日本のマスク買占めに台湾人の怒りの声「中国人は本当におかしい」
葛西 健二🇯🇵 @台北 Taipei🇹🇼
最新記事 by 葛西 健二🇯🇵 @台北 Taipei🇹🇼 (全て見る)
- 台湾Vに熱狂 3ラン陳傑憲のドラマに”涙腺崩壊” - 2024年11月27日
- 台灣隊前進東京 ”12強賽” 初の4強に熱狂 - 2024年11月19日
- 台湾はワクチンの恩忘れず 能登半島地震「義氣相助」 - 2024年1月28日
日本では3月5日にマスクの転売が禁止され、違反した場合は罰則が科される方針が政府によって明らかにされたことでマスク不足は解消に向かいそうです。ネットで「転売ヤー」などと呼ばれる人たちは投売り状態に出ています。こうした状況を隣国の台湾人が事前に予測していたのを日本人は知っているでしょうか。
■台湾は早期にマスク不足を予見
台湾政府は新型コロナウイルス感染の拡大で、マスクが供給不足となることを早くから見越していました。1月31日には国内の全てのマスクを買い上げ、2月1日からはマスクの購入を一人3枚までに制限し、価格も一律1枚6台湾ドル(約20円)に固定する措置を始めました。2月6日からは実名制を導入。これは購入に際し国民健康保険カードに記されたIDナンバーの提示を求めるものです。
同日、衛生福利部のAPP(全民健保行動快易通)に、どの薬局にマスクの在庫が何枚あるかをリアルタイムで知ることができる機能が追加されるなど、「口罩之亂 マスクの乱、マスクショック(今回のマスク不足に対するメディアの呼称)」を抑えるための素早い措置がとられました。
■日本のマスク不足を報じる台湾メディア
台湾ではこのようにマスクの流通に注意し、パニックの発生を抑えることに成功したのです。それゆえと言うべきか、隣国日本でマスクの購入に長い列を作る光景はテレビや新聞で連日、流されました。
日本が台湾のような規制を行っていないため、早晩、薬局からマスクが消えるであろうことは予想されており、メディアやネットでも指摘されていました。
1月22日付の台視新聞(台湾TVニュース)は、中国でマスクが3倍に値上がりしたこと、春節の休みと重なり日本へ向かう中国人が大幅に増えていることを挙げ、日本でマスクが「中客出國掃貨(中国人観光客の出国爆買い)」されていることを指摘しています。
■台湾人が目撃「日本のマスクは全部中国人に持って行かれた」
またSNSやBBSでは同時期から日本のドラッグストアの状況が随時共有され、その後も日本のマスク状況が報告されています。多くの反応は中国人の買い占めについての報告です。コメントを紹介しましょう。FacebookとBBS「批踢踢實業坊」からです。
「大陸人現在開始在海外囤口罩? (中国人は海外でのマスクの買い占めを始めたか?)」
「回國轉賣發大財 (中国で転売して大儲けするんだな)」
「日本中國人一堆 (日本には中国人が大勢いるから)」
1月21日の段階で中国人による買い占めを指摘する声が上がっていたのです。また、日本滞在の台湾人による大量のマスクを本国へ持ち帰る中国人の目撃報告もされました。
「在關西機場看到一小座山的口罩(整箱的),陸客真的很瘋狂 (関西空港で山のようなマスク(段ボールケース入り)を見たよ。中国人は本当におかしい)」
「日本口罩都被中國人搶光了、留一點給日本人好ㄇ (日本のマスクは全部中国人に持って行かれた。日本人にも残してやれよ)」
日本での中国人のマスクの大量購入を伝える書き込みを受け、下のような書き込みもありました。
「還好台灣沒有中國自由行 (台湾には中国の個人旅行客がいないから良かった)」
中国は昨年8月から台湾への個人旅行の渡航許可の発給を停止しています。与党民進党が台湾独立を推進しているというのが理由です。このため訪台中国人は半減し、今回はこれが逆に台湾にとってプラスになったということです。
■中国人の買占めが国内の買占めを呼び込んだ?
日本のマスク不足は様々な要因があるのでしょうが、中国での感染拡大を受け、中国人の買占めで品薄になり、そこへ日本国内で買占めをして一儲けを狙う人たちが出たというのが大まかな流れのように思います。
その流れを事前に読んでいた台湾人の将来を見通す目は、実に鋭いと思いますし見習いたい部分です。それは台湾の人々が長年、中国と向き合い、中国(人)の行動を熟知しているという背景があるのかもしれません。日本も中国との向き合い方を真剣に考えるべき時ではないでしょうか。
》》葛西様
買占めの行動は中国人だけでなく、残念ながら日本人も同じです。程度はさて置き、転売も然りです。
見習うべきは台湾政府の、迅速で適時的確な政治判断だと思います。日本には700名を超える国会議員がいます。にも関わらず、国会では何を論じているのでしょう。今回の新型コロナウイルスは、(私自身も含めた)日本人、そして日本の政治の脆弱さを露呈させたのではないでしょうか。
MR.CB様
台湾の人口は2300万人、国土は九州とおおよそ同じです。
このようなコンパクトさが、迅速化ができる一要素だと思います。
民族性ということでしょうね。
日本でも大手乳業メーカーなどの食品偽装が何件か露呈した時、日本も同じ的な主張がありましたが、
やはり基本的な相違はあるでしょうね。
犯罪者はどこの国にもいます。
比較文化論や文化人類学を持ち出すまでもなく民族性というものがあることは素人にも解ります。
福沢諭吉の韓国にたいする見解や、今度はイタリー抜きでやろうぜ!というやつですね。
お金儲けの神様こと故邱永漢氏も中国での事業展開において注意をうながしていましたね。
御返信は不要です。
>野崎様
僕が以前、中国に出張に行った時に、中国で事業をする日本人に言われたのは「日本と同じ感覚では商売にならない」ということです。北京の下町のマーケットに連れていってもらい、実際にどういう感覚で中国人が商取引をしているのかを見てきました。
国民性の違いは本当に感じます。その意味では台湾人は日本のメンタリティーに近いものがあるのかもしれませんね。葛西氏の原稿はなかなか鋭いところを突いてきているように感じました。
こんにちは
私が中高と学んだ(通学した)クリスチャンスクール桜美林学園の創始者。
清水安三と清水郁子、両名とも在学時健在でした、孫の寛はクラスメイト。
清水安三に関しては小説家、故山崎朋子氏が、朝陽門外の虹、の表題で上梓し、中国語にも翻訳されそこそこ売れたとか。
清水安三は若かりし頃、中国伝道に赴き、児童養護施設的な活動から学園を作り上げ、終戦によりそれは接収され帰国します。
60歳近くから再度学校経営を志し、現桜美林学園に至ります。
骨を中国に埋めて欲しいと望み、軍部、一部日本人からは国賊呼ばわりされた人物です。
その清水安三が、やはり中国人について、これは問題と指摘していた資質があります。
その記載がある書籍が保管してありますが今手元に出て来ません。
清水安三はジャーナリストとしても評価が高く、中国から送るリポートの購読者は相当数いたとか又上梓したものも多くありました。
清水安三が中国で起こした崇貞学園を潰すべく動きがあったとのことですが、天皇陛下からの御課徴金を賜ったことから聖域とされ難を逃れたと、故山崎朋子氏の書籍にもそれがあります。
この清水安三が、いわゆる南京大虐殺といわれる南京事件のおり中国からリポートを送っています。
虐殺などなかった、あったとしたら清水は決してだまってはいない。
北京の聖者と呼ばれた清水安三。
★北京の聖者が明かす南京大虐殺の虚構! といったところでしょうか。
ただ残念なのは、、
昭和14年12月28日
募金の為横浜から出帆、単身渡米の途についた。
ハワイ諸島および北米各地を広く公演して回ったが、ハワイに滞在中、支那事変をめぐる時局論で舌禍、筆禍を招いてしまった。
とりわけ、日布時事紙に長期連載した、日支事変問答が、日本軍を侮辱するものとして外務省から追及され、北京帰着後も長く憲兵隊から迫害された。
当時すでにいわゆる南京事件(昭和12年2月、日本軍が南京占領後に引き起こしたという大虐殺事件)がはたして真実かどうかで争われていたことを知り得る。
編集者
昭和15年1月22日 日布時事
去年の20月ごろ、上海でリタラリィ、ダイゼスト誌(リーダーズダイジェスト)を読んだ。
その中に、日本人は日本の島ではあのように親切で、そして謙虚であるのに、一度海を渡って支那に来ると、どうしてこうまでラフになるのか、、
米国の人々も、いろんな下らぬ酷い恥ずかしい話を聞いたことであろう。そしてそれに対して相当憤慨しているでしょう、多分。
特に南京入城の際には、外国人の記者を共に入城せしめたので、いろんな醜聞が世界各国に伝わったのである。
支那の婦女が狂犬にかまれしごとく遭難したという噂は、本当に我らといえども、切歯せねば居れぬ報告である。
それがジャパニーズテロル(恐怖の日本人)と題する本にまでなっている。
私はそれを英文で支那文でも読んだが、その挿絵に至っては見るに忍びぬ恥ずかしいものであった。
特に遺憾であったのは、宣教師の保護している学校の避難所に集まれる婦女が遭難せしことだった。
ただせめてものことは、女性宣教師に手をかけなかったこと、彼女らは全く安全だった。
1927年の南京事件に在りては、それが内戦であったにもかかわらず、支那兵は各国の領事館やミッションスクールにも乱入して、日本の婦女子はことごとく、米国の宣教師も遭難した。
無論、その時は支那人の女性は一人も辱められなかったのである。
私のよく知る米国の宣教師にHという人がある。
何でも公平にザックバランにいう人だ。
この人にいつか支那の女性が可哀そうだということを、しみじみと語ったところ、Hドクトルは案外冷静だった。
君、自分は前の欧州大戦に参加したが、戦争というものは、みなそういうものだよ。
ただ日本の兵隊は軍規がやかましいので、それが絶無と聞いていたが、まあやっぱりやるなと思うだけのことだ、と言っていた。
支那には治外法権があって、長く西洋人の家は安全であるという観念がある。
民国以来、内戦が起こると、西洋人の家屋の中に避難したものだ。
だからこそ宣教師の家は大丈夫、日本の兵隊さんもここばかりは、よう侵入せぬであろうと考えて、無数の避難民が我も我もと、金〇大学その他に避難したのである。
ところが、
その頼みに頼んだ宣教師達は、兵隊さんを拒むだけの力量が無かった。
そこに悲劇が起こったのである。
私だったら引き受けし以上は、死をもって保護し、たとえ一対万の微力であっても、戦って死んだであろう。
それくらいの意気込みさえあれば必ずや食い止めえたに相違ない。
しかるにそれを傍観してなすがままに任せておきながら、それを本国の人々に宣伝して得意になっているようでは恥ずかしいではないか。
なぜ、私はお前たちを保護できない、力もない、どうか戦場を避けて田舎に行け。
山の中にでも逃げよ、とでもいって聞かせなかったのか。
そうしたら、ああいう事件は起こらなかったろう。
日本の兵隊さんも誘惑に陥ることなく国際関係に暗い影を射すこと少なかったに相違ない。
昭和23年 希望を失わず
より一部抜粋。
ハワイで舌禍、筆禍
大晦日の12月31日
横浜港を船出して米国へ向かった。
ホノルルでは日布時事の社長、相賀安太郎氏の邸を根城とした。
まず中国事情講演会を開催して頂いたところ、日布時事とは事々に対立する日字新聞が私を国賊呼ばわりして、こっぴどく批評した。
そのころホノルルでの映画館に、南京入城の折、日本兵がなせし暴行のニュースが上映されていたし、本屋の店頭には、中国人や白人記者が書いた詳しい報告書がいく冊も並べられていた。
日本の兵隊に限って、そういう乱暴は決してせぬ、と信じている。
再び、YesかNoか、どちらかひとつで返答せよと迫られた。
領事館に出頭を命じられた、領事は送還を命ずる、米大陸へ渡航を許さぬと言い出した。
当時、便衣兵との戦闘があったのは事実ですが、いわゆる30万人大虐殺は無かったことがわかります。
残念ながらレイプはあったことが解ります、しかし強姦殺人はなかったとうかがえます。
大虐殺があったのなら清水は決してだまってはいなかったでしょう。
>私だったら引き受けし以上は、死をもって保護し、たとえ一対万の微力であっても、戦って死んだであろう。
こういうことを公言できる人物であり、卒業生は誰一人その言葉を疑わないでしょう。
当時、この事件に関する書籍が多数あったことがわかります、ニュース映画もあったと、
今現在なぜ残ってはいないのか、
よって、そこには大虐殺など報告されてはいないことが解ります。
御返信は不要です。