日刊スポーツ野球記者パワハラ 80年代から

The following two tabs change content below.
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 日刊スポーツ新聞社の野球部に所属する記者2人が、わいせつ動画に関与し処分されていたと報じられた。週刊文春3月6日号が報じたもので、それ以外にもパワハラがあり、後輩の記者に暴力を振るって骨折させたとされる。日刊スポーツ出身者である筆者も野球部の先輩記者から嫌がらせを受けたことがあり、今でもこんなことが続いているのかという驚きと、新聞という媒体そのものが存亡の危機に瀕している時期に、かつての悪弊が続いているという現場の危機感の欠如ぶりに暗澹たる思いになる。

◾️パワハラにセクハラの現場

週刊文春の誌面

 日刊スポーツ新聞社の野球担当のA氏(エース記者)と、その上司であるB氏(国立大サッカー部出身)の2名について、以下のように伝えられている。

(1)プレミア12の決勝戦(2024年11月24日)の打ち上げでA氏が後輩のX記者に知人女性にテレビ電話をかけさせ、画面越しにXの陰部を露出させた。B氏もその場におり、AB両名は停職1か月の処分を受けた。

(2)2024年の春季キャンプで後輩記者を連れて那覇市内の居酒屋へ行き、疲れて帰ろうとした後輩記者をA氏が殴り、B氏が蹴った。後輩記者は肋骨にヒビの疑いと診断された。

 また、他紙の記者の話では、A、Bと巨人キャップ(読売巨人軍担当の現場責任記者)の3人のパワハラは社外で有名であったという。さらに停職処分が明けた際には野球部長は「『一般的に鑑みて、許されない事態』としつつも『クリーンナップを打つ人だから温かく迎え入れてほしい』と説明がありました。」と語ったとされている(以上、週刊文春2025年3月6日号から)。

 昭和の時代でも許されなかったはずだが、令和の今、このようなことをする記者がいることに驚きを禁じ得ないが、それ以上に信じ難いのが野球部長の話である。週刊文春に書かれていることが本当であれば、同部長は「行為は許されないが、この2人は仕事ができるから、温かく迎えて」、もっと言うなら「行為に対する責任が仕事の出来・不出来に左右される」と言っているに等しい。「クリーンナップを打つような」記者、つまり組織全体に影響力が大きい社員であれば、通常の社員よりも高い倫理観、遵法精神が求められる。

 それを「仕事ができるから大目に見てやってよ」と同趣旨の話をするのであるから、被害者は二次被害を受けたように感じるのではないか。このレベルの発想をする人間が管理職でいることが問題の根幹にあるように思える。

◾️体験したパワハラ被害

 日刊スポーツの野球部がこのような体質であることは、1985年から2014年まで同社に在籍した筆者は身をもってわかっている。入社した1985年に3か月程度であるが、野球部で研修していたが、その時の先輩記者の新人への扱いは酷いものであった。

 筆者の前年入社の社員が野球部での業務をしているうちにノイローゼになり退社していたという話は、聞かされていた。それもあってか、当初、野球部で研修とされたのは新入社員で唯一体育会出身の筆者であった。

写真はイメージ

 まずはプロ野球、西武と巨人を中心に回された。ある時、多摩川で取材中に先輩記者に言われてグラウンドにいたら、本社から手配されたハイヤーで3人の先輩記者は帰社してしまい、筆者が一人残されるということがあった。会社に電話して上司にどうすればいいかを聞くと「戻ってこい」と一言だけ。

 ハイヤーに乗る時に「松田、行くぞ」と言ってくれればすぐに乗り込めるものを、嫌がらせなのか筆者の近くを通って走りすぎるという仕打ち、それで新人を鍛えているという意識であったのかもしれない。(こうやって1年上の人はノイローゼ状態になったのだろう)と思わされた。

 それから何日か後のこと。バックネット裏の記者席で試合の取材をしていた時に、グラウンド上で観衆がどよめくようなプレーがあった。思わず筆者も「おぉー」と声を漏らしたら、先輩記者からいきなり後頭部をはたかれた。「いてっ」と言って先輩記者の顔を見ると「ファンみてえな試合の見方をしてんじゃねえ」と一言。

 当時は筆者も血の気が多かったので先輩記者の顔を睨みつけたところ、先輩記者は目を合わせようとしてこなかった。記者室の中が静まり返ったから、周囲も我々のやり取りに注目していたのであろう。それ以後、先輩記者は手を出すことはなかった。

 ある時、NHKのサンデースポーツスペシャルという番組でキャスターをしていた星野仙一氏が編集局にやってきた。この時、いつもはふんぞり帰っている先輩記者たちが、へつらうような笑顔で次々に挨拶する姿を見て、筆者の中で完全に野球部の先輩記者への敬意が失われた。入社1年目の最大の学びは(こういう記者、こういう人間にはならないようにしよう)ということであったのは、今になって思えば得難い教訓であったかもしれない(参照・暴力行為の中田翔選手を「愛すべき」と書く記者)。

◾️素晴らしい先輩記者もいた

 もちろん、日刊スポーツにも素晴らしい先輩はいる。文章表現力では抜きん出た存在で、テレビでも活躍し、後に江戸川大学で教授となる後藤新弥さん(参照・スポーツ紙の発行部数激減 深刻な人材流出)、競馬の本紙予想を長く務め、筆者を温かく見守ってくれた堀内泰夫さん(参照・ありがとう堀内泰夫さん 日刊スポーツ本紙予想)、新人研修で「取材対象からの利益供与は拒否しなさい」と戒めた芸能関係の取材が長かった小林秀夫さん(参照・ジャニーズ性加害 スポーツ新聞の無反省)らは尊敬する先輩記者であった。

 また、取材対象も、西本聖氏(現解説者)や原辰徳氏(後に巨人軍監督)、藤田元司氏(元巨人軍監督)らは1年目の記者に優しい言葉をかけてくれた。当時テレビ朝日のアナウンサーであった松苗慎一郎氏(現テレビ朝日アスク代表取締役社長)も同様であった(参照・唯一、僕に優しく接してくれたテレ朝アナ1985)。

 尊敬できる先輩記者や、優しい取材対象の存在が、自社の野球部の記者の振る舞いの異常さを際立たせる。週刊文春は日刊スポーツの中でも野球部は特にそうしたパワハラ体質があったとしており、筆者は記事を読んだ時に(80年代からの悪しき伝統がまだ続いていたのか)という思いが浮かんだ。

◾️未来への危機感の欠如

 今回、処分された2人の記者がどういう新人教育を受けてきたのか、どういう職場環境で働いているのか分からないが、おそらく、悪しき伝統が「良き風習」と解釈されて生き続けているのであろう。

 個人的には、2人の記者や野球部長が現状に危機感を持っていないであろうことに一番の不安を感じる。2024年のスポーツ新聞の発行部数は前年から12.9%減となった。ここ10年で半減という凄まじいシュリンクである(日本新聞協会・新聞の発行部数と世帯数の推移、参照・スポーツ紙過去最大の12.4%減 廃刊ラッシュ間近)。

写真はイメージ

 数年以内に(紙媒体としての)スポーツ新聞は消滅すると見られるが、そういう中で新人記者を殴り、蹴り、セクハラまがいの行為をしている、そしてそれを上司が「エース記者だから」とばかりにかばう。彼らの言動から現状に関する危機感は全く感じられない。

 エース記者としての矜持はあるのかもしれないが、彼らが紙面の中心的な記事を書き続けた結果、発行部数が10年で半減したことをどう受け止めているのか。その売り上げの落ち込みをネットでカバーできているのか、自身が読者離れを加速させた可能性はないのか。

 今までどおりのやり方ではジリ貧、やがて命脈が尽きるという危機感を持つべき時なのに、現場ではパワハラにセクハラ。日刊スポーツの行く末を1人のOBとして不安に感じている。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です