懐かしのオールアロング雌伏40年 曾孫がG1圧勝
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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1982年のジャパンC2着のオールアロングの曾孫リトルビッグベアがアイルランドでG1を優勝、来年のクラシック候補に名乗りを挙げた。6ハロン(約1200m)戦で2着に7馬身差をつける圧勝劇。曽祖母が来日してから40年の時を超え、オールドファンにはたまらない勝利となった。
■1200mのG1で7馬身差
リトルビッグベアは仏の2歳G1モルニ賞を制し、G1BCターフスプリント2着のノーネイネヴァーの産駒。8月6日にアイルランドのカラ競馬場で行われた5頭立てのG1フェニックスSで先手を取り馬群を引っ張り、残り200m付近で後続を突き放して終わってみれば2着のパーシャンフォースに7馬身差をつける楽勝だった。
パーシャンフォースもG2ジュライSを勝った重賞ウイナーで決して弱い馬ではなく、それを問題にせずに勝ったことで評価は急上昇。2着につけた7馬身差というのは、2005年のジョージワシントンの8馬身差の勝利以後、17年間で最大の着差。デビュー戦こそ2着だったが、その後4連勝で来年のクラシックに向けて期待が高まる。実際に2023年のG1英2000ギニーのブックメーカーのオッズでは4.5~5.0倍で1番人気に浮上した。
もっとも、フェニックスSは世代最初のG1で、この後、来年の2000ギニーやダービーを目指す有力馬が続々と出てくるはず。また、リトルビッグベア自身もマイラーの可能性もあり、ダービーには向かわず、セントジェームズパレスSからサセックスSというマイル路線に進む可能性はある。要は今の時点で来年のクラシックをあれこれ言うのはあまり意味がないということである。
■血統を遡ると「All Along」の名が
欧州の西端の国の世代最初のG1ホースをわざわざ取り上げたのは、その勝ちっぷりやクラシックがどうこうというのが理由ではない。その血統にある。
リトルビッグベアの血統を辿ると、3代前の母に「All Along」の名前が出てくる。オールアロングは1979年フランス産で現役時代は主にパトリック・ビアンコーヌ調教師が管理していた。3歳時にG1ヴェルメイユ賞を制し、続くG1凱旋門賞は15着と大敗。その後、来日してジャパンCに参戦した。時は1982年、黎明期の第2回の競馬の祭典への出走だった。
第2回ジャパンカップは一般に史上最高の招待馬と呼ばれる。ターフクラシックSなどG1を4勝したエイプリルラン、1981年の米年度代表馬ジョンヘンリー、同年の加最優秀3歳牡馬のフロストキング、そしてこのオールアロングである。
レースは好位を進んだオールアロングが内から抜け出し、勝ったかと思ったところを米国からの招待馬ハーフアイストに外から差し切られた。上位4着までを招待馬が占め、日本馬はヒカリデユール(河内洋騎手)の5着が最高で、外国馬との力の差を感じさせるものであった。
このオールアロングは4歳になった1983年、さらに成長を遂げ、凱旋門賞からワシントンDC国際までG1を4連勝、米国と仏国で年度代表馬に輝いた。ジャパンCから飛躍して欧米のG1戦線を席巻した姿を見て、日本のファンは「凄い馬が来日していたんだな」とあらためて思ったに違いない。
僕自身、当時は大学生だったので全く認識がなかったが、後に日刊スポーツで当時の話を聞き、エイプリルラン、ジョンヘンリー、オールアロングなどの名前を覚えることになる。
■オールアロングのその後
そのオールアロングは1984年まで現役を続け、11月10日にハリウッドパーク競馬場(2013年閉場)で行われたG1BCターフ2着を最後に引退、通算成績21戦9勝で繁殖に上がった。名牝が必ずしも良き母になるわけではないのは、古今東西事情は似たようなもの。オールアロングも繁殖牝馬としては現役時代の活躍からすれば物足りないものであった。
米ケンタッキー州で繋養されミルリーフ、ダンシングブレーヴ、リファール、ヌレイエフ、ミスワキなど当時の一流種牡馬と交配されたものの、最も活躍したのは最初の産駒アロングオール(父ミルリーフ)の重賞2勝で、その次にアルナケ(父ミスワキ)の重賞2着がある程度。合計で13頭の産駒を誕生させたが、残る11頭は1勝馬が2頭、未勝利が7頭、不出走が2頭とお寒い結果であった(世界の名馬列伝集・オールアロング)。
産駒の中に2002年生まれのアメリカンアドヴェンチャー(父ミスワキ)という牝馬がいた。この馬は出走した記録がないことから不出走の1頭と思われる。おそらく血統の良さが買われて繁殖牝馬となれたのであろう。何と言ってもオールアロングに種牡馬ミスワキという良血、産駒が誕生すれば結構な値段で売れると生産者は考えるはず。
こうしてアメリカンアドヴェンチャーは2007年に仏ダービー馬ベーリングと交配され、2008年にアドヴェンチャーシーカーという牝馬を産む。こちらは6戦2勝、総収得賞金が15万5312ドル(約2100万円)というから、その活躍は推して知るべし。
繁殖に上がったものの、一向に活躍馬は出ない。
2013年産駒:アンドレアマンテーニャ(騸、父ジャイアンツコーズウェイ)57戦8勝
2014年産駒:アラカ(牝、父イルーシヴクォリティ)6戦未勝利
2015年産駒:ザリンカーンロイヤー(騸、父ローマン)16戦未勝利
2016年産駒:アメリカングラフィティ(騸、父ピヴォタル)8戦2勝
2017年産駒:ソヨユニーク(騸、父シユーニ)30戦1勝
2018年産駒:ヴァンルージュ(騸、父ゾファニー)17戦未勝利
ここまでくるとオールアロングの曾孫という威光は全く消えてしまっていると言っていい。これがサラブレッド生産の現実。子孫を残す馬はいるが、多くは子孫を残せずに消えていく。
こうした状況の中、2020年1月15日に誕生したのがリトルビッグベアである。これまで兄姉に活躍馬が出ていないのを考えたのか、初めてノーネイネヴァーと交配された。それが奏功したのかは分からないが、ここまで通算5戦4勝2着1回、重賞2勝と兄姉とは比べものにならないような成績を上げている。
■オールアロングのジャパンCから40年を経て…
オールアロングのジャパンカップから40年が経過し、3つの世代を重ねて誕生してようやくG1ホースが誕生した。これがあるから競馬は面白い。来年、3歳での活躍次第ではリトルビッグベアは種牡馬になれるかもしれない。
もし、そうなればオールアロングの血がさらに次なる世代へと繋がっていく可能性が出てくる。また、既にG1を制覇したことで、たとえば半姉のアラカは繁殖牝馬としての需要が出てくるかもしれない。生まれた子はG1馬のおい・めいになるのは大きなセールスポイントになるからである。
リトルビッグベアのG1勝利はネットでも伝えられているようであるが、オールアロングに言及した記事がないのは残念と言うしかない。これも40年という月日の流れがなせるわざか。オールドファンは静かにアイルランド調教馬の活躍を祈り、いつの日か、リトルビッグベアが曽祖母が走った東京競馬場を走るのを期待しようではないか。
アロングオールの父はミルリーフです。
アロングオールもそうですが、オールアロングの産駒も日本に繁殖馬として導入されていますが、地方競馬で活躍馬を輩出するも中央競馬ではサッパリでした。
オールアロングの半妹であるイコノクラスト(父:ニューチャプター〈サニーシプレーの半兄、ミルジョージの叔父〉)も輸入されていましたが、中央競馬で4勝を挙げて、毎日杯3着のネオタイクーン(父:ミスターシービー)と中央競馬で5勝を挙げたコンコルドホーラー(父:グルームダンサー)が代表馬で、他は目立った成績を収めていません。
オールアロングの父であるターゴワイスもオールアロングの活躍もあって日本に導入されましたが、サンデーレーシングの前身である日本ダイナースクラブが所有していたレッツゴーターキン(天皇賞・秋)が代表馬で、もう一頭入れるとするならミスターボーイ(マイラーズC、セントウルS)ですね。
nanashi様
ご指摘ありがとうございました。
アロングオールの父、修正しました。