山本太郎氏界隈へ「学んで目覚めよ」
石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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◆壊すことは誰でもできる
東京都知事選が7月5日に終わった。私は支持しないが、事前の予想通り小池百合子都知事が再選を果たした。ただ無風の都知事選で、私がうんざりしたことがあった。山本太郎氏が落選したとはいえ約65万票も獲得したこと、そして過激になる取り巻きの人たちの行動だ。
もちろん政治問題で誰を支持しようと自由だ。けれども山本氏は政治家の中でも特異な異様さを持っている。彼は福島原発事故の問題で健康被害をめぐるデマを拡散。極左暴力集団や過激派と反原発などで共闘した。それなのに2013年に参議院議員に当選した。ただし、山本太郎氏の政治家としての業績を、私は一つもないと思っている。「政治家としての業績」とは、公の制度や仕組みを作り、人々を動かし、社会に良い変革をもたらしたという意味だ。
山本氏は奇妙な「日本財政は大丈夫論」を掲げ、今回の都知事選でも財政出動を主張した。都民全員に10万円を配り、東京五輪を中止すると公約に掲げていた。そんなことをしたら東京都への信頼は崩壊し、財政は簡単に破綻するだろう。
彼の姿を見て「社会を前進させたり、新しい事業を立ち上げたりできる人は少ないが、壊すことは誰でもできる」と、昔から繰り返される事実を再認識した。
◆歴史で繰り返される「壊す集団」の発生
興味深いことがある。山本太郎氏は、以前の過激な行動や言説からは多少穏健になった。それよりも周囲の支持者が過激になっているように見える。社会に不満のある少数者が山本氏のところに集まっている気配がある。
「なんで落選するのか」「不正選挙だ」「日本の民度は低い」―。S N Sをたどると、山本氏落選の選挙結果に支持者たちがこのように怒り、社会を呪っていた。普通の認識能力があれば、山本氏が当選しないことは明らかなのに、とても不思議な人たちだ。そして山本さんに批判的なコメントをする人たちを叩いていた。
ただし、驚きはない。歴史を知る人は、同じような光景を本の中に見つけるはずだ。自分の至らなさを考えず、なぜ自分たちが社会に受け入れられないのかを冷静に分析せず、批判や非現実的な主張を押し付け、中には社会を破壊しようとする過激な人たちが、いつの時代にも必ずいる。
「若者に国を憎ませなければならない。革命を起こしやすくするために」と、ロシア革命の指導者レーニンは言ったという。山本氏の周辺の一部の人たちの日本や既存政治家、現在の体制への憎しみは凄まじい。悪魔的な面のあったレーニンが喝破した通り、憎しみによって社会を変えようとする人たちはいるのだ。
◆社会を守る「教育」の必要性
こうした思想の押し付けや、破壊を志向する政治活動家は、私たち静かに日常を暮らしたい大半の「普通の人」には迷惑だ。しかし困った政治活動家は、必ず騒ぎを起こし、私たちを巻き込もうとする。
どう向き合えばいいのだろうか。過去多くの人が思索を重ねており、私のような浅学非才の出る幕はないが、合理的な民主主義での意思決定を考え続けたアメリカの制度が参考になるかもしれない。
米国は人工的な民主主義国家を1776年に作った。大統領の権限は非常に制約されている。トランプ大統領が好き勝手できないのを見ればわかるだろう。予算と法律の決定権は議会にあるし、裁判所の権限も強いし、各州に行政上の権限は分散されている。民意が政策化されるまで、何重にもチェックが行われる仕組みになっている。
その制度設計者で、思想家、教育者でもあった第三代大統領のジェファーソン (1743-1826)は、民主主義を否定はしないものの、民意を慎重に扱うことを考えていたようだ。次のような言葉を残している。
「最善の政治形態のもとでさえ、権力を委ねられた人は、時が経つにつれて、その政治形態を暴政へと変えてしまう。これを予防する最も効果的な手段は、民衆一般の知性をできるだけ実際的に啓蒙することである」
「教育のみが民主主義を守る。教育のない民主主義は無意味である」
自分たちが利害を持つ政府を、構成員が熟議を重ねることで適切に運営することを民主主義政体では期待する。しかし、それは賢明な人が関わらなければ、即座に衆愚の器に堕落する。こうした危機意識がジェファーソンなどアメリカの建国の父らにはあった。
アメリカの物理学者で教育エッセイでも知られたカール・セーガン氏(1934-1996)の『悪霊にさいなまれる世界-「知の闇を照らす灯」としての科学』(新潮社)という本で、ジェファーソンの言葉を繰り返し引用する。この本でいう「悪霊」とは人間を束縛する、そして身近にある非科学的な概念や、社会を混乱させる迷信や誤った因習の総称だ。それを取り除くさまざまな工夫を述べた後で、セーガン氏は次の結論にたどり着く。
「すべての国で、科学の手法と、権利の章典(米国憲法の人権規定)の意義とを子供たちに教えてゆかなくてはならない。品位も謙遜も、共同体意識も、そこから芽生えてくるだろう。悪霊に憑かれたこの世界で、迫り来る暗闇から我々を守ってくれるのは、ただそれだけかも知れない」
民主主義は華やかな選挙だけで動くのではない。前提に教育、それによって学び賢明に活動する市民の存在が必要なのだ。
米国は今、人種差別反対の暴動が吹き荒れているが、ジェファーソンを記念した銅像が各所で壊されている。彼は奴隷制に反対したが、経済的には裕福ではなく、奴隷所有を続けた矛盾する行動をした。それを責められている。「偽善」は確かに批判されるべきだが、ジェファーソン像を壊す暴徒の姿を見ると、彼の危惧は正しかった面があると思う。
◆迂遠に見えても、人々の見識の質を高める
このアメリカの200年前の知恵は、セーガン氏の指摘の通り、今でも生かせるだろう。学びを奨励することで、社会を構成する人々の見識の質を高めることだ。
私は山本氏とその周囲の人たちに、おかしな騒動をやめてほしいと願う。少し考えれば何の役にも立たないと分かる政治主張や過激な批判で、社会を混乱させないで欲しいのだ。特に目立つ山本太郎氏だけではなく、無意味な政治主張を繰り返すあらゆる人にも、同じことを言いたい。
そして政治や社会変革を語る人は、自分にその資格があるのか、ジェファーソンの言葉を噛みしめながら自省するべきだ。社会に意味がある適切な主張でなければ、力にはならないだろうし、なるとしても一瞬だ。
もし社会に不満があるなら、自分の身の回りの小さな世界を変えたらいかがだろうか。まず問題と思うことを深く学ぶ。それが全ての始まりとなる。多くの場合、その問題がなぜ存在するのか、そして向き合う自分の力不足が見えるはずだ。天下に向かって大言壮語をして何も動かせないより、自分の力を蓄え、できる範囲のことを行う方が、小さくても確実に社会を変えられる。
それでも困った活動家たちが、社会的対話を拒否し、意見の押し付けや、社会の破壊を志向するならば、その人たちを孤立させなければならない。そうした孤立は、市民が高い見識をもてば自然と行われる。「これが答えだ」「これで儲かる」という魅力的だが危ない言説に、人々が政治的にも、日常生活でも飛びつかないようになる。過激な言説が無視され、力を持たなければ、自然と社会の混乱は避けられるだろう。
幸いなことに、今回の都知事選挙では、山本太郎氏界隈は得票が多かったが、伸びる勢いは一服している。右も左も、極端な主張をする人たちは、票がそれほど伸びなかった。極端さを求めない、日本社会の健全さが現れたのかもしれない。
ただし、こうした平穏は崩れやすいものだ。社会を乱す甘い言葉への免疫を強めていかなければならないだろう。教育によって市民の質を高めるという、18世紀に考えられた社会を守る対策が、遠回りに見えても最善なのかもしれない。
こうした言葉が、困った人々に届けばいいのだが。
石井孝明 ジャーナリスト
こんにちは
教育の意味にもよりますが、
バカを利口にするという意味では無効だと思います。
バカを利口にはできない。
バカと人格は無関係ですね、馬鹿でも温厚な善良な者はいる、頭の良い悪もいる。
近代国家の構成要件を破壊し自由を奪おうとする勢力が存在する、その中で突出した者達がいるということだと思います。
教育としては、近代国家の、その価値、自由の尊さを徹底して広範に流布し社会的意識として確立することだと思います。
自由の価値を認識できるのは、あるレベルの人間だけです、破壊者達を押さえ込んでいかなければならない。
破壊者達の一見正論、その裏に隠されている破壊願望を看破する、できる、その為の導きが必要であり、その具体としては、現代のツール、インターネットによる情報発信、情報戦にあると思います。
そして今、ジャーナリズムのあり方が問われていると思います。
近代国家を形成した価値観はキリスト教によるものだと思っています。
比較文化論において日本人は宗教及び規範を有しない、との評価がありますが、日本人は何故人を殺してはいけないのか? の論理が構成できない、わからない、人権ということもわからない、天賦人権説などの意味不明の論拠などが出て来る。
よって近代国家の構成要件の一つである民主主義、多数決原理は日本人にはなじまない。
全員一致で、圧倒的多数で自由、人権を否定する危険性も生じる。
失礼しました。
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