青学大3位 超高速駅伝は1つのミスが命取り

The following two tabs change content below.
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 第99回箱根駅伝の復路が3日、行われ駒澤大学が2021年以来2年ぶり8度目の総合優勝を飾った。出雲駅伝、全日本大学駅伝に続く優勝で史上5校目の三冠を達成。一方、昨年の覇者・青山学院大学は6区西川魁星選手(4年)が区間最下位となる予想外の事態で脱落、3位に終わった。11校が11時間を切るタイムで走破しており、わずかなミスが命取りになる高速化の恐ろしさを感じさせる大会となった。

■今年も10時間50分切りのV

5区の宮ノ下付近(撮影・松田隆)

 終わってみれば大本命の駒澤大が4区から最終10区まで首位を守り、安定したレース運びで優勝を掴み取った。走破タイムは10時間47分11秒、過去に青山学院大が3度、東海大が1度しか記録していない10時間50分切りとなった。

 対抗馬と見られていた青山学院大は往路3位と踏ん張ったものの、6区で西川選手が1時間3分23秒と失速、2位から7位に転落し、この区間だけで駒澤大に5分1秒の差をつけられ、前日までの差2分3秒を加えて7分4秒差となり、この時点でほぼ終戦。午前9時前に総合優勝はほぼ絶望となってしまった。

 最終的には3位を確保したものの、1位との差は7分14秒。結果だけを見ると6区から7区に襷を繋いだ時点の1位駒澤大との7分ちょっとの差のまま、平行移動して大手町でフィニッシュということになる。もちろん、そこには9区の岸本大紀選手の5人まとめて抜くという、各校の差が開き気味になる終盤の区間では滅多に見ることができない劇的なシーンもあったのだが。

 西川選手は焦る気持ちがあるのにペースを上げられず、10km過ぎから「何も覚えていない。(残りの距離が)永遠に感じた」という状況にあったという(デイリースポーツ電子版・V逸の青学大、6区最下位の西川は自責で号泣「頭が真っ白」10キロ過ぎから記憶なし)。

 原監督によると、西川選手は下りでは3番手の選手という(東スポWEB・【箱根駅伝】連覇逃した青学大 原監督は敗因分析して「次こそワンピースに」)。そもそも6区を走る予定だったのは黒田朝日選手(1年)だったようで、それが故障で使えず(4区で区間エントリーされており、当日変更が既定路線だったもよう)、さらに5区に入れる予定だった若林宏樹選手(2年)が元日の練習で体調不良になり、6区で起用する予定だった脇田幸太朗選手が5区に回り、変更になる予定であった6区の西川選手がそのまま走ることになったようである。

 「(12月29日に)6区登録されたので、1月3日にしっかり走るという準備をしていたつもりでした。でも(脇田に交代予定だったので)心のどこかで『走らないから』という気持ちがあったのかもしれません…。」(スポーツ報知電子版・【箱根駅伝】青学大6区ブレーキの西川魁星「頭が真っ白になった。でも、残り1キロで往路組の応援は分かりました」)と西川選手は話している。

■駒澤大の総合力が上回ったということか

 出場する10人全員が完調というのはなかなかできないもので、誰かしら体調が悪くなったり、故障したり、というのはあると思う。そこをどう補欠を含めやり繰りするかが勝負を分けるのであろう。もし、5区の若林選手が体調が悪いまま走っていたら、脇田選手(区間9位)より悪い成績だったかもしれない。そう考えると青山学院大はよく3位に踏ん張ったと言えるのではないか。

 ただ、厳しい言い方をすれば、大事な山の上り下りで三大駅伝初出場の4年生2人を使わざるを得なかった点で駒澤大に対して分が悪い。2人を脅かすような3年生以下がそれほど出なかったという点で層が薄かったということが言えると思う。

 駒澤大もエース級の花尾恭輔選手(3年)、前評判の高かった佐藤圭汰選手(1年)を使わずに優勝しているのだから、バックアップメンバーの層が厚く、また、代わって出場した選手がしっかりと役割を果たしたという面からして総合力では青山学院大より上だったということであろう。

■11時間を切ってシード落ち…

 今回の駅伝を見て驚いたのが、昨年に続き11時間を切ったチームが11チームもあったこと。11位の東京国際大は10時間59分58秒でフィニッシュしたが、来年の出場権(シード権)は獲得できなかった。昨年も東海大が10時間59分38秒でシード権を逃しており、一体、高速化はどこまで進むのか。

 ちなみに10年前、2013年は日本体育大が優勝し、優勝タイムは11時間13分26秒。気象条件などでタイムは変わるとはいえ、東京国際大が10年前に出場していたら、優勝チームより13分以上、前を走っていたことになる。そして、2013年にギリギリでシード権を確保した10位中央学院大のタイムは11時間27分34秒であった。

 当時の日体大の方には申し訳ないが、この時の優勝メンバーが10年後の今年、走っていたら19位に相当する。もっとも、2013年は特にタイムが遅かったのかもしれない。翌2014年を見ると、東洋大が10時間52分51秒で優勝。ただし、シード権確保の10位は大東文化大で11時間14秒43秒であるから、やはりシード権に関して言えば、ボーダーラインは現在は10分単位で上がっていることは間違いなさそうである。

ゴールのある芦ノ湖周辺(撮影・松田隆)

 なお、優勝タイムが11時間を切ったのは1994年の山梨学院大が最初で、その後、11時間切りは2011年の早稲田大まで待たないといけない。10時間50分切りは2015年の青山学院大が初めてで、2015年以後の9年で11時間台で優勝したのは2017年の青山学院大ただ1校である。

 原監督は言う。「(1万メートル)28分台ランナー10人なんて当たり前。登録メンバー16人で当たり前。その中で27分台を往路2人、復路1人、確実に置けるようなチームでないと、もはや優勝はできない。」(毎日新聞電子版・青学大・原晋監督「二つのピースがはまらなかった」 箱根駅伝)。

 そういう高速化が進んだレースでは、ブレーキの区間が1つでもあれば優勝は望めない時代と言っていいと思う。

 思えば2015年の青山学院大初優勝時は、5区の神野大地選手がトップを奪ったが、その時の駒澤大の5区の選手は低体温症のせいか立ち止まってしまい、結果、駒澤大は10分50秒も離された2位となっている。

■箱根ランナーはバケモノか

母校の来年の優勝を祈る

 現在のトップを争う大学の主力選手は1万メートルを27分台後半から28分台半ばで走る。これがどれぐらいすごいスピードなのか。

 2021年の男子の1500メートル走の平均タイムは16歳(高校1年か2年)で6分2秒02(文部科学省・体力・運動能力調査」p62)。僕は学生時代、長距離が得意で1500メートル走のベストタイムは16歳の時に記録した4分59秒であった。今の平均より1分以上速いから、悪くない記録。実際、僕は高校時代にクラス対抗の駅伝の選手に選ばれ、しかも有力選手扱いで長い区間を任されていた。

 そこで考えていただきたいのだが、箱根の有望選手は1万メートルを28分30秒ほどで走るというのであるから1500メートルに換算すると4分16秒5になる。僕が心臓が破裂しそうになりながら、1500メートルを完走して倒れ込んだ時に彼らは僕の45秒近く前にいて、その6倍以上の距離を同じ速度で走るのであるから、我々一般人から見ればバケモノのような存在である。そんなバケモノのような選手が10人揃って走るのであるから、ブレーキが1区間でもあれば一気に順位が下がるのも頷ける。

 僕にとってここ数年は母校が箱根駅伝を優勝して、気分を良くして仕事始めに向かっていただけに、今年の結果は残念と言うしかない。ただ、監督を責める気はないし、もちろん、選手を責める気もない。こういうこともあるのが勝負の世界。逆に岸本選手が意地を見せてくれた、その姿に感動させられた。ハイレベルの戦いを見せてくれた出場選手と、それをサポートしてくれた人たちに「ありがとう」と言いたい。

 駒澤大とその関係者には「おめでとうございます」と申し上げ、来年は母校の王座奪還を祈るとしよう。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です