川口市在住クルド人に聞く(前編)

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 埼玉県南部の川口市・蕨市などで、在住する外国人が迷惑行為をしているとネットを中心に話題になっている。その多くはクルド人とされることが多い。そこで川口市在住のクルド人のユージェル・マヒルジャン氏(31)に話を聞いた。前編と後編に分けてお伝えする。

◾️トルコ国籍のトルコ人とクルド人

取材に応じるマヒルジャン氏(撮影・松田隆)

 川口市では現在、外国人による迷惑な行為が発生し、住民との間にトラブルが発生している。改造車で暴走する、ゴミ出しのルールを守らない、公園で集まって飲食をする、通りで女性に強引な誘因(いわゆるナンパ)をするなど。こうした行為の多くはクルド人によるものとされる。そこでクルド人社会のリーダー的存在の1人と言えるマヒルジャン氏に取材を申込み、直接話を聞くことができた。

 同氏は1991年、トルコのガジアンテプ県の県都シェヒトゥカミル市のテキルヌンチャムルル村の生まれ。1994年に父親が単独で日本にやってきて解体業に従事。2002年2月、本人が11歳の 時に父が在留していた日本に渡り、地元の小学校に入学した。同年8月にオーバーステイとなって帰国、2004年9月に再び来日、13歳の時から蕨市の機械工場で働き始め、その後、解体業に就いた。2016年4月に解体業の株式会社マヒルを設立。自身はその後、収容され、2018年、27歳の時に仮放免(被収容者について一時的に一定の条件を付して身柄の拘束を仮に解く制度)となった。その状態は今も続いており、仮放免中は原則として就労できないため、株式会社マヒルはそのホームページによると(夫人と思われる)日系ブラジル人が代表を務めている。

 川口市在住は途中の帰国期間を除いても20年近くになる。日本語は話す部分は全く問題はなく、取材は5月15日に電話で、同16日に対面形式で、すべて日本語で行った。話した言葉はそのままだと意味がとりにくかったり、不適切な表現も含まれていたりしたことから、適宜、読みやすい日本語に置き換えた。まず、マヒルジャン氏が主張したのは、川口市などで問題行動を起こしているのはクルド人(Kurds)ではない、民族で分けるとトルコ人(Türk Halkı, Türkler)という点である。

ーーお父さんが来日したのはいつ頃ですか

マヒルジャン氏(以下、マヒルジャン):父は1994年に日本に来ました。最初に来たクルド人の1人です。

ーー最近、来ているトルコ国籍の人はクルド人ではなく、トルコ人ということですか

マヒルジャン:(ほぼ)100%トルコ人です。この前、(5月14日のトルコ大統領)選挙がありましたが、そこで日本にいるトルコ人有権者全員の生まれた地区、名前と生年月日、携帯番号が載っているリストがネットに流れたことで、入手できました。リストには5000人以上の名前がありました。トルコでは苗字でクルド人かどうか分かります。それによると、クルド人は1500人ぐらいでした。現在、トルコ国籍で日本政府に難民申請しているのは5000人ぐらいですが、そのうち3500人ぐらいはトルコ人でしょう。

ーー現在、トルコはシリア難民を多数受け入れていますが、日本にやってきているトルコ人はシリアからの難民ということはありませんか

マヒルジャン:いえいえ、違います。ごく普通のトルコ人です。生活に困って日本に来ているだけです。日本とトルコはビザが不要なので、普通に入ってこられます。

◾️42台の改造車と所有者

 マヒルジャン氏は新たにやってきたトルコ人が日本社会との共生に前向きではなく、トラブルを起こしているとする。2015年以降、特にトルコ人が日本にやってくる例が増えているという。同氏の説明によると、10年ほど前に入管の運用が変更になり、3か月のビザの有効期限内に難民申請をすれば6か月のビザがもらえ、その間、就業ができるようになったとのこと。それ以降、トルコ人が多数やってくるようになったという。

ーークルド人の若者が改造車に乗って暴走し、迷惑をかけているという話はよく聞きます

マヒルジャン:車の改造をする店の店主と話しました。それによると、42台の改造車があり、クルド人(のオーナー)は1人だけでした。そのクルド人の車は、その親と話して鍵を預かり、使えないようにしています。残りの改造車は我々と繋がりのないトルコ人のもので、基本的に20年前にやってきたクルド人とは関係ない人たちです。今、来ている人たち(トルコ人)はトルコのルールで生活しています。そのため、常識が分からない若者が多いのは確かです。親も日本にいれば、そんな車には乗せないと思いますが、親が日本に来ていません。我々がいくら言っても聞かないため、42台の改造車は若者が「うん」と言うか分かりませんが、(我々が費用をもつから元に戻してくれ)と言っています。

ーー多くの日本人はクルド人が地域のルールに従わない、迷惑な行為をしていると思っていますが、実際はトルコ人がやっているということでしょうか

マヒルジャン:(悪いことはするのは)みんなクルド人と言うけど、クルド人ではありません。常識もルールもマナーもないトルコ人が日本に来ています。彼らはトルコでクラブに行けた、車に乗れた、酒も飲めました。昔、日本に来たクルド人は田舎者で、(改造)車に乗ってないし、酒も飲んでないし、街の生活なんて知りません。最近、トルコに行ったクルド人が街の様子を「地獄みたい」と言っていました。みんなクラクションを鳴らし、音はものすごかったそうです。トルコ人はそういう場所から来ているから、僕らがいくら言っても言うことをきかない子がたくさんいます。麻薬関係をやってる子もいます。

◾️東日本大震災でボランティア

 川口市による「第2次川口市多文化共生指針 改訂版」によると、同市のトルコ国籍の住民数は1382人(2022年1月11日現在)。そこではトルコ人とクルド人の区別はない。実際、トルコ国籍の人間がトルコ人なのかクルド人なのかを判別することは、大学で専門的に当該地域の研究をしている人々を除き、我々日本人には不可能と言っていい。そうした中で「クルド人が迷惑行為をしている」と一括りにされることに、マヒルジャン氏は反発する。

 また、多文化共生について必要な異文化理解に関しても、積極的にボランティア活動を通じて地域社会に貢献しているという自負があるため、クルド人は地域のルールを守らないという言われ方は耐え難いと感じているようである。

 2011年の東日本大震災時にボランティアを開始、2015年の関東・東北豪雨、2016年の熊本地震、2019年の千曲川災害、千葉県の大雨災害などにトラックで救援物資を運び、現地で配布。さらに片付けなどの作業を行なっている。

ボランティアで物資を運ぶ(写真提供・マヒルジャン氏)

ーーどの地域でどの程度の期間、ボランティアをしていましたか

マヒルジャン:東日本大震災の時は気仙沼市で3週間、関東・東北豪雨の時は茨城県の常総市で3日ほどです。熊本地震では益城(ましき)町へ行きました。千曲市や、大雨災害の時はブルーシートなどを持って千葉県香取市に行きました。

ーーボランティアを始めようと思ったのはなぜですか

マヒルジャン:トルコにいたら自分はどうなっていたか分かりません。日本にいるからこそ、今の自分があります。日本に恩を返したいという思いがありました。

 トラックで物資を運ぶ際に、マヒルジャン氏はトルコの国旗ではなく、大きな日の丸をつけて現地に向かう。それは彼なりの日本への恩返しなのかもしれない。後編は地域社会への取り組みと日本への愛、そして入管法改正に関して話を聞く。

後編へ続く)

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