ズレてる安藤優子氏 窓際指定席を外国人に「どうぞ」
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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キャスターの安藤優子氏(65)が新幹線の窓際の指定席を先に勝手に占有していたハンガリー人女性に譲ったエピソードを自身のインスタグラムで公開した。本人は美談との思いで掲載したのかもしれないが、過剰なサービスや親切心は誤ったメッセージとして伝わる可能性がある。安藤氏のズレ方は、多様性の時代における振る舞いとして適切とは思えない。
◾️ハンガリーからの母子
安藤氏は12日に自身のインスタグラムで愛犬と思われる写真等をアップし、その日にあったエピソードを紹介している。勤務先の大学(椙山女学園大学と思われる)で授業があるために新幹線に乗ったところ、「私の席に赤毛のショートヘアが素敵な女性が座っているではありませんか! で、明らかに外国の方なので、英語で「そこは私の席なのですが…」と話しかけると、カタコトの英語で「窓際の席が好きなので」と。うーむ・・・まっいいか。ということで、席をゆずりました。」とのこと。
彼女の後ろには英語が堪能な息子さんが座り、その女性は窓の外の景色が気に入ったのかずっと外を見ていたという。「…彼女には富士山が見えたら教えるという約束をしました。」と人の良いところを見せ、ハンガリーのチョコレートをいただいたことを書いている。
これが早速、スポニチの電子版に取り上げられ(Sponichi Annex:安藤優子氏「そこは私の席なのですが…」新幹線での“先客”とのやり取りに「素敵」「スマート」の声)、さらにYahoo!に転載され、さまざまな声が寄せられた。
特に多かったのは指定席なら自分の席であることを主張すべきで、そうでないと間違ったメッセージとして伝わる、といった趣旨。安藤氏は美談の主という意識があったのかもしれないが、Yahoo!コメントを見る限り、そう取った人は決して多くない。
◾️自由席なら何も問題はなく
これが安藤氏が自由席に座り、外を見たがっているハンガリー人女性に席を変わってあげて、チョコレートをいただいた、お礼に富士山が見えたら教えてあげる、と約束したというのであれば、紛れもなく美談であるし、観光客への優しい心遣いということになったと思われる。
しかし、これは指定席の話である。その席を占有する権原を有しない人が勝手に占有し、それを笑顔で「どうぞ、どうぞ」と認め、代わりにチョコレートをいただくというのでは、「新幹線の座席指定は先に気に入った座ってしまえば、日本人は譲ってくれる」という誤ったメッセージとして外国人旅行客に伝わる可能性がある。細かい話をすれば、JRの座席指定については旅客営業規則に定められている。
【旅客営業規則】182条の4
座席指定券を所持する旅客は、その券面に指定された列車、旅客車若しくは座席に限って乗車することができる。
この旅客営業規則とは、JRと旅客との運送契約に適用する条件を定める約款である。つまり、同規則に定められた契約をJRと旅客は交わしているわけで、安藤氏は先に取った自身の窓際の席に限って乗車が許されていることになる。
ここで安藤氏が席を譲ったことで、少なくとも安藤氏とハンガリー人女性の2人は旅客営業規則に反する乗車方法をしたことになる。
これは重箱の隅をつつくような話ではあるが、仮にハンガリー人女性の子供のところに別の日本人が来て「ここは僕の席なのでどいてください」と言った時に、「息子は窓際が好きなのです。私も好きなので、この人(安藤氏)に譲ってもらいました。それなのに、なぜ、あなたはウチの息子に譲らないのですか」と言ってきたら、安藤氏はどのように対処するつもりだったのか。
こうしたことを防ぐためにも、安藤氏に期待されたのは以下のように言うことだったのではないか。
「ここは指定席の車両です。予め、決められた席に座らないといけません。しかし、あなたはそのシステムを知らなかったのかもしれないし、私はいつも富士山を見ているから、今回に限り席を交代することにしましょう。他人の指定席に座っていると権利侵害になります。そのことで怒り出し、トラブルになる時もありますから気をつけてください。」
そこまでしてチョコレートを貰って、富士山が見えたら教えるという約束を交わしたのなら美談と言えるのかもしれない。当事者同士の指定席の交換にまでJRも文句は言わないであろう。
◾️文句を言わないと納得したと思われる
安藤氏がこうした言動を省いて席を譲ったのは、ハンガリー人女性があまり英語に堪能ではなかった、英語が堪能だという息子の存在に後から気付いたという事情も関係しているのかもしれない。ただ、相手からの権利侵害にNoを言わずに黙っていると、承諾していると認識する人々はかなり存在する。ハンガリー人女性はおそらくそのような認識で、安藤氏がはっきりとNoと言えば理解して引き下がるつもりであったと思われる。
それを”ダメ元”で「自分は窓際が好きだ」と占有している理由を説明したところ、それに対して安藤氏が明確にNoを言わなかったため、(分かってもらえたんだ)(請求が通った)と自らに正当な占有権原が生じたと判断したと思われる。日本人がはっきりとNoを言いにくい国民性であることはおそらく知らないのであろう。
これぐらいのことは米国の高校に留学経験があり、上智大学で学んだ安藤氏なら分かりそうなものであるが、なぜ、インスタグラムに掲載したような対応をしたのか理解に苦しむ。
筆者は日刊スポーツ在籍時、フランスでの出張が長かったが、その時期にそうした文化的な違いを実感することが多かった。特に分かりやすいのが自動車の運転。パリの道路は凱旋門を中心に放射状にのびている。凱旋門に到達したら、その周囲を反時計回りに回って、目的の道路に入っていく。これが日本人ドライバーには難所であるが、毎日のように運転していたら、うまく回るコツが掴めた。
後方の自動車が前に入れようとしていないのに強引に入っていくと、当然、相手の車は権利侵害と感じて猛然とクラクションを鳴らしてくる。それを恐れて車線に入っていかないと目的とする道路に入ることができず、凱旋門の周りをぐるぐると何周もする羽目に陥ってしまう。「入れないな、どうしよう」と思っているから入れないのであり、入れるスペースを見つけたら(自分は絶対にここに入る)という意思を示すことが重要である。ウインカーを出す、時に運転席から手で相手の車を制す、スペースがあるところを狙っているというのを周囲のドライバーに理解してもらえるような運転をする、などの意思表示を行い、チャンスと見たら躊躇なく進路変更をする。
この法則が理解できると、すぐに凱旋門周囲のロータリーから目的の道路に抜けることができるようになった。その後、取材にきたサンスポのI記者を乗せて運転したところ「松田さん、現地の人みたいに運転しますね」と驚かれたものである。なお、パリ在住の日本人に聞いたら「こちらでは不満に思っても『Non』と言わなければ『Oui』の意味にとられます」という趣旨の話をしていた。
◾️多文化共生の時代に
多文化共生の時代である。異なる文化的背景を持つ人々と、日常的に接して生きていく時代となっている。文化や風習の違いを理由に排除、排斥するのではなく、違いを理解し、認め合い、相互に尊重して共存することが求められている。
なぜ、そうしなければいけないのかといえば「文化的多様性の保護は、人間の尊厳への敬意と不可分の倫理的急務である。文化的多様性の保護とは、特に少数民族・先住民族の権利などの人権と、基本的自由を守る義務があることを意味している。」という文化の多様性に関するユネスコ宣言第4条に根拠を求めることが多い。
そうした点を考えると安藤氏の行為は本当に多文化共生の時代に適合していたのか疑問に感じる人は少なくないはず。相手の文化的背景について理解せず、一方的にマジョリティが譲歩して相手の権利を過剰に許容している。それが日本的美徳ではあることは否定しないが、共生の時代に安易に実行するとマイノリティに誤ったメッセージとして伝わりかねない。日本的美徳を発揮するなら、その趣旨をはっきりと伝えてから実行すべきで、そうしないと、そのマイノリティは誤解して他の場面で決定的な摩擦を生じさせることに繋がる。
多文化共生の時代は、日本的美徳も使い所を間違えると摩擦の原因となり得るため、慎重な姿勢が求められる。対等であるべきマジョリティとマイノリティに不必要な摩擦が生じれば、結果として共生から遠ざかる。
細かい話ではあるが、キャスターの職にある安藤氏が、この程度の認識しかないことが残念でならない。昭和の感覚で異文化の人々と接しているようなら、もう、一線から身を引いてはいかがか。
>JR東日本も文句は言わないであろう。
そりゃ言わないでしょうね。東海道新幹線を運行しているのはJR東海ですから。
JR東日本⇨JR
修正しました。失礼しました。
松田さんが言われていることは正しいと思います。ただ、私が安藤さんと同じ立場に置かれたら、「富士山は見慣れているし、外国人の方に美しい富士山を見せてあげたいな」という気持ちにが先に立って、「どうぞそのままお座りください」と言いそうな気がします。もちろん、そこに座っている人が外国人でなければ「そこは私の席ですよ」とはっきり言いますけどね。