人生70年をドブに 連続企業爆破の桐島容疑者確保か
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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1974年~75年にかけておきた連続企業爆破事件の桐島聡容疑者(70)と見られる男が26日までに警視庁公安部に身柄を確保されたと報じられた。末期がんで偽名を使って入院中で、余命はわずかという。49年間の逃亡生活の末、偽名を使って治療を受けていたもので、どこまで厚かましく、恥辱に塗れた人生であるかを感じさせられる元ゲリラ兵士の終末である。
◾️腹腹時計で示された企業爆破の理由
桐島容疑者は過激派の「東アジア反日武装戦線」の”さそり”に所属しており、1975年4月の韓国産業経済研究所ビルの爆破事件に関わったとされている。同年に指名手配され、その後49年間、行方をくらましていた。駅や警察署の前など、目立つ場所で指名手配の写真が貼られており、「ああ、あいつか」と報道を見て思った人は少なくないと思われる。
その生死すら分からなかった桐島容疑者が1月25日に鎌倉市の病院に入院していると情報が警視庁に寄せられた。事情聴取をした結果、本人が桐島聡を名乗り、「最期は本名で迎えたい」などと供述したと伝えられている(NHK・桐島聡容疑者を名乗る男「最期は本名で迎えたい」男は末期がん)。
報道では余命数ヶ月ということで、逮捕も起訴もされず、されたとしても被告人死亡で公訴棄却(刑事訴訟法339条1項4号)が確実と思われる状況の中、ほぼ半世紀ぶりに自分の本名を名乗ったものと思われる。偽名で神奈川県内の病院に入院していたとされる。
「東アジア反日武装戦線」は、1974年の三菱重工ビル爆破事件(死者8人、負傷者300人以上)から始まり、次々と大手企業などに爆弾を仕掛けた。「日帝本国に於いて、日帝を打倒せんと既に戦闘を開始しつつある武闘派」を同志とし、「戦闘の開始を決意しつつある」者を潜在的同志としている(同団体が発行した「腹腹時計」の一節から)という文言を見るだけで、まともではない思考回路を持った集団であることは分かる。
大手企業に爆弾を仕掛けた理由については、前出の腹腹時計にこのように記載されているのがヒントになる。
「われわれは、アイヌ人民(彼らがアイヌとして闘いを組織する時、日帝治安警察は、在日朝鮮人と対すると同様、外事課がその捜査を担当している。)沖縄人民、朝鮮人民、台湾人民の反日帝闘争に呼応し、彼らの闘いと合流するべく、反日帝の武装闘争を執ように闘う”狼”である。」
「われわれは、新旧帝国主義者=軍国主義者、植民地主義者、帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新旧帝国主義、植民地主義企業への攻撃、財産の没収などを主要な任務とした”狼”である。われわれは、東アジア反日武装戦線に志願し、その一翼を担う”狼”である。」(シリーズ20世紀の記憶 連合赤軍・”狼”たちの時代1969-1975、毎日新聞社、p314)
つまり、戦前から活動していた大企業を攻撃することは、日本の帝国主義と戦うための手段であるから許されると考えているのであろう。このようなイカれた人間に命を奪われた方とその遺族の方の無念を思うと、胸が痛む。
◾️この男の人生は何だったのか
私ごとで恐縮だが、年の離れた姉が1974年8月30日、当時、勤務していた金属関係の会社から東京・丸の内へ出張を命じられ、まさにその日に三菱重工ビルが爆破された。凄惨な現場の映像がテレビで流れる中、携帯電話などない時代、姉と連絡の取りようがなく、両親は姉が爆発に巻き込まれたのではないかと心配していた。夜になって帰宅した姉を家族で(無事でよかった)と迎えたのを覚えている。一歩間違えば、姉も被害を受けていた可能性があった。
筆者の家族は幸運にも厄災を避けられたが、彼らの身勝手な行動で不幸のどん底に突き落とされた家族も大勢いた。桐島容疑者は三菱重工ビル爆破事件には今のところ関与した証拠はないようであるが、仲間たちが行った行為をどう考えているのか、他の爆破事件に関与しながら責任もとらずに逃げ続けることに良心がいたまないのか、人としてわずかな倫理観も持ち得ないのか、70歳になってそうした点に向き合わずに逃げ続ける人生に何の疑問も持たなかったのか不思議に思う。
桐島容疑者は1972年4月に明治学院大学に入学し、1974年12月の鹿島建設爆破事件に関与していると認定されていることから、10代の終わりには道を踏み外していたのであろう。それから50年、人生の大半を指名手配犯として過ごし、逃亡生活の終わりは末期がんで余命いくばくもない状態というのであるから、一体、この男の人生は何だったのかと思わずにはいられない。
前出のように、東アジア反日武装戦線は現在の日本政府も「日帝」として帝国主義的政策を実行していると考え、それを打倒するのが自分たちの使命と考えて活動を続けているのであろう。
ところが、自らが末期がんになり、入院したというのである。偽名で入院、保険証を提示せずに自費で治療を受けていたと報じられている(ANN NEWS・桐島聡容疑者を名乗る男確保 保険証提示せず…身元隠しか)。本当に社会保険を利用していなかったとしても日本の社会保険制度で成り立つ病院に治療してもらっているのであるから、「日帝の社会保障制度で命を存(ながら)えた」と言っていい。
◾️最後まで卑怯な逃亡犯
一部をとらえて全体を批判するのは好ましいことではないが、この類のアナーキーな人々は国家権力を否定しながら、国家権力の庇護を受けて命を存えることが少なくない。日本赤軍のメンバーだった重信房子元最高幹部は、服役中にがんの手術を4回行なっている(週刊文春電子版・日本赤軍・重信房子 “指導者”が明かした「知られざる獄中生活」)。
また、日本赤軍の元メンバーで、映画監督の足立正生氏は生活保護を受けていると報じられている(日刊スポーツ電子版・三浦マイルド、山上容疑者モデルの映画の監督が生活保護受給報道に「俺から言わすとダサいわ」)。それが事実であれば、権力の庇護を受けつつ、反権力の映画を作るという、全く理解に苦しむ言動と言うしかない。
この種の左翼系の人間が社会から忌み嫌われているのは、右とか左とかの思想・信条の良し悪しではなく、人間として最低限備えなければならない倫理観すら持ち合わせていないからという点に気付いたらどうかと思う。
桐島容疑者の「最期は本名で」という言い分に、多くの国民が本音の部分でどう感じているのか分からない。半世紀に及ぼうとする逃亡犯にも人間らしい感情があったと多少なりとも肯定的にとらえる人もいるかもしれない。しかし、筆者は全く違う感想を持つ。
「死期が迫っているから国家権力の裁きを受ける前に死ねる。それなら真実の自分の姿、本名を名乗って死にたい」と感じたから名乗ったのであろう。最後まで卑怯・卑劣な逃亡犯の評価が相応しいと思う。
桐島容疑者に同情すべき点があるとすれば、もし、一斉検挙の際に捕まっていたら、刑期を務めた後に社会復帰して多少なりともまともな人生を歩めたかもしれないということか。もっとも、自身がそれを拒否して逃げ回っていたのであるから、全く無価値の人生にしたのは自らの責任であることは言うまでもない。
桐島聡、本日2024年1月29日に死亡した。
革命という当時の“流行”に乗っかった上で、約半世紀に渡る逃亡生活の末に“潰死”したが、本人はこの人生に満足だったろうか。