朝日がテロ批判 4年前の社説忘れたか
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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朝日新聞は16日付けの社説で、前日の岸田文雄総理に対するテロに対し、厳しく批判した。昨年7月、安倍元総理が凶弾に斃れた際にも同様に最大級の批判を行っており、それに続くもの。もっとも、以前は演説を妨害する人々の立場に立ち、違法な行為者を擁護するかのような社説を掲げており、無節操ぶりが際立つ結果となっている。
■テロを厳しく批判する社説
16日付けの朝日新聞は、政治的テロを厳しく批判する社説を掲げた。「若い男が威力業務妨害容疑の現行犯で逮捕された。動機が何であれ、暴力で目的を果たそうとすることは許されず、民主主義の根幹を揺るがす暴挙以外の何ものでもない。」と、全く正当化される余地はないことを強調。
その上で「安全の確保に細心の注意を払いつつ、市民への訴えを続けてほしい。それが、民主主義を支える思想・信条の自由、言論・表現の自由、投票の自由といった諸価値を守ることになるはずだ。」と卑劣な暴力に屈することなく、民主主義を守るべきとした(朝日新聞2023年4月16日付け社説・岸田首相襲撃 民主主義揺るがす暴挙)。
朝日新聞にしては、よくできましたという内容である。少なくともテロを肯定、あるいは讃美する識者とは明確に一線を引いているという点では評価できる(参照・岸田総理に爆発物 テロを肯定した人々の責任)。
2022年7月、安倍元総理が凶弾に斃れた時の社説も同様であった。「銃弾が打ち砕いたのは民主主義の根幹である。全身の怒りをもって、この凶行を非難する。同時に、亡くなった安倍元首相に対し、心から哀悼の意を表する。」と珍しく感情的な表現を用いている。
「その選挙を暴力で破壊する。自由を封殺する。動機が何であれ、戦後日本の民主政治へのゆがんだ挑戦であり、決して許すことはできない。その罪の危険さ、深刻さを直視しなければならない。」と、自らも民主主義を守る立場にあると言わんばかりに論じ続けた(朝日新聞2022年7月9日付け社説・民主主義の破壊許さぬ)。
朝日新聞自体が1987年(昭和62)に阪神支局が襲撃され、記者2人が死傷するテロの攻撃対象とされていることもあり、このような厳しい表現となるのも当然と言えば当然なのかもしれない。
■一貫性のない朝日新聞の姿勢
もっとも、こうした朝日新聞の姿勢も、終始一貫しているというわけではない。安倍政権下の2019年7月、朝日新聞は安倍総理(当時)の遊説の日程が自民党のホームページに掲載されていないことを批判する社説を掲げている。
自民党は非公表の理由について公務との兼ね合いがあって日程が流動的なことと、現場が混乱する可能性を指摘した。萩生田幹事長代行(当時)は「組織的に演説を妨害する方もいる。聴きたくて集まった人に迷惑をかける」と理由を説明したという。
これは2017年の都議選で秋葉原での街頭演説に対して一部の人々の妨害行為があったことが原因となっている。安倍総理が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言って、逆にメディアから批判されたこともあり、同年の総選挙の際には日程の一部が非公表とされた。
このような安倍総理、自民党の姿勢に対して「支援者しか眼中にないような首相の内向きな姿勢は、現に政権を預かる政治指導者の振るまいとして、著しく度量を欠くものだ。」と批判し、「首相の支持派と批判派に分断された群衆は、政権をとりまく世論の縮図のようにみえる。幅広い合意づくりの努力を怠り、自らを支持する勢力に依拠して強引に政治を進める政権の振る舞いと無縁ではなかろう。」と、演説を妨害する人々の出現は、安倍総理に責任があるかのように主張したのである(朝日新聞2019年7月17日付け社説・参院選 首相の遊説 政権党の度量はどこに)。
岸田総理に対する攻撃は、まだ犯人が黙秘しているので動機は分からないが、安倍元総理が銃撃された事件同様、自分たちに都合の悪い主張をする人たちを暴力で黙らせるテロであると考えられる。
安倍総理の演説を妨害した者も手段は異なるが、大声を上げ、反対のプラカードを掲げて現場を混乱させ、自分たちが気に入らない主張をさせないようにするという点では共通している。
もちろん、安倍総理の政治主張を批判する自由は誰にでもある。しかし、それは別の場所、方法ですればいい。大事な選挙の遊説先で大声を上げ、聴衆を混乱に導き、演説をさせないような方法が表現の自由の保護の範囲内にあるはずがない。表現の自由も無制約に認められるものではなく、他者の表現の自由を妨害する権利など認められないことぐらい、言論機関なら理解できるであろう。
妨害者に演説の日程を教えないためにホームページに日程を掲載せず、そのことで現場の混乱を避けるという苦渋の決断をした安倍政権を「著しく度量を欠くものだ」と批判していたことを、我々は決して忘れない(参照・安倍政権憎し?選挙妨害を擁護する朝日新聞)。
■ヴォルテールの言葉から
4月16日の社説で「動機が何であれ、暴力で目的を果たそうとすることは許されず、民主主義の根幹を揺るがす暴挙以外の何ものでもない。」としているのであれば、安倍総理の演説を妨害した人々も批判しなければおかしい。このような妨害行為も、テロと同様、違法な手段で言論を封殺しようとしていることに変わりはない。
ヴォルテールの有名な言葉に「私はあなたが言う事には賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも守るだろう。(“I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it”)」がある。テロに対する批判は、この言葉に象徴される。反対する意見にも耳を傾け、その上で自分の主張をする。そうしたさまざまな意見が思想の自由市場に登場し、淘汰されるべきは淘汰され、より良い社会の実現へとつながる。それが民主主義である。
2022年7月の安倍元総理の悲劇から、朝日新聞がそれまでの主張を180度変えたかのようにテロを厳しく批判したのは結構なことであるが、それ以前の社説を読んでいた筆者(松田隆)からすれば、「どの口で言ってるんだ」という感想しか持てない。
ちなみに、
“現行犯逮捕”から2日も経っているのに、4/17現在未だに木村隆二容疑者が持っていたリュックサックを
•開けられず中身の確認が出来ていない
という。
これは、開けた時に爆発?云々より、
「勝手に開ける強権ガー」
「国民の権利ガー」(以下略
という様な、今まで散々この朝日新聞とかが垂れ流しにしていた“物言い”のせいではないのか?
都議会議員、五十嵐えりと同じく仮面を被った朝日である。
朝日の仮面の下の顔は他人の川柳を利用して、
▲帰らない命、幸せ無限大、と喜ぶ顔が朝日の真の顔だ。
●五十嵐えり 都議会議員
首相も他の方も無事で良かったです。街頭演説は民主主義の根幹を支える大切な場です。この度の暴挙は、国民主権に対する脅威であり、断固抗議します。
twitter.com/nhk_news/statu…
2023-04-15 13:19:14
▲五十嵐えりは
故安倍氏の死に対して、身体をそらせ大きく笑った、笑い続けた。
そして、ああいう裁きを受けるのではなくと、、あれは裁きだと言った。
↓ 動画
●前川喜平「安倍さんが亡くなって悲しいとは思わなかった」都議会議員・五十嵐えり「笑」 #前川喜平 #五十嵐えり pic.twitter.com/O6ob0YzZeN
↓
それでいて今回、岸田首相へのテロに対しては仮面を被ってのコメントだ。
議員でなければ仮面を被る必要はない。
以下。
▲小説家の島田雅彦氏「何ら一矢報いる事が出来なかったリベラル市民として言えば、せめて(安倍氏)暗殺が成功して良かったなと」同席の青木理氏も笑う
↑
種々のサイトで動画がアップされている。
同じく、でかした! の石坂啓も仮面を被る必要はなく堂々としたものだ。
疑惑を晴らしてから死ね!の落合恵子もしかり。
これに拍手喝采する奴バラよ。
これが奴バラファシストの資質である。
記事にある、以下。
>その上で自分の主張をする。そうしたさまざまな意見が思想の自由市場に登場し、淘汰されるべきは淘汰され、より良い社会の実現へとつながる。それが民主主義である。
民主主義、すなわち多数決原理の大前提となる価値観は人類共通の普遍的価値観に立脚せねばならない。
それすなわち近代国家を形成するに至った価値観であり、その価値観は人の死を望まない。
不正を喜ばず信義、約束を守る。
奴バラファシストにそれはない。
目的の為違法行為、不正は当然だ、虚偽の流布、よっての二重規範、平和、平等の仮面を被るが自分たちの価値観(価値観ではない)と相反する者は徹底的に攻撃する。それも暴力を持って、暴力を賞賛する。
トランプ大統領は(現在形~)法と秩序、アメリカを再びメリークリスマスと言える国にするっと言ったとか、 表現言論の自由である。
すなわち記事にある以下である。
>ヴォルテールの有名な言葉に「私はあなたが言う事には賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも守るだろう。
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