左利き差別動画で蘇る昭和の教育現場

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 左利きの人間への偏見をあからさまにする動画が、話題になっている。動画サイトのTik Tokが初出と思われ、左手で箸を持つ若者に友人と思われる右利きの男性が左手で箸を持たないように注意し、反論すると、以後は食事を一緒にしないなど悪態をつく内容。炎上商法なのかもしれないが、異なる習慣を認めずに排除する姿勢には驚きを禁じ得ない。

◾️左利きに「マジでウザい」

炎上した動画(Tik Tok画面から)

 問題の動画は全編56秒の短いもので、飲食店と思われる場所で2人の若者が話している。カメラと向き合う形で座る男性Aが、カメラ側のBに対して、左利きを注意する。

:いつもだったらいいけど、それは面白いかもしれないよ。でも、ご飯中だけは本当によそう。

:いやいや、何が? 

:左手…左手で飯食うヤツなんていないだろ? それをやめろって言ってんの。

:え? どういうこと?

:もう、もう、これ最後ね、ご飯食べるの。ホント無理だから。

:どういうこと? 意味わからん。普通に左利きだからさ…

:はいはい。

:マジで言ってんの?

:マジだから。マジで言ってんだから。やめろって。気持ち悪いから。

:左利きだから普通に飯、左手で食うだろう。

:マジでウザいから。やめろって言ってんの。

(Tik Tok・左利きだから怒られた

 Aは左手で箸を持つBにやめるように言い、聞き入れられないと、今後、一緒に食事をしない趣旨の発言をしている。最後には「気持ち悪い」「マジでウザい」と感情的なセリフを投げかけている。

 Aは左利きの人間が食事をするところを見たことがないのか、不思議に思う。日本で左利きは11%程度と言われている(NECネクサソリューションズ ビズサプリ・意外と知られていない「左利き」の雑学)。とはいえ、CMなどでは左利きのタレントが起用されている例はそれほど珍しくなく、小栗旬氏や竹内涼真氏が左手で箸を持っている。Aはそうした左利きのタレントをふざけて左手で箸を持っていると思っていたのか、全く理解に苦しむ言動と言うしかない。

◾️炎上目当ての動画か

 あまりのAの身勝手さ、愚かさから考えると炎上目当ての動画なのかもしれないが、仮にそうだとしても見過ごすことができない。世界はもちろん、日本でも地域によって文化や風習の違いが存在し、そうした人々が我々の身近で暮らす時代である。そうした時代に求められるのは多文化共生。その本質は、異なる文化や習慣を互いに理解し、尊重し、受け入れるというものである。

 多文化共生が常に正しい考え方であるとまでは言わないものの、少なくとも文化や習慣が異なるということを理由に排除することは許されない。そもそも多文化共生は異なる文化や習慣を持つ人々の尊厳の尊重であって、基本的人権の尊重に繋がる。自分が箸を持つ手と異なる方の手で箸を持っているというだけで「気持ち悪い」「マジでウザい」と言うことがいかに相手を傷つける、社会通念に反する言動であるということに少しの想像力も働かないとしたら恐ろしい。

 実は筆者も子供の頃は箸は右手で持っていたが、ペンに関しては左利きであった。昭和の時代は左利きは忌むべきものと見られ、小学校1年生の頃から中年女性の担任教師に矯正させられた。「松田君は右手で文字が書けません」と教室で言われ、親に対して「なぜ、この子は右手で書けないんですか」と文句をつけられ、泣く泣く右手で書く練習をした。

 その女性教師は、日頃から理屈っぽい子供だった筆者を目の敵にしており、その言動から「松田は右手で文字が書けない劣った人間」というレッテルを貼られた気分だった。今は使われているのか分からないが、左利きの人を軽蔑の意味を込めて「ギッチョ」と呼ぶ時代であった。

 そんな左利きだった筆者がペンも右利きになったのはある事故がきっかけ。小学校1年生の時に友人の家に遊びに行き、階段から落ちて左手首を複雑骨折してしまったのである。長期間ギプスをする生活となり、使える右手で文字を書くしかない状況に陥ってしまった。その時期に完全に右利きに転向したが、それがなければ今でも左手で書いていた可能性はある。

◾️令和の時代に昭和の遺物のような若者

左利きの男性に希望を与えた麻丘めぐみさん(YouTube画面から)

 これが昭和の時代の教育現場。個性を尊重するのではなく、個を殺してでも全体を揃えることが望ましいという考えが支配的であった。後にアイドルの麻丘めぐみさんが「私の彼は左きき」というヒット曲を出した時は、左利きを個性の一種であるかのように肯定的に扱っていることに、元左利きの自分自身を肯定された気分になったのをよく覚えている。

 こうした話を多文化共生に紐づけて、外国人との共生に持っていくのは牽強付会と言われるのかもしれないが、根本の考えは同じ。本日、日本に住むクルド人の話題を記事にしたが(参照・川口市在住クルド人に聞く 前編)、その反応の中には、とにかく外国人排斥を訴えるものも目についた。

 そのような考えをするのも自由であるが、自分たちと異なることだけを理由に排除することで争いの種となり、まして、自分が他国に行った時に同じ目に遭うことも考えられる。その時に、そのような考えがいかに愚かで危険なことなのかを実感することになるであろう。

 煽りかもしれない動画に関して真面目に文章を書くのも馬鹿馬鹿しいが、もし、前述のAがそのような考えを持っていたとしたら、周囲が注意すべき。個人的には令和の時代に昭和の遺物のような若者の存在を知り、半世紀以上前の小学校時代の思い出したくない記憶が蘇り、不快な気分にさせられた。

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