時の台湾南部の嘉義で嘉南大圳(かなんたいしゅう=ダムを含む農水施設)建設に取り組んでいた日本の水利技術者八田與一氏が登場します。演じたのは大沢たかお氏です。

 嘉南大圳は1920年に着工、10年の歳月をかけ1930年に竣工しました。この水利工事により建設された烏山頭ダムと二水系(曽文渓と濁水渓)の接続、そして細かくはりめぐらされた水路の設置によって、灌漑施設の不足のため常に旱魃の危険にさらされていた嘉南平野は台湾有数の穀倉地帯に生まれ変わったのです。

 八田與一氏は1942年灌漑調査のため船でフィリピンへ向かいますが、同年5月8日、アメリカ軍潜水艦の攻撃により撃沈され亡くなりました。そして外代樹夫人も終戦直後の1945年9月1日、夫の建設した烏山頭ダムで投身自殺を遂げたのです。

 烏山頭ダムの傍らには自らが指揮し作り上げたダムを見下ろすように八田氏の銅像が設置されています。この銅像は嘉南大圳の竣工により恩恵を受けた住民が制作したもので、1931年に設置されました。その後、台湾を接収した中華民国政府は蒋介石政権時代の1949年から、日本統治時代の建物や石碑、像などを取り壊し始めました。しかし、八田氏の銅像が破壊されることを恐れた地元の人々はこの像を人目につかないところに隠したのです。その32年後の1981年、銅像は再び元の場所に戻され、今に至っています(以上、八田與一氏関連は台灣史小事典、呉密察著、台北:遠流出版社から)。

■八田與一氏への評価から見える台湾の道徳観

 八田與一氏は今でも「嘉南大圳之父」と呼ばれ、台湾でその功績が称えられています。1997年から2003年まで中学校用国定教科書として用いられた「認識台湾 歴史編」には、日本植民統治時代の農業改革として八田氏の業績に関する記述がありました。

 命日である5月8日には毎年烏山頭ダムの銅像に献花が行われます。日本からの血縁者や知人も参加。過去には陳水扁氏、馬英九氏、蔡英文氏らの歴代の総統も献花に訪れています。今年は嘉南大圳100周年という節目の年でしたが、新型コロナウイルスの影響で日本側の参加は叶わず、規模を縮小しての開催となりました。

 注目したいのは民進党、国民党双方がその功績について共通の歴史認識を持っていることです。政治的立場にかかわらず、一貫した台湾人の認識という点で重要であると思います。私が思うに、日本の台湾統治政策には良い点、悪い点どちらも存在します。政策の全てが植民地台湾の為を考えて行われたのではありません。

 しかし嘉南大圳竣工のもたらした恩恵と八田與一氏の功績は、現在の台湾では高い評価を得ています。ここからは偉人に対する尊敬の念を忘れない台湾人の道徳観、過去の歴史を見つめ、「(もたらした影響が)良いものは良い」という柔軟な考え方を感じ取ることができます。固定観念にとらわれず、合理的な思考法ができると言っていいのかもしれません。

■連想ゲームの終点に「葛西健二」

KANO撮影現場(提供・葛西健二)

 前置きが長くなりました。この100年の歴史に私がどう関係してくるのかという点です。実は私は映画「KANO」に出演しています。嘉義農林学校の教師役として、劇中で野球部の生徒に八田與一氏の灌漑事業への取り組みを力説する役です。

 2020年に「甲子園歴史館」の広告を見た私は、台湾プロ野球ー甲子園ー阪神タイガースーKANOー嘉義農林ー嘉南大圳ー八田與一氏と続く連想ゲームの終点に我が身を置ける幸運を思いました。

 1998年に台湾にやってきた時に、誰がこんな人生を想像できたでしょうか。「甲子園歴史館」の広告を見ながら、一人、私は頰を緩めた次第です。

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