「頑張らなければならない」空気の怖さ

The following two tabs change content below.
石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

経済・環境ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒、時事通信社記者、経済誌フィナンシャルジャパン副編集長、アゴラ研究所の運営するエネルギー問題のサイトGEPRの編集担当を経て、ジャーナリストとエネルギー・経済問題を中心に執筆活動を行う。著書に「京都議定書は実現できるのかーC O2規制社会のゆくえ」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。

 最近、心配なことがある。最近の20代、しかも有能な人々と会うと「しなければならない」という言葉を頻繁に聞くようになった。いつの時代も若い人が繰り返す言葉だろうが、その回数が増えているように思う。

 「人生は意義がなければならない 」「良い仕事に就かなければならない」。「大企業に就職しなければならない」「私は自分を高めなければならない」などなど。日本社会に諦めのムードが漂い人生を投げてしまった人がいる。一方で、上昇志向を持つ人には、余裕がなくなっているのだろう。本当に「しなければならない」人生は幸せなのだろうか。

◆ワタミ過労死事件を振り返る

写真はイメージ

 旧聞に属する話かもしれないが、飲食を中心にしたワタミグループで、長時間勤務を繰り返した26歳の女性社員が2008年に自殺した。この問題で、12年2月に過労による労災認定が下りた。気の毒な話で亡くなった女性に心から哀悼の気持ちを表明したい。

 この事件をめぐってワタミの創業者で現会長の渡辺美樹氏が、労災認定直後に書いたTwitterの投稿が波紋を広げた。

 「労災認定の件、大変残念です。四年前のこと昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです。」

 この書き込みに私は戸惑った。 そして、この投稿は当然のことながら炎上した。本当に社員は幸せなのか。労務管理は大丈夫だったのかと疑問が湧いた。この発言をきっかけに、渡辺氏にさまざまな批判が噴出。渡辺氏は、2013年に自民党から参議院議員に当選したが、19年の選挙には出馬せず、ワタミに戻った。有能な方なのに、政治の世界でそれほど業績があげられなかったのは、社会からの批判のせいだろう。

 渡辺氏への批判は、やや感情的な面があった。ただし、こうした悲劇が渡辺氏の周囲に起こりやすい状況であったとは、推測できる。

◆きつい言葉「私と同じように頑張れ」

 私は渡辺氏には2度、記者として取材で面会した。表面的な分析かもしれないが、その感想を述べてみよう。とにかく「すごい人」だった。

 私はオカルトを信じない人間だが、彼からは明るい「オーラ」、エネルギーを感じた。 本当の心は見透かせないが、知る限り善意にあふれた良い方だった。言葉と行動が乖離(かいり)していない。この外食不況化で、損益を均衡させ、会社を成長させることは素晴らしい経営手腕だ。 しかも取材した記者に、サイン入りのお礼の手紙を送ってきた。もちろん皆にそうしているのだろうが、気配りにも驚いた。経済界で、彼を悪く言う人はいない。

 別件で渡辺氏だけではなく、ワタミも取材したが、立派な会社だった。社是は渡辺氏の考えた「地球上で一番ありがとうを集める会社になろう」というものだ。働く人は礼儀正しく、自分の仕事を誇らしげに話していた。

 しかし、渡辺氏について、いろいろ考えさせられる話を聞いた。彼の創業から最近まで幹部にいた方と、中堅幹部でワタミを退職した方と、たまたま出会い、また別件の取材で話したことがある。以下、 内容を少しぼかす。

 2人とも渡辺氏のことは決して悪口は言わず、尊敬の念を示していた。しかし社内の経験には言葉が少なかった。2人とも会社を去った。幹部は過労のようだが、病気になって退職していた。

 そこで社内の雰囲気を聞いた。渡辺氏は気配りが細かく、仕事の詳細な報告を求める。苦労する社員に渡辺氏は、正論で諭し、そして励ますそうだ。

「頑張れ、君ならできる。俺だってやり遂げたんだ」と。

 実はこれはきつい言葉だ。 渡辺氏のような、仕事のできる「完璧人間」には、誰もがなれるわけではない。退職の理由をこの2人の退職者は口を濁していたが、おそらく完璧人間と一緒にいて疲弊したのだろう。しかも、相手が「正しい」ので、それを他人に言うと、弁解じみて聞こえるから黙ってしまったのだと思う。完璧な渡辺氏はこうした普通の人の苦しみを、理解できないのではないか。

◆カリスマ的指導者に束縛された私の経験

 実は私にも、同じような経験がある。木村剛氏という人物がいる。竹中平蔵金融財政担当大臣と2004年に金融再生プランを作り、2010年に破綻した日本振興銀行の経営に関わった金融コンサルタントだ。私は彼の経営する雑誌の副編集長として働いた。

 彼は有能で、頭がきれ、無限に働く、「すごい」人だった。整理された説得力のある文章を書き、発言も素晴らしい。そして自分の行動で、同志と共に停滞する日本を変えたいと、本心から願っていた。歪んだメディアを正すために雑誌を作り、「石井君、頑張ろう」と、私の仕事を評価してくれた。私は心酔し、一時無限に働いた。彼は傲慢で野望に満ちていると変な情報が流れた。しかし、それは誤解だ。彼は本心から日本をビジネスで変えたいと望んでいた。

 私は銀行には全く関係していないのでその是非は知らない。銀行を破綻させた木村氏の行為は批判されるべきだし、迷惑を受けた方は気の毒に思う。しかし私の彼への尊敬の念は変わらない。

 私は、木村氏と共に働いた3年半に、さまざまな有意義な経験ができたし、自らの実力が伸びたことや良い記事を書けたという記者の仕事の喜びを感じた。これは木村氏のおかげだ。だが…。3年半が経過すると、私は疲れ切ってしまった。熱狂も覚めた。そして木村氏の会社を辞めて独立した(独立も大変だったのだが、機会あったら話そう)。ワタミを辞めた二人は、「立派な人」から逃げ出したことに、自分が負い目を感じ、自分が辞めた理由を話すと、自分が悪いことをしたように思って、詳細に話さなかったのだろう。私も同じだった。

◆同調圧力が個人に加わる

 私は、企業や組織、そこに属する人々のさまざまな「出世」と「没落」を、記者として外から見てきた経験がある。 冒頭の例の女性が過労自殺するほど思い詰めた状況は部外者にとって、不思議に思える現象だろう。しかし、こういう状況は日本の各所で起きている。

 成果を出している組織には一体感、そして勢いがある。それが成長とか、大もうけ、成功などの成果によって生まれる場合がある。しかし、それは個人でも、組織でも消えやすいものだ。

 組織の創立者の中で賢い人は勢いをコントロールしようと、理念を重視し、組織の中に埋め込んでいく。それが、渡辺氏や木村氏のようにトップの個性が濃厚に反映された形で出る場合がある。

 ワタミは、渡辺氏のビデオメッセージを頻繁に各職場に送り、理念研修を年何回か行い、 理念を植え付けるミーティング、研修文章の配布を繰り返すという。私の上司だった木村剛氏は、いつも熱く、日本経済や金融の未来について語っていた。そうした中で高揚した感覚に働く人は、包まれるのかもしれない。現に私はそうだった。

 しかし、それは長続きしない。経済活動の中で成果は浮き沈み、勝ち続けるとは限らない。働く人は疲弊してくる。同調することそのものが苦痛になってしまうこともある。人間的な迫力に満ちた上司に迫られた場合にはなおさらだ。

 ワタミの例で示した女性社員は「しなければならない」という命題に満ちた組織、そして その状況に取り囲まれた時に、逃げられなくなってしまったのではないか。私や前述のやめたワタミの 社員がそう感じたように。

 「人間が状況を支配できるのは一瞬のみ。残りは状況に人間が 支配される」(ニコロ・マキャベリ、フィレンツェ・ルネサンス期の政治思想家)。私たちは集合意志に取り込まれてしまう。そして社員が抑え込まれ、疲弊が始まり、組織がおかしくなってしまう。社会や国を動かす空気が知らず知らずのうちに歪めば、私たち全体がおかしな流れに巻き込まれてしまう。

◆「しなければいけない」束縛から逃れよう

 カリスマ的指導者の下で、もしくは組織の束縛の中で、それに従う人生は、渦中にいると、その危険性がわからず、自分を傷つけてしまうことがある。ワタミと私の経験から、もし苦しんでいる人がいるなら、その危険は知って欲しい。

 そして社会全体にも、問いを投げかけたい。理想を掲げ、人々が熱心に働く組織や会社、それを社員に訴える経営者がいてもいいと思う。しかし、それに同調しない人々がいてもいい。他人に余裕のある社会、会社が増えるべきだと思う。人々の幸福の追求は、それぞれの人の課題であるべきだ。他人が介入するべき話ではない。

 私にとって、記者としてがむしゃらに働いた経験は、いい思い出になっている。一方、別の人生もあったのではないかという残念な思いもある。自分の道のりが正しいか、悪いかは自分でもわからない。簡単に答えを出せないのが人生であろう。カリスマ指導者や組織、そして社会や国が示す「幸せ」が正しいのか。受け止める際に、一人一人が考えるべきではないだろうか。

 そして仕事の束縛に苦しんでいる方がいれば言いたい。 「あなたは十分頑張っている。手を抜いていいのではないか」と。落ち着いて考えるべきこと、そして別の選択肢があることを教えたい。

4 thoughts on “「頑張らなければならない」空気の怖さ

  1. アバター MR.CB より:

    》》ジャーナリスト石井様

    〈カリスマ的指導者の下で、もしくは組織の束縛の中で、それに従う人生は、渦中にいると、その危険性がわからず、自分を傷つけてしまうことがある。ワタミと私の経験から、もし苦しんでいる人がいるなら、その危険は知って欲しい〉

    まさにおっしゃる通りだと思います。
    状況に人間が支配されて、自らの思考が混乱して、判断力がコントロール不能になるということでしょうか。
    機会があればぜひ渡辺氏に、「従業員の多くを占める普通の人の苦しみを、理解できないのではないか」の疑問を取材され記事にして頂きたく願っております。

  2. アバター 月の桂 より:

    こちらのサイトの様々な記事を読ませて頂き、知識を増やしている日々です。
    石井様の記事へは、初コメントとなります。

    〉「あなたは十分頑張っている。手を抜いていいのではないか」と。

    *****
    たぶん、彼らに手を抜く選択肢は無いのだと思います。手を抜く=職場でのポジションを失うor離職に追い込まれる、その恐怖で、走り続けてしまうのだと思います。

    波乗りにも似ていますね。
    上手い具合に波に乗ったつもりが、どんどん沖に流され、気がつけば、岸には戻れなくなっていた…。

    長時間労働による過労自死が報道される度に、死ぬくらいなら辞めればいいと言う人がいますが、辞められない現実があることも知って頂きたい。新卒採用で入った先がブラック企業だったとして、辞めた先に何が待っているか… 短期離職は履歴書的にもマイナスイメージとなり、以後は、非正規でしか働けないのが現実です。そこには、有期雇用を繰り返す人生が待っています。常用雇用は、簡単に手放すことは出来ないのです。

    奨学金を利用していれば、社会人1年生ながら、数百万の借金を抱えていることも珍しくはありません。自己破産は避けたいですし、収入の無い生活へ転落する恐怖と、カリスマ経営者からの呪文のような励ましの言葉が、更なる頑張りを後押ししてしまうのでしょう。そして、心身の限界を越え、正常な判断が出来なくなる精神疾患を発症し、希死念慮に陥ってしまうのだと思います。

    ワタミでは、労務管理は適切だったと考えているようですが、適切であれば、自死など選ぶはずがありません。たった26歳で、命を絶たなければならなかったことを、もっともっと重く考えるべきです。
    電通の新入社員の過労自死が大きく報道された後も、命を断つ労働者が続きました。
    ずさんな労務管理で、従業員の命を危険にさらして平気でいる雇用主には、憤りで一杯です。

    自分を守れるのは、自分だけです。
    知識(法律)が自分を守ってくれます。
    労働法を勉強し、適切な相談窓口をリストアップしておくことをお勧めします。

    1. アバター 石井孝明 より:

      ご見解ありがとうございます。労働法も大切ですが、これはマインドの変化の同調圧力であって、それだけでは解決できない難しい問題でしょう

  3. アバター 野崎 より:

    みんなで貧乏になろう 上野千鶴子

    がんばらないで、競争しないで皆一緒に貧乏になろうと、
    だが上野氏はそれなりの資産を有し別荘生活を楽しむなどの生活を享受していると批判された。
    左翼にだまされてはならない。

    人は生きるにおいて
    基本条件として頑張らねばならない。できなければ死である。
    個別条件において、がんばりを緩和できる。
    現実は基本条件と個別条件が混在してある。

    基本条件とは、人は美味しいものを食べるのが好き。
    個別条件とは、私は中華が好き、私は和食と各自異なる。
    基本条件 人は働いて食を得なければならない。働いて食を得られる条件は基本的なものではない。
    個別条件 働かずとも資産がある。

    基本条件の基に、人が生きる個別条件が存在しないと人は生きられない。
    個別条件を得る為にがんばらねばならない、できなければ死である。
    個別条件として、要件が確立された国家社会の存在があり、その中での選択や対処対応、がんばり方のテクニックで苦を緩和できる。休息も取れる、そしてがんばれる、生活を楽しむこともできる。
    その個別条件は、がんばった人達によって造られたのだ。そのおかげで生きられ自由を享受できる。
    現実は基本条件と個別条件が混在してある。混同するとわからなくなる。

    個別条件において考え方、つまり生き方、対処対応、選択をあやまると疲弊し破綻もする。
    そして、だまされてはならない。

    アフリカの極度の貧困は基本条件であり確立された個別条件が無い、なすすべなく何もできず餓死する環境条件もある。
    水を汲みに日々、数キロ歩かねばならない、がんばらなければならない。

    断捨離、ミニマリズム 出家遁世 放浪の画家、山下清、等は個別条件において可能である。
    大量殺人があった相模原の知的障碍者施設の建て替え、パラリンピックも個別条件が存在してこそ可能なのである。

    がんばって競争する社会は嫌だ、そのカラクリから脱しようと出家遁世する。
    しかし食うためには喜捨がある社会条件が必要だ。

    放浪の画家、山下清の食生活は、個人宅の勝手口へまわり、むすびを一つくれんかのう?
    で成りたった、数軒で腹を満たせる。それが可能な社会条件、時代の価値観があってのとだ。

    断捨離、ミニマリズム、
    がんばって働き様々な物を手に入れたいと、消費文明に組み込まれず、モノを捨て他者と比べることなく自分は自分として自由に生きよう。
    これすなわち、お金持ちの貧乏にごっこであり、経済成長を遂げた社会基盤があってこその太平楽だ。
    ミニマリズム提唱者は書籍売り上げから得た著作権料は捨てない。

    長らくアフリカの貧困に関わって来た曽野綾子氏はいう、ある地域ではペットボトルさえ貴重な財産だと。

    基本人はがんばらねばならない。その認識が必要だ。

    沖縄で数十年間幽閉されていた精神疾患のある女性の事が問題化された。
    昔はその様な人達は座敷牢に監禁的な状態におかれた。

    現代は、知的障碍者が殺された施設は嫌だ、と数億円かけ立て替えができる、個別条件の相違だ。
    よって障碍者もパラリンピックでがんばって人の賞賛をえることができる。

    がんばらなくともよい、は主に左翼から発せられている。

    がんばらなくともよい、自分は自分だ、私は私でよい(意味不明、他者と比較する必要はない程の意味だろう)

    がんばって競争してはいけない、だから運動会では勝敗を決めない、との動きもあった。
    だまされてはならない、競争しないその階層に封じ込められる。

    問題は、がんばって何かを得たい、しかし頑張っても得られない、よって、がんばる必要はない、
    しかし本音は得たい、であり、その心理に問題が生じる。
    極端な場合、世を怨む。それは社会に様々な負をもたらす。

    表面はそれを気取られない仮面を被り社会正義、公平を主張する。

    基本人は自助である。
    昭和初期まで、スマイルズの自助論、セルフヘルプは必読的書籍だった。自助を皆自覚していたのである。天は自ら助けるものを助ける。の基本認識を持っていた。

    福沢諭吉の立国は公にあらず私なり、も次元は異なるが同じくである。
    ジョン・F・ケネディの
    国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。
    も同じだ。

    左翼は自己責任を認めない、自助を否定する。
    社会がその責を負うべきと。目指すは共産主義社会だ。
    ネットで
    自助は自民党
    公助は公明党
    共助は共産党
    とあるのを見た、上手く当てはめている、だが共産主義者の共助は嘘だ、支配構造が構築される。

    だまされてはならない。
    がんばらなくともよいと、だまされてはいけない、支配される。左翼の支配構造に組み込まれる。

    ベーシックインカムも罠だ。
    ブラック企業の社長さんは右翼かもしれないが、その本音、社長の為にガンバレにもだまされてはならない。

    必要なのは個別条件においてのがんばり方のテクニックである。
    拳闘士、ボクサーはラウンドごとに休むので12R戦える。戦闘時にも体力配分を考慮して戦うのだ、人生も同じだ。

    この世にはせいぜい7~80年の持ち時間だ、大したことは無い、したたかに闘え。

    親分のおかげ。
    トランプ親分と大統領選において日本から声援があった。日本にも親分が欲しいと。
    親分は力量が違う、だから親分だ。
    親分はがんばる。
    がんばってくれた親分達、がんばれる力量を持った人達により社会基盤はつくられた。
    よって、へたれもチンピラも自由を享受できる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。