免職教師の叫び(31)トンネルの先の光

The following two tabs change content below.
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 2021年1月、28年前に生徒(写真家・石田郁子氏)にわいせつな行為をしたとして免職された札幌市の中学教師・鈴木浩氏(仮名)は身の潔白を訴え、今も復職を求めて戦っている。免職後の日々と、現在の鈴木氏の思いを明らかにする。

■態度を一変させた札幌市教委

事件の舞台となった札幌市(鈴木浩氏(仮名)提供)

 初めてこの連載をご覧になる方のために、事件の概要から説明しよう。昨年1月28日、鈴木浩氏は札幌市教育委員会(以下、市教委)から免職処分を受けた。理由は1993年から、当時15歳だった教え子に学校などでわいせつな行為を続けていたというもの。

 被害を訴え出ていたのは写真家で現在44歳の石田郁子氏。実名、顔出しでメディアに登場している。石田氏は2016年に札幌市に対し、在学中に性的被害を受けていたとして、鈴木氏を処分すべきと訴えていたが認められず、2019年2月に鈴木氏と札幌市に対して3000万円の損害賠償を求め提訴。1、2審とも除斥期間にかかっていることから訴えは棄却されたが、2審東京高裁は、中学・高校時代にわいせつな行為が行われたことを認定した。

 これを受けて市教委はそれまでの鈴木氏の処分は必要ないという態度を一変させ、懲戒免職処分としたのである。テレビや新聞などでも大々的に報じられた(朝日新聞電子版1月28日公開・28年前のわいせつ行為認定、教諭を免職に 札幌市教委 ほか)ことで、報道直後からネット上ではすさまじいバッシングが沸き起こり、鈴木氏は家族と一緒に暮らすこともできない状況に陥った。

 多くの人が当該事件を伝える一報と、その後、市教育長が石田郁子氏に謝罪した報道(朝日新聞電子版2月11日公開・28年前わいせつ、札幌市教育長が謝罪 年度内に検証へ ほか)を最後に、この事件については記憶の片隅に追いやっていたのではないかと思われる。

 しかし、その後、当サイトの調べで石田郁子氏の証言に次々と矛盾点が見つかり(連載(12)CAN YOU CELEBRATE? ほか)、また、証拠として提出された石田氏と鈴木氏の写真は合成・偽造されたものであることが明らかになった(連載(19)影なき闇の不在証明)。鈴木氏は今も復職を目指して、戦っている。

■オコタンペ湖の写真

 昨年1月に免職となった鈴木氏は身に覚えのないことで処分されることはおかしいとして、処分の取り消しを求める考えは持っていた。その時点で考えられる方法は2つ。

(1)免職処分取消の訴え(行政事件訴訟法3条2項)を裁判所に提起する。

(2)札幌市人事委員会に免職処分取り消しを求め、審査請求(地方公務員法8条8項及び51条、49条の2第1項)を行う。

 鈴木氏は弁護士と相談した上、(2)を選択した。これは審査請求期間が処分があったことを知った日の翌日から起算して3か月以内にしなければならない(同法49条の3)こと、審査請求による裁決があった後に取消訴訟を提起できること(行政事件訴訟法14条3項)などを考慮した上での決定であるという。

オコタンペ湖の展望台で撮影したとされる写真(フジテレビ画面から)

 市教育長が石田氏に謝罪した2月10日から19日後の3月1日に審査請求書を人事委員会に提出し、同9日に受理された。その後、市教委との書面のやりとりが続いている。鈴木氏によると、鈴木氏サイドから4度、書面を提出。市教委からは3度の書面提出があったという。

 市教委に提出させた証拠には当サイトが問題にしたオコタンペ湖の写真も含まれているもよう。石田氏と鈴木氏と思われる人物がオコタンペ湖の展望台で写っている写真は両者にあるべき影がなく合成されたものであることは、前述した通り、明らかになっている(連載(19)影なき闇の不在証明)。

 「札幌市職員の不利益処分についての審査請求に関する規則」(以下、規則)によると、裁決の基礎となった証拠が偽造のものであることが判明した場合は再審事由となるとされている(規則56条1号)。証拠の偽造については裁決の上で重要視されるのは明らかで、オコタンペ湖の写真が偽造であると人事委員会に判断されれば、これから出される裁決に大きな影響を与えることは間違いない。

 これに関して鈴木氏は「審査請求の中身については、現在進行形で行われていることであり、詳細は言えません。オコタンペ湖の写真は当然、こちらとしては『どうなってるんだ』と言いたいポイントです」と説明する。

■試合に勝って勝負に負ける不安

 今後、当事者の口頭審理も行われる可能性があり、裁決がいつ出されるのか、そしてどのような結果になるのかは鈴木氏も分からないとする。

 この中で鈴木氏が不安視するのは、裁判と同じように勝訴したものの、疑惑は残るという判断をされること。「石田氏の言い分は一応認められ、市教委としての処分は適切ではなかった」という理由で処分が取り消される、あるいは処分が変更になる可能性はある(規則52条3項)。

 免職にするにあたって市教委は聴聞・弁明の機会を保障しなかった。また、石田氏の訴えに対して鈴木氏とともに防御し、問題とされる行為はなく懲戒処分は科してこなかった事実がありながら東京高裁の判決後、態度を一変して免職処分としたことは信義則に反するという主張が認められてもおかしくない。

 そのような手続き上の瑕疵が認められることのみをもって処分が取消、変更とされたとすれば、裁判同様に「試合に勝って、勝負に負けた」という状況に陥りかねない。あくまでも、処分事由が不存在にもかかわらず、本件処分が科されたことが認定されなければ鈴木氏の名誉は回復されない。手続き上の瑕疵で処分が取り消された場合、処分取消の訴えはもはや訴えの利益がなく提起できないのは明らかである。

 「仮に、市教委の手続き上の瑕疵だけを理由に処分が取り消され復職が認められた場合、市教委は私を教壇に立たせない可能性はあるように思います。ですから、『処分されるワイセツ事由がないのに、処分がなされた』という判断をしてもらえるように弁護士の先生と相談して、市教委と戦っています」と鈴木氏は強調する。

■被処分者全員が”クロ”とは限らない

 教育現場で教師が生徒にわいせつな行為をすることは許されることではない。令和2年度には公立学校で91人の免職処分者が出ている(文科省・令和2年度人事行政状況調査)。

 教育委員会としては、そうした行為に及んだ者に対し、免職を含む厳しい処分で臨むのは当然のこと。ただし、本当に免職に値するような行為が行われていれば、の話である。鈴木浩氏の場合、一貫してそのような行為の存在を否定しており、いわば”冤罪”で免職されたとしている。

 処分の決め手となったのは東京高裁の認定であるが、その認定は判決理由中の判断に過ぎないため法的拘束力がなく、しかも民事訴訟法の基本書などでいう”不意打ち”であった。鈴木氏は全面的に勝訴しているため上告することができず、石田氏が上告しなかったために高裁判決が確定してしまったという、二重三重の不利益を受けている。

 全国の教育委員会が辞めさせるべき者を免職にするのは何の問題もないが、多くの免職者の中には、全く事実ではないことで処分をされた者が含まれている可能性は否定できず、実際に鈴木氏はそのように主張し、その主張通りに石田氏の提出した証拠や、主張はほとんど根拠がないことが分かってきている。

 全国の教育委員会が教育現場で生徒が性的な被害を受けないようにさまざまな努力をしているのは理解できる。しかし、そのための努力は個別の事案に沿って的確に判断されなければならず、「疑わしきは罰す」の姿勢では今後も同様のケースが発生しかねない。

■復職までに技量を落とさないように

豊平川の川縁に座る鈴木浩氏(仮名、本人提供)

 免職された鈴木氏は現在、他の仕事に就いている。しかし、復職への思いは揺らいだことはないという。

 「教員に戻り、一人一人の生徒の個性を生かした作品作りができる授業をしたいと思っています。そのため、今も鉛筆、ボールペン、10色クレヨンで絵を描いています。復職までの間に技量が落ちないように、いざ、生徒の前に出た時に恥かしくないようにするためです」。

 仕事が終わってからアパートの一室で黙々とペンやクレヨンを走らせる鈴木氏の目は、名誉回復、そして復職へと向いている。長く続いたトンネルの先に、ほのかに明かりは見えてきているのかもしれない。

第32回へ続く)

第30回に戻る)

第1回に戻る)

    "免職教師の叫び(31)トンネルの先の光"に3件のコメントがあります

    1. 名無しの子 より:

      もうすぐ、伊藤詩織事件の控訴審判決が確定しますね。その時のことをふと考えた時、真っ先に思い浮かんだのが、鈴木先生のことです。
      鈴木先生は、判決では勝訴したものの、結局名誉は傷つけられ、免職という酷い目に遭いました。逆に石田氏は、敗訴したものの、その後マスコミにより、悲劇のヒロインとして祭り上げられました。
      裁判での勝敗が、必ずしも、その後の人生の勝敗に直結するとは限らないということを思い知らされました。
      だから、伊藤詩織事件においても、たとえ山口氏が主張している伊藤氏からの名誉毀損が認められたとしても、「性交の同意については真偽不明」や「不同意性交については、なかったとは言えない」などの判決が出てしまったら、山口氏の仕事の完全復活は難しいと思います。
      女性にとって、性被害は、魂の殺人と言えるほどおぞましいもの。それは、同じ女性である私には、よく理解できます。でもそれと同時に、男性にとって、仕事を奪われることは、社会的な殺人とさえ言える、残酷なことでしょう。
      鈴木先生や山口氏の冤罪が、きちんと晴れることを心からお祈りします。

    2. 月の桂 より:

      〉ーー多くの免職者の中には、全く事実ではないことで処分をされた者が含まれている可能性は否定できずーー

      これはどれくらいのパーセンテージなのでしょうね。
      事実と違っていても、甘んじて受け入れたのか、鈴木氏(仮名)のように戦っている人が他にも存在するのか。

      私が理解出来ないのは、免職処分の報道を耳にしながらも、わいせつ行為を継続している潜在犯罪者の感覚です。表沙汰にならない自信でもあるのでしょうか。
      冤罪である人が処分され、処分すべき人間が平然と教壇に立っているかと思うと強い憤りを覚えます。

      過去に、業務研修で性犯罪被害者(女性)のお話を聞く機会がありました。
      「どんなに時間が経過しても事件を忘れることは出来ない。今も仰向けで眠ることが出来ない。自分の真上に加害者の顔や身体が迫ってくる感覚に襲われ、恐怖で動けなくなる。だから今も、ソファに腰掛けた状態で寝ている。」
      衝撃的な内容に言葉を失いました。その頃から、性被害の話を聞くと二次受傷に陥るようになりました。自分も同じ被害を受けたように感じ、加害者を凶弾せずにはいられなくなるのです。被害者を侮辱するような言動にも敏感になりました。私の場合は、相手を直接攻撃することにはブレーキが働き、内心レベルで終わらせることが出来ますが、ネットで鈴木氏を誹謗中傷している人は、もしかしたら、この感覚に近いのかもしれません。

      石田氏や伊藤氏、そして新井氏を支援していらっしゃる方に今一度考えて頂きたい。具体的な証拠も出さず、被害者であるとの自己申告のみで相手の人生を奪うことは正義なのでしょうか。自分に不都合な事実は隠し、必要と思えば偽造してでも証拠になるものを作り出す。彼女らの行った不正義を見ようともせず、顔出し名前出し=被害者だと盲信してしまうのは危険であることに気付いて頂きたい。

      被害者ビジネスの旨味を知った人間(女性)が、貴女の配偶者、父親、異性の友人を冤罪に陥れる可能性もゼロではありません。
      そして男性の皆様にもお伝えしたい。鈴木氏は、明日の貴方かもしれませんよ。

    3. pineapple より:

      必ず光の下に。
      晴れ晴れとスクっと立って教師の仕事に戻られるように心から願っています。
      かたや石田氏には同じ女として怒りと恐ろしさを覚えます。
      今後の自分のために全て妄想と嘘でした、鈴木氏を教職に戻してほしいと謝罪して訴えてほしいです。
      でなければ地獄に落ちます。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です