八木茂死刑囚だったのか…TV画面で「あいつだ!」
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
最新記事 by 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 (全て見る)
- 「TVの嘘に気付く高齢者」5年前指摘の評論家が新著 - 2024年11月24日
- スポーツ紙消滅で競馬界のカオス 須田鷹雄氏提言 - 2024年11月20日
- 見えてこない導入の必要性 分娩費用の保険適用化 - 2024年11月18日
昨日2月5日に、本庄保険金殺人事件の八木茂死刑囚について書いたが、実は僕は1980年代に八木茂らしき人物を目撃している。八木茂がメディアで話題になった1990年代後半、テレビで彼の姿を見た時に「あいつだ!」と思い、背筋が寒くなる思いをした経験がある。
■ファミレスにやってきた暴力団員風の男
1983年初頭、僕は大学2年の終わりの時期だった。当時、剣道部がシーズンオフということで、埼玉県熊谷警察署の向かいにあるファミリーレストラン「サンデーサン」でホールのアルバイトを始めた。現在は、店舗は「びっくりドンキー熊谷店」になっているが、外観は当時とほとんど変わっていない。
ある日の夜、店舗に行ってホールに立つと、体の大きな暴力団員風の男が3人ほどの女性を連れて席に座っているのに気がついた。随分と大きな声で話し、時に笑い声を上げている。周囲の迷惑など考えないような振る舞いであった。
その客を案内したであろう社員のホール係は、他の客からは少し離れた場所に座らせたようで、それは他の客の迷惑にならないように、店側がよく用いる手法である。
■フィリピン人らしき女性の姿も
その男は周囲を威圧するような雰囲気ではなかったが、飲み屋にいるような感じで騒ぎ、(俺は金を持ってるぞ)といった雰囲気を漂わせていた。何より目立ったのが、派手な衣装に身を包んだ若い女性の姿である。中には当時、目立ち始めていたフィリピンからと思われる女性もいた。
当時、大学生だった僕からすれば、嫌悪感を抱いてしまうタイプの人間が若くて美しい女性を何人も連れて歩いている様子が腹立たしくもあった。若かった僕は(お金を持っているだけで、女性というのは寄ってくるものなのか)と何となく世の無常を感じたのを覚えている。
そういったことから、有り体に申せば「ヤ○○が何を偉そうにしてんだ」というような印象を持ったのである。
■事件現場の本庄市からほど近いファミレスで
1999年頃から八木茂が保険金目当てに殺人を行ったのではないかと、メディアで取り上げられるようになった。その八木茂の姿をテレビで見た時に「あいつだ!」と15年ほど前の記憶が蘇った。
事件の舞台となった本庄市は熊谷市から近く、自動車なら30分もあれば行ける距離である。特に僕がアルバイトしていたサンデーサンは本庄市寄りで、しかも国道17号沿いにあり本庄市から道路一本で来られる。
報道などから、八木茂がスナック経営を始めたのが1980年代初頭だという。そうなると1983年にホステスらを連れてファミリーレストランに行く可能性はある。最初の犠牲者がスナックに来たのは1984年で、すぐにホステスに夢中になったとされるから、1983年当時には既に女性を雇用していたと思う。
何より、その風貌がテレビで見た瞬間に「あいつだ」と感じさせられたほどで、僕は今でもその時の男が八木茂に間違いないと思っている。
大学生だった僕がスナック通いなどするはずがないが、自分が住む街の近くに保険金殺人を行った者がいたことを思うと、今更ながら背筋が寒くなる。
長く生きていると色々なことがある。
》》ジャーナリスト松田様
世の中狭いもんですね。
特に首都東京は、誰もが見えない危険と隣り合わせで生活しているのでしょうね。事件や事故だけではなく、直下地震や河川氾濫などの自然災害も都心に住む以上はリスクを背負わなければならないと思います。
>>MR.CB様
コメントをありがとうございます。
確かに、都会は居酒屋で隣に座っている人が前科○犯なんてこともあるのでしょうね。
ちなみに2016年に八木茂の再審請求を棄却した最高裁第3小法廷の岡部喜代子裁判長は最高裁判事になる前に青学で教鞭をとっていて、僕は家族法を教わりました。世間は本当に狭いと思いました。