キタサンブラック有馬V 北島三郎さんの思い出

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 北島三郎さんのキタサンブラックが有馬記念を優勝、引退の花道を飾った。G1を7勝、文句なしの名馬、殿堂入りでしょう。個人的に北島三郎さんは応援していたからキタサンブラックの勝利は嬉しいね。

■最初に取材した芸能人

おめでとうキタサンブラック

 実は僕が日刊スポーツに入社して、最初に取材した芸能人が北島三郎さんだった。夏の新潟競馬の時の話だ。どのレースか全く覚えていないが、所有馬が新潟で走ることになり、北島さんは、おそらく公演先から新潟入りした。その方法が新潟空港にヘリコプターだか、チャーター機でやってくるというものだった。

 レースで北島さんの馬は勝てなかったが、帰りも新潟空港からとなったため新人記者だった僕は上司の命令でカメラマンとともに空港まで追いかけた。

 演歌の大御所を前に、半年前まで大学で竹刀を振っていた僕に何ができましょう。あれこれ考えても仕方ないので、空港のレストランでスタッフ数人とともに搭乗を待つ北島さんに恐る恐る近づいて「あのーーー、日刊スポーツですが…」と声をかけた。

■声をかけられたサブちゃんは…

 見た目、ちょっと怖い北島さんだが、意外にも「何だ、ここまで追いかけてきたの?」みたいな感じで気さくに話してくれた。今でも覚えているのは「僕は酒も飲まないし、競馬ぐらいしか趣味がなくてねえ」と言われたことだ。紅白歌合戦で「盃(さかずき)」という歌を歌っていたが、まさか歌ってる人が飲めないとは・・・と笑いたくなった。

 そしてレストランで待つ僕とカメラマンに「せっかくだから、ジュースでも飲んでいけよ」と、ごちそうしてくれた。

 「何て優しい人なんだろう」と感激したものだ。搭乗する前にはカメラマンのお願いに答えてポーズを取ってくれた。記事は「サブちゃん、愛馬応援に自家用機(ヘリ?)で新潟入り」みたいな見出しで、競馬面のトップ記事になった。

 あれから30年以上か。北島さん、そんなことはもう覚えてないだろうな。僕にとっては忘れられない夏の日の出来事だけど。

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