古賀稔彦氏死去 競馬予想に協力した思い出
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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バルセロナ五輪柔道男子71kg級で金メダルを獲得した古賀稔彦氏が24日、がんのため死亡した。53歳。昨年、がんの手術を受けて療養を続けていたという。
■古賀さんがG1有馬記念の予想
「平成の三四郎」の早すぎる死だった。世田谷学園高校時代から全国で名を知られ、その後、3度、五輪に出場し1992年バルセロナで金メダル、1996年アトランタで銀メダルを獲得した。指導者としては、全日本女子柔道チーム強化コーチを務め、2004年アテネ五輪では愛弟子の谷本歩実選手が金メダルを獲得している。
選手としても指導者としても抜群の実績を誇り、ミスター柔道と呼ぶにふさわしいスターであることは誰しもが認めるところであろう。そんなスターでありながらテレビなどで屈託のない笑顔を見せ、飾らない人柄は多くの人に愛された。東京五輪開幕を4か月後に控えた時期に亡くなったことに、特別な思いを抱く人は少なくないであろう。
実は僕は古賀氏と一度だけ、電話で話したことがある。2002年の12月だったと思う。日刊スポーツで競馬を担当していた時期、競馬好きな古賀氏の予想を僕が話を聞いて記事にすることになった。古賀氏サイドからの売り込みだったと聞いたが、実際はどうか分からない。
上司から示された電話番号にかけると、テレビで聴き慣れた声で「はい、古賀です」という声。「どうかよろしくお願いいたします」と言うと、「こちらこそ、よろしくお願いします。…競馬の予想は初めてなんです、緊張するなあ」。
柔道界のスターということで、実際は偉そうにしてる人じゃないかなという予想を見事に裏切り、初めて話す記者に実に丁寧に接してくれた。(何ていい人なのだろう)と感激しながら話していたのを思い出す。
■女子強化コーチの時代「女子選手は鍛えるほど強くなる」
その時の予想は詳細は忘れたが、自身が全日本女子柔道チーム強化コーチをしている関係で「実際に教えていて、女子選手は鍛えれば鍛えるほど強くなるんですよ」という趣旨の話をされ、2kgのセックスアローワンスがあることを理由に牝馬を本命に挙げていた。確か、ファインモーションだったように思う。
当時は1971年のトウメイを最後に30年以上、牝馬の優勝がなかった。話をうかがいながら(牝馬狙いは厳しいのでは)と感じていたが、2019、2020年と2年連続で有馬記念を優勝するなど牝馬上位の時代を迎えており、今にして思えば先見の明があったと言えるのかもしれない。こういう部分も古賀氏らしいスター性なのかと思う。
予想の話を聞き終えてから、女子選手の指導について聞いた。男性指導者として女性選手と向き合う難しさを口にされていたが、その後、2004年に谷本歩実選手がアテネで金メダルを獲り、選手と抱き合う姿をテレビで見て、胸が熱くなったのを覚えている。
■古賀稔彦さんから野村忠宏氏を繋いだマンガの存在
柔道家・古賀稔彦として特に思い出に残るのが、小林まこと氏の「柔道部物語」に関する逸話である。2016年1月、NHKで「ぼくらはマンガで強くなった」という番組が放映され、五輪3連覇の野村忠宏氏を扱った。
野村氏は柔道部物語を愛読しており、(いつか自分も柔道部物語に名前が出るような選手になりたい)と思っていた。その柔道部物語の主人公の三五十五(さんご・じゅうご)選手が、つり手一本で背負い投げをするシーンがあり、それを見て「かっこええなあ」(野村氏)と感じて、実際に練習したそうである。
それが生きたのが1996年のアトランタ五輪3回戦。当時の世界チャンピオンだったニコライ・オジェギン(ロシア)と対戦しポイントでリードされていたが、残り15秒で片手背負いから腰を使って担ぎ上げて技ありを奪い逆転で勝利。そこから五輪三連覇の偉業が始まる。
柔道部物語の片手背負いがなければ、少なくとも野村氏のアトランタ五輪の金メダルはなかったかもしれない。そして、その片手背負いは、作者の小林まこと氏が古賀氏が実際に試合で決めたシーン(1988年正力国際学生柔道大会準決勝)をビデオ撮影したことで描かれた。つまり、古賀稔彦氏と野村忠宏氏という偉大な金メダリストがマンガ「柔道部物語」で繋がったのである。
この感動の物語は今でもYouTubeで見ることができる(参照:ぼくらはマンガで強くなった 柔道・野村 三連覇を生んだ”背負い”の秘密)。
■気さくさと真面目さが同居した平成の三四郎
この「ぼくらはマンガで強くなった」の中で、野村氏の三連覇に通ずる”経路”を知らされた古賀氏は「じゃ、(野村氏の偉業は)僕のお陰ですか。そういうの正直に、その時に言ってくれないと。目立たないから、オレが」と冗談っぽく笑った。絶対的な強さに加え、こうした気さくさが多くの人から愛される理由なのであろう。
ちなみにこのジョークに続けて「でも、ただ見て『うわー、すげーな』じゃなくて、『でも、これオレできるかな』、多分、そこまで行く人っていうのはやっぱり、自分の柔道のスタイルを広げていける選手だと思いますよね」と味のあるコメントをしているのはさすがである。
僕ごときが古賀氏を語るのはおこがましいが、人生で一度だけの接点で「平成の三四郎」の気さくな一面に触れられたのは光栄と言うしかない。
どうか、安らかにお休みください。
合掌
》》ジャーナリスト松田様
突然の訃報が続き言葉を失います。偉大なホースマンの岡田繁幸氏逝去の悲しみも冷めやらぬうちに、国民的なヒーローでもある柔道家の古賀さんの急逝は残念でなりません。
お二人に共通すると思えること、それは他人に対して分け隔てなく優しい人格者であることです。
岡田さんは競馬のど素人にも分かりやすく、丁寧に説明されていました。またテレビで拝見する古賀さんも、強さを笑顔に変えてとても謙虚に柔道について語られていました。お母様を心配させないように、自身の病気について知らせなかったことを記事で読みました。やるせなくて涙が出ました。おそらく全力で病魔に挑まれたはずです。古賀さんのオリンピックでの勇姿は、永遠に私たちの記憶に生き続けます。
東京五輪では、貴方が指導された日本の柔道家たちがきっと吉報をお伝えします!
どうかゆっくりとお休みください。
>>MR.CB様
コメントをありがとうございます。
本当に古賀さん、ショックです。高校生の頃から五輪で金メダル有望と騒がれて、その通りの結果を残した実力・努力・精神力は素晴らしいと思います。
また、柔道界ではパワハラの問題が出たり、金メダリストが収監されたりと、人としてどうなのというケースが少なからず出ている中ですから、その面でも貴重な方だったと思います。今こそ、彼の力が必要だったのにという思いがします。