2019年最悪のジェンダー関連発言は福島みずほ議員 「差別だ!」で言葉狩り
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
最新記事 by 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 (全て見る)
- 青学大シーソーゲーム制し選手権切符 - 2024年12月2日
- 豪16歳未満SNS禁止 ネットいじめ端緒 - 2024年11月30日
- NHKどの口で袴田事件語る 札幌元教師を犯人扱い - 2024年11月28日
三浦まり上智大学教授らが呼びかけ人となった「公的発言におけるジェンダー差別を許さない会」が12月30日、ジェンダーに関する2019年の政治家のワースト発言を決める投票を自サイトで開始した。候補の発言を見ると「なぜ、いけないの?」というものが多い。その一方で、社民党の福島みずほ議員の露骨な性差別発言は入っていない。表現の自由への恣意的な制約でしかない試みを、メディアが嬉々として報じている姿は異様である。
■朝日新聞や毎日新聞がこぞって取り上げ
朝日新聞や毎日新聞がこぞって取り上げたこの話題だが、「公的発言におけるジェンダー差別を許さない会」(以下、許さない会)が問題としたのは例えば、自民党の平沢勝栄衆議院議員の「LGBTで同性婚で男と男、女と女の結婚。これは批判したら変なことになるからいいんですよ。もちろんいいんですよ。ただ、この人たちばっかりになったら国はつぶれちゃうんですよ」という発言。
これに対しては「遠回しな同性婚および同性愛者批判である可能性も否定できない。」と解説している。
平沢氏は同性愛への批判ではなく、事実を述べているに過ぎない。個人が好きなように自分らしく生きることと、人としての集団の持続性は全く別問題である。
■子供を産んでと頼んだら「基本的人権を無視」
もう一つ紹介しておく。桜田義孝衆議院議員の「お子さんやお孫さんにぜひ、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」という発言も槍玉に挙げられた。「出産は個人の生き方やリプロダクティブ・ヘルス/ライツに関わることであり、他人に指図されることではない。個人の生き方の選択の自由という基本的人権を無視するような発言。」と解説している。
見ての通り、桜田議員は指図などしていない。「お願いしてもらいたい」と頼んでいるのである。これは少子高齢化の解消のための呼びかけであり、もとより「子供を産め」などと強圧的に言っているのではないし、国会議員が国民に出産を強要する権限などない。政策実現のために若い世代に訴えかけることも許されないと言うのであろうか。
■”言葉狩り”する集団 彼らこそが「自由の敵」
「許さない会」の一連のやり方は、一時期、メディアに対して特定の団体が行っていた「言葉狩り」に相通ずるものがある。確かに、心身の障害や病気、職業に対する人権意識が希薄な表現は少なくない。そうした表現がメディアからなくなったことは好ましいことではあるが、それは表現の自由に対する制約と表裏一体のものであるから、慎重に取り扱われなければならない。
性的マイノリティ、あるいは女性に対して、ネガティブな要素の発言は一切許さないというのが「公的発言におけるジェンダー差別を許さない会」の考えのようである。彼らこそが自由の敵であると思う。
「許さない会」が実施するアンケートは、ジェンダーに対する自由な表現、政治的主張を「差別だ!」の一言で封じ込めるのに一定の役割を果たすであろう。彼らが政権を握った時に、我々は自由に発言することができなくなるのではないかという、拭いきれない不信感がある。「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」もそれと同根であろう。
■福島みずほ議員は? 小池晃議員は?
最後に福島みずほ議員らの発言を記しておこう。彼女は今年6月30日にツイッターで「女性が未来を開く。おっさん政治をやめさせよう!」とツイートした。彼女のいう「おっさん政治」なるものの正体は分からないが、中高年の男性が行う政治は未来を開かないという決めつけなのか。性別・年齢によって、本来平等であるべき政治の世界への参加を制約する試みなのか。これは相当悪質な発言であると思うし、これこそが2019年のワースト発言であると思う。
また、12月23日には共産党の小池晃書記局長が、強制わいせつで書類送検された初鹿明博議員を共産党が衆院選で応援したことについて記者から問われ「総合的判断です」と答えている。これは、強制わいせつの疑いを持たれた議員でもあっても、他の要素を加味すれば支援することもあり得るという趣旨に取れる。
このような発言をワースト発言の選択肢に入れていないあたりに、彼らの主張の非合理性がみてとれる。
こんにちは
令和元年も今日一日、松田様のブログから思い去来するところをランダムに、
又々長い~
で、
ロッキードからの流れだったのですが、この記事からカット&ペーストで入れ替えて、脈絡とニュアンスに狂いが、、もともとですが(>_<)
今年の社会問題として最も危惧を抱いた事は、、
明確なる憲法違反である川崎市の罰則が伴なうヘイトスピーチ条例。
識者達から表現の自由を抹殺するものだと澎湃として反対意見が湧き上がるかと思いきや全く無いに等しく、いぶかしく思うところです。
ある種の勢力の力が大きく働いた指摘がありますが、その力の存在に対して過去、
ニューズウィーク誌が反ヘイトという名のヘイト、と報じたことは勇気ある、よき記事であったと思います。
神奈川新聞の石橋なる記者は逆の意味での勇気?というか行動力はあるもフェイクニュース、虚偽を流布することは許せません。(係争中だと)
憲法違反で即提訴することは不可能だとか?
これも松田様に切り込んで頂けたらと、もう一つの年の瀬の妄想です、、
多くの血をもって確立された近代国家の構成要件の一つ、表現の自由を何としても守らねばなりません。(基本的人権、山口氏の人権も)
大阪市では条例違反として氏名公表が行われるに至りました。
蟻の一穴の例えもある様に条例施行が伝播する危惧を持ちます。
渋谷区の事実上の罰則を伴うLGBTに関する条例。
同性愛者に賃貸物件を貸さぬ者氏名を公開するとか、確か、
世田谷区長は社民党の保坂氏、必ずや呼応するぞと言っていたところ、
類似したパートナーシップ制度なるものを制定。
先月まで週刊文春にて、
●ロッキード 角栄はなぜ葬られたのか、真山仁氏の連載がありました(未読)
なぜ?であり、誰が、誰達が、の切り口ではなく、
その一軍を担う者達というか、故京都大学名誉教授、会田雄二氏の話しが印象に残っています、それは東大卒のエスタブッリッシュメント達だと、(+国民の一部を加えたい)
日中国交正常化に際して角栄氏が送った漢詩の体を成していない漢詩もどき、それに対して毛沢東から返礼として送られた詩集の意味、、
自分たちが生き恥をかかされたと、角栄は許さない旨の官僚からのエピソード、
この話は、
その潜在願望、集合意識の発露としての影響を示唆したものと思いました。
類似したことを故渡辺昇一氏も司法界の人間から(間接的に)聞いたと、角栄氏だから嘱託尋問調書の違法性は問題にしないと、、
故渡辺昇一氏と立花隆氏の長期にわたる論戦がありましたが、
立花氏のすり替え、逃げ、人格攻撃の卑しさ、これを指摘する者多数、私もしかり、
反田中、立花氏支持派は論破したと、
故渡辺氏は公開討論を申し込むも無視、逆に渡辺氏は逃げたと喧伝したと。
ネットにソースあり。
私としては
松田様が新たなる切り口から何故?嘱託尋問調書が採用され反対尋問不可とされたかの問題を上梓され立花氏を論破(相手は認めない)する妄想が湧く年の瀬なのであります。
ロッキード裁判批判を批判する 立花隆著 未読
ロッキード裁判は無罪だった 田原総一郎 未読
(これは五億円授受の有無からの切り口。)
表題未定 ~~ 松田隆著!
仮題1 立花隆氏のロキード裁判批判を批判する。
仮題2 答えよ、立花隆!
その他パチンコの三点方式は合法だが他が導入することは不可であるとか、
今般のIRに関連した逮捕など、
伊藤詩織氏支持者達の妄想を惹起する問題が確かにありと、つまり世の中には裏があるのだという,,
種々色々、妄想が湧くに至った今回の事件です、、
年の瀬のお忙しい折、ご返信頂くことは心苦しく思います、どうそご自分のお時間をお過ごし下さい。
来たる年が大いに飛躍される年でありますように。
ご活躍を、記事を楽しみにしております。
追伸
ユーチューブに、
>伊藤詩織氏の事件でドアマンの証言の無意味さ 週刊新潮の記事は雑すぎる
が全文アップされていました。
御承知の事か、いずれにせよ拡散されていくことは喜ばしい事です。
今は、消えています、、、消されたのか?
以前、私なりの詳細コメントをアップしたところ、しばらくして削除されました。
ヤフーコメントでは深層学習での違反コメント対策を開始しました、と表示されアップできません。
このことを、ヤフーコメントで訴えたところ現時点で189の、そう思う、をもらいました。
多くの人が経験されているのかと、
以下コピペ
>伊藤氏への疑問点が多々あることは指摘されている。
>それを具体的にコメントすると、此処でも、ヨウツベでも消されてしまう。
>彼女の主張、行動を時系列で追うとよくわかる。
>これは疑念ということだ。
>真相は当事者以外だれもわからない。
返信0
• 189
• 30
>>野崎様
コメントをありがとうございます。
twitterでもアカウントの凍結などが頻繁に発生しているようですね。
伊藤詩織氏の裁判がこの先どうなるか分かりませんが、もし、高裁で逆転されたら伊藤詩織氏を擁護していた人たちは何て言うのだろうかと思います。
社会の全体のトレンドとして、弱者に対して甘いというのはあります。合理的な分析より、感情がものを言うみたいな。そういう風潮に僕はNOを唱え続けようと思っています。伊藤詩織氏の事件はその象徴的な事例であると考えています。
これからもよろしくお願いいたします。