ウクライナ危機にみる朝日の経年劣化
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が間近とされる。報道によると、1月12日には米国務省が在ウクライナ米大使館の職員の大半に待避を命じた。こうした世界史的大事件が発生しそうな状況を前に、朝日新聞の社説の腰砕けぶりが目立つ。プラハの春、ハンガリー動乱などの際の社説と比較してみると、朝日新聞の経年劣化が際立つものとなっている。
■ロシアのウクライナ侵攻は近いか
朝日新聞は2月4日付けの紙面でウクライナ問題に関する社説を掲載した。ロシアのプーチン大統領がウクライナがNATO(北大西洋条約機構)に加盟しないことの保証を求めている点について「各国には安保政策を自ら決める権利がある。他国の主権を勝手に限定するプーチン氏の対外姿勢は到底容認できない。」としている。
日本の敵基地攻撃能力の保有には反対しておきながら(朝日新聞2020年7月21日社説・敵基地攻撃 乱暴な論理の飛躍だ ほか)、「各国には安保政策を自ら決める権利がある」と主張するのもいかがなものかと思うが、正論は正論である。
問題はこうした正論を主張しながらも、ロシアにも一定の理解を示す点。「米国の責任も重い。ロシア側にも非があるとはいえ、ソ連時代に結ばれた中距離核戦力全廃や迎撃ミサイル制限の条約を失効させたことが、ロシアの疑心暗鬼を強めた側面は否めない。」と米国への批判を加えた。
百歩譲ってウクライナ問題で米国の姿勢に問題があったとしても、それが他国への軍事介入を正当化するものにはならない。もし、米国が「中距離核戦力全廃や迎撃ミサイル制限の条約の失効を無効化する」と言ったらロシアが侵攻をやめるとでも思っているのか、子供でも分かりそうなことが理解できない社説執筆者というのも稀有な存在である。
その上で、「今回を機に、世界の9割以上の核兵器を保有する米ロは、軍縮と軍備管理の取り組みを再起動させるべきだ。中国も含む近年の軍拡路線を転換し、新たな国際安全保障の枠組みを探る契機とせねばなるまい。」とまとめている(以上、2月4日社説・ウクライナ危機 ロシアの主張は通らぬ から)。
「今回」はこれから発生する軍事侵攻であって、まだ発生前である。ロシアが侵攻して自由主義陣営が経済制裁を加え、それに対してロシアがどう出るか、そもそも侵攻を思いとどまるかもしれず、今後の展開は全く予想がつかない。軍縮や国際安全保障の枠組みは全てが終わってからの話で、この時期に軍縮の話を持ち出す意味などない。その点で読む価値がある社説とは思えない。
■ハンガリー動乱時の朝日新聞
朝日新聞が過去のロシア(旧ソ連)の行動についてどのように社説で論じていたかを見てみよう。
ソ連の他国への軍事侵攻といえば1956年のハンガリー動乱が有名。政府に対して国民が蜂起、それに対してソ連軍が侵攻し多数の国民を死傷させたものである。日本でもその評価をめぐって論争はあったと聞くが、当時の朝日新聞は以下のように主張している。
「今日西欧諸国の植民地政策をしきりに非難するソ連が、たとえワルシャワ同盟条約の規定に基いてハンガリア政府が要請したものだとしても、他国の首都で駐留軍を出動させ、流血の一大惨事を展開したことは、暴挙というのほかはあるまい。」(1956年10月26日社説・ブダペストの流血、表記は当時のまま)
「こうした一連の動きをみると、ソ連が自分の好まない、自分から離れ去ろうとする政権の存在を許さないばかりではない。武力によってこれが崩壊を図ったといっても、決して言い過ぎではない。…また、仮りに一歩譲って、”ハンガリアの新政府”からの要請があったのだとしても、ソ連が親ソ政権の樹立をたすけるため、公式の政権を武力によって倒そうとしていることは、動かし難い事実である。これは内政の干渉以上の行為であり、これでは、ソ連のいう”国家間の独立関係”も”平等”もあったものではない。…ソ連は武力を憎む世界の世論の恐しさを知らねばならない。」(1956年11月5日社説・ソ連のハンガリア武力制圧)
まるで産経新聞の社説を読むかのようである。
■ソ連は平和共存の担い手?
続いて1968年のチェコスロバキア侵攻時の社説を見てみよう。ソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍が同年8月20日に侵攻を開始、チェコスロバキア全土を占領下に置いた事件である。軍事行動から2日後の朝刊では早くもソ連批判の社説を掲げている。
「チェコでは…自由化推進への機運は一段と盛りあがりつつあった。が、その基本路線には、ソ連の武力干渉の誘因となるような重大な変化はなにも認められていない。まして、チェコをとりつつむ国際情勢にも、ソ連が指摘する『社会主義陣営に対する脅威』がにわかに強まった気配など、なに一つないのである。」
このように軍事侵攻に理由がないことを明らかにした上で、以下のように続けた。
「それどころか、こうした武力介入の結果、ソ連が営々と築き上げて来た『平和共存』の担い手としての威信と声望はたちまちに地に堕ちるであろうし『ベトナム』の米国を批判すべき道義的立場が一瞬にして失われるであろう…」(以上、1968年8月22日社説・ソ連軍のチェコ侵入を憂う)
「ソ連が営々と築き上げて来た『平和共存』の担い手」という表現に、当時の社会主義が正しく、資本主義に優越するものという風潮を見るかのようである。同時に朝日新聞の報道にもそのような考えが影響していたことをうかがわせる。
さらに2日後の社説でも厳しく批判をしている。
「これは、明らかに第二のハンガリー事件である。ソ連のやったことは、いかに立派な大義名分を打ち建て、どのような釈明を試みようとも、もはやはっきりしている。それは、自分の好まぬ政権を打倒し、代りに自分にとって好都合な勢力を政権の座にすえるために、他国に軍隊を送り込むという途方もない行動であった。」
このようにソ連の行動を100%否定した上で、断罪する。
「これらの挑戦はおろか、他に予想しうるいかなる理由をもってしても、こんどのような武力による大国主義の干渉は、なんとしても許しえないということである。」(1968年8月24日社説・ソ連の大国主義を排す)
以上のようにかなり激しい表現でソ連の行動を批判している。日本語としての稚拙さを感じる部分があるのは、当時は早版の締め切りが昼過ぎ頃だったという事情に加え、社説執筆者がかなり感情的になっていたという事情があったのかもしれない。
■アフガン侵攻でも激しく批判
1979年末にソ連軍がアフガニスタンに侵攻しているが、その際もハンガリーやチェコスロバキアの場合同様に、激しくソ連を批判した。
「われわれは、ソ連のアフガニスタン侵攻を平和に対する脅威ないし挑戦と見る。それは、同国の要請を受けて出兵したといっているが、国家元首のアミン議長が殺害されている以上、ソ連の言い分には説得力がない。国連憲章の集団自衛権を発動したというにしても、それを裏付ける国際的に妥当な理由が見いだせない。重ねていえば、ソ連一国の利害によって他国の政権を変更するような自分本位の行動には強く反対する。ソ連はただちにアフガニスタンから侵攻軍を撤収し、政体の選択をアフガニスタン民衆の自決にまかせるよう要求する。」(1980年1月4日社説・平和を脅かすソ連の軍事介入)
こられの部分だけ見ると、昔は朝日新聞にもわずかながら常識的な判断をする人間がいたということであろう。
そう考えると昨今の朝日新聞は1面からラ・テ面まで、おかしな記事・論調になっているのは残念と言うしかない。そして、昨今の極度の部数減は、伝える媒体の問題だけではなく、伝える情報の劣化という側面があるのかもしれない。いずれにせよ、批判すべき相手にしっかりと厳しい表現で批判していた半世紀以上前の朝日新聞は、今のヌエのような作り手によってつくられる新聞と比較すると遥かにマシである。
チェコ事件に際し、同紙は以下のように社説で述べている。
「われわれは新聞をつくるものとして、特定のイデオロギーにとらわれて事実をゆがめたり、不公正に扱うことのないよう最新の注意を払っている。…それは、事実を、あらゆる角度からながめ、報道していくことである。評論においては、むろん反政府になり反佐藤(栄作首相、当時)になる場合もあろうが、それは政策としての是々非々の判断によることである。」(1968年10月15日社説・新聞人の責任)
ロシア軍の戦車がウクライナの国境を超えた際に、朝日新聞がどんな社説を掲げるかでその現在地が分かると思う。
朝日新聞がWWⅡ当時から偏向していた証左は枚挙に暇がないが、本記事で例示されている旧ソ連の暴挙を扱う社説にはまだ人として当然の常識を身に付けた記者や論説委員もわずかに存在していた、ということだろう。
今やそういった人材が全く存在しないのが朝日新聞。東京五輪の中止を口汚く求めながらオフィシャルパートナーという美味しい立場を降りなかった新聞のみならず、つい先日の社長の経費私物化や東京五輪の際のコロナ禍にありながらカラオケで夜通し騒いだ末に酔っぱらっての奇行が記憶に新しいテレ朝、グループ会社の雑誌編集部、ひと目に朝日の媒体と分かりにくいネット記事専門の部署など、朝日新聞グループは等しく著しく腐敗しているのだが。
ロシアがウクライナに侵攻すれば、
いわゆる“電撃戦”で首都:キエフは3日以内に陥落する。
※ウクライナに強固な防衛陣地(WW2で当時のソビエト/ロシアの侵攻を防いだ、フィンランドの“マンネルヘイム線”の様な)は無く、動員兵は最早近代戦では役に立たないから。
ロシア軍がウクライナ国境西端まで進む事はないだろう、逆にNATO軍が“保護侵攻”?して、オデッサ市(ウクライナ西南で一番の大都市)を確保するかもしれない。