調教師試験合格 蛯名正義騎手の最高の奥さん
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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中央競馬の蛯名正義騎手(51)が12月10日、調教師免許試験に合格し、来年3月から調教師に転身することとなった。騎手デビューから10年近く取材した経験のある者としては格別の思いがある。そこで同騎手に関する取材裏話を披露しよう。
■土曜競馬中継アシスタント石森かずえさん
蛯名正義騎手の一枝夫人はかつて土曜競馬中継(テレビ東京系、現在、ウイニング競馬として放送中)でアシスタントをしていた石森かずえさんであることはよく知られている。石森さんは1988年~1993年に同番組のアシスタントとして活躍された。当時、僕が所属していた日刊スポーツ新聞社レース部では、競馬のコラムを石森さんに依頼していた。
女性のキャスターにスポーツ新聞がコラム執筆を依頼するのはよくある話で、若い女性に競馬について語ってもらうことで男性読者にアピールし、同時に女性の競馬への垣根を低くする目的がある。競馬番組のキャスターは競馬について一定の専門性をもって語れる上、ビジュアル面でも紙面を華やかにするから、この上ない存在であった。
執筆の依頼は競馬場で僕が本人に打診し、内諾を得てから事務所に正式な依頼という形を取ったように思う。
石森さんはほぼ競馬を知らずにアシスタントに就任したようであったが、よく勉強されていたせいか、執筆を依頼した段階ではかなりの知識を有していた。
■「ご結婚という報道を目にしますが…」
そんな石森さんと蛯名正義騎手が交際しているのではないか、結婚するのでは、という話が週刊誌などで扱われるようになった。1993年だったと思う。交際説がかなり表になり、各スポーツ新聞も水面下で動き始めていた。日刊スポーツではコラム執筆を依頼している関係から情報は入りやすく圧倒的に有利な立場にあったわけだが、それは逆に「もし他社に抜かれたら、面目丸潰れ」という状況でもあった。ただし、当事者の口は固く、蛯名正義騎手はその件では一切、沈黙を守っていた。
そういう状況下で、1993年の2月末か3月初頭だったと思う。中山競馬場の記者席を出たところで、放送前の石森さんとばったり会った。これは千載一遇のチャンスとばかり、ストレートに聞いた。
松田:大変、申し上げにくいのですが、石森さんがご結婚という報道を目にしますが、実際のところはいかがでしょう
石森:え!? そうなんですか?
松田:蛯名正義騎手とご結婚というお話が一部で出ていますが
石森:やーだぁ、松田さんまで、何言ってるの(笑)。あれは週刊誌が勝手に書いてるだけですから。
松田:そうなんですか?
石森:そうですよぉ。
松田:僕はてっきり、ご結婚間近だと思っていました
石森:そんなこと、ありませんから(笑)
この話を聞いて、(さすがに本人がここまで言うのだから、仮に交際は真実だとしても結婚はないだろう)と判断し、「蛯名騎手との結婚はガセネタの可能性が高い」と会社に報告した。
■報知新聞がスクープした蛯名正義騎手結婚
ところがこの2、3日後のこと、報知新聞(現スポーツ報知)が「蛯名正義騎手が石森かずえさんと結婚」というスクープ記事を飛ばしたのである。それを追認するかのように蛯名騎手の師匠である矢野進調教師が結婚を発表。
おそらく、仲人となった吉田照哉氏サイドからのリークだと思う(当時、社台グループと報知新聞は蜜月関係にあった)。記事に使用されていた石森さんの写真は、タレントの記事を扱うにしてはあり得ないモノクロの資料写真だった。仮に石森さんサイドからのリークであれば、笑顔のカラー写真を提供していたはず。その事実からも石森さんサイドからの情報ではないのはもちろん、記事が出ることすら知らなかったであろうことは、見る者が見ればすぐに分かる記事だった。
とはいえ、日刊スポーツとその担当記者としてはコラム執筆者の結婚報道で遅れをとるという、何とも屈辱的な結末。2、3日前に「ガセです」と報告した僕に対し、社内の風当たりが強くなるのは当然のことである。
その週の土曜日の中山競馬場、僕は記者席を出たところで、またしても石森さんとばったり会った。彼女は僕の顔見ると、軽く会釈をしつつ申し訳なさそうな表情をした。そこで僕の方から声をかけた。
松田:おめでとうございます。
石森:…ありがとうございます。…松田さん、本当にごめんなさいね。
松田:いえ、(石森さんにとって)一生に関わる事ですから。
石森:色々あって、メディアに先に言えない事情がありました。本当にごめんなさい。
放送前なのに泣き出しそうな表情で言う彼女を見て(何ていい人なんだろう)と思ったのを覚えている。古い世界の厩舎村でのこと、先に報告しなければならない人が多く、そういったしがらみなどでがんじがらめになっていたことは想像に難くない。
■1993年10月 蛯名正義騎手の自宅に電話をかけると…
後日談がある。彼女が結婚後の1993年10月、蛯名正義騎手のお手馬マイヨジョンヌ(美浦・畠山重則厩舎)という馬が、当時菊花賞トライアルだったG2京都新聞杯に出走することになった。前走まで蛯名騎手が手綱を取っていたが、栗東入り後、武豊騎手にスイッチという話が出た。
それをサンケイスポーツが記事にするらしいという話を締め切り時間間際に栗東出張中だった僕が聞きつけ、同じ話を聞いたスポーツニッポンの記者とともに急遽現場で取材協力することにして、裏取りに走った。
しかし、携帯電話も普及していない時代、関係者がなかなかつかまらない。そこで僕が蛯名正義騎手の自宅に電話をかけた。こういう場合、降ろされる騎手に聞いても「そんなの調教師に聞けよ」とブチ切れられることは少なくない。それを覚悟で電話をかけると、出たのは蛯名騎手夫人となった石森さんであった。
蛯名騎手は外出中だという。騎手の奥さんに「この馬に乗りますか?」と聞いても「分かりません」と答えられるのは目に見えている。それでも締切間際であり、ダメ元で聞いてみた。
松田:今週のマイヨジョンヌですが、蛯名騎手は騎乗されるのでしょうか
石森:……乗らないと思います。
この時点で蛯名騎手の降板は間違いないことになった。会社に連絡して「蛯名降板、武豊と新コンビ」の予定原稿を送り、その後、スポニチの記者とともに、マイヨジョンヌを連れて栗東入りしていた小桧山悟調教助手(現調教師)をつかまえ、「こんな夜遅くに何だよ」と怒る同助手をなだめつつ話を聞くと武豊騎手へのスイッチを認めたため、記事はそのまま掲載となった。翌日の新聞ではサンスポ、スポニチ、日刊スポーツと横並びで記事が出たのはそうした事情である。
■調教師夫人として厩舎経営を支える存在に
石森さんがあの時、「乗らないと思います」と言ってくれなかったら、少なくとも予定原稿を出すことはなかったから、記事の掲載はなかったと思う。
後になって、彼女の答えに彼女が難しい立場を乗り越えて答えてくれていることに気付いた。彼女は「乗らないと思います」と答えたのだが、仮に「乗りません」と断定的に答えれば、それは騎手夫人として夫の騎乗馬に関する情報をメディアに伝えたことになり、厩舎サイドからは(女房が何を出しゃばっているんだ)との批判は避けられず、何より、騎手の奥さんとしてすべきことではない。
そこで、騎手夫人という立場ではなく、元キャスターとして自身の推測という形で「…と思います」と語ったのではないか。騎手夫人として最低限守るべきものを守りつつ、自分ができる範囲で精一杯のことをしてくれたのは、僕に対する義理立て、(あの時の借りを返そう)という思いだったのかもしれない。
最高の奥さんだな、と思う。
その石森さんは来年3月からは調教師夫人となる。厩舎経営を陰で支える存在になるのだろうが、是非とも、日本の競馬を盛り上げていただきたいと思う。
》》ジャーナリスト松田様
〉放送前なのに泣き出しそうな表情で言う彼女を見て(何ていい人なんだろう)と思ったのを覚えている。
抜いた、抜かれたの熾烈な世界で、取材対象者を思いやれる気持ちはとても大切だと思います。しかも事情はともかく、記者として不利益を被った相手に対してなら尚更でしょう。
当時の松田記者の真摯な姿勢が、なんとなく想像できるような気がしました。心を感じることの出来るプロフェッショナルな記者こそ、メディアにとって必要不可欠なのでしょうね。
これからも松田さんの視点から、特にメディアの体たらくを鋭く指摘して頂きたいと思います。
>>MR.CB様
過分なお褒めの言葉をいただだき、恐縮しております。
後から聞いた話では、結婚を聞いた矢野進調教師が騎手の将来を考えて吉田照哉氏に仲人を頼んだらしく、その調整もあって報道が先行するわけにはいかなかったようです(あくまでも聞いた話で確証はありません)。それで調整がついた段階で報知が社台サイドからキャッチして、というものと想像しています。
おそらく締切間際に情報が入ったのだと思います。慌てて記事を書いたのがミエミエの、事実だけをぶっ込んだ練れていない文章だった記憶があります。
また、石森さんの写真が(結婚報道なら、もう少しいいショットを使ってやれよ)みたいな証明書用のような写真だったのは、社内にそれしかなく、手配する時間がなかったからでしょう。スポーツ新聞の結婚報道では女性の美しい写真を「ドーン!」が基本です。石森さんはとてもお綺麗な方でファンが多かったですし。とはいえ、石森さんサイドに確認し写真提供を求めたら、コラムを書いている日刊スポーツに漏れる可能性があるという判断が働き、(石森さん、この写真で勘弁して)みたいな感じでゴーサインの記事掲載だったと想像しています。
もう27年前ですか。僕にとっても青春の1ページのような記憶です。
美浦で厩舎開業は、施設面で栗東より大変ですね。
美浦も大改修されるみたいですが、栗東周辺の外厩施設の充実は素晴らしく、
2か月前にオープンした「チャンピオンヒルズ」の坂路は、ニューマーケットの
ウォーレンヒルの坂路に匹敵する評判で、オープン馬の多くは、栗東の過密状態を
避けるためにレース2週間前まで、チャンピオンヒルズなどで調整する可能性大です。
関西で外国調教馬検疫と調教場が、兵庫県・三木ホースランドパークになっていますが、
三木ホースランドパークからチャンピオンヒルズに検疫と調教場を変更するのではないでしょうか。
https://www.jra.go.jp/news/201912/121208.html
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52662870X21C19A1000000
蛯名騎手が調教師になると聞き、なぜかネットで石森かずえを検索したらここがヒットしました。当時は石森さんのファンでかずえを奪った憎いやつ(笑)だろ思いましたが、もう昔の思い出です。確か石森さんは競馬中継のアシスタントに抜擢された後、「私はギャンブルには一切、興味がありません。あくまでも仕事ですから」と発言されてましたけど、「気が付けば騎手の女房(盗作)」でしたね。エビショーにダービー取らしたかったな。
>>まくるん様
コメントをありがとうございます。
確かに「石森かずえ」を検索すると、この記事が一番最初に出てきますね。「googleさん、ありがとう」という感じです(笑)。
本文で見ていただいた通り、義理人情に厚い、漢気(おとこぎ)のある方でした。褒め言葉です。日刊スポーツのコラムは、石森さんの後、故浜尾朱美さんという流れだったのですが、あの頃は仕事をしていて楽しかったです。
昔話はともかく、またいらしてください。最近は競馬の話はほとんど書きませんが、海外競馬を含めて思い出した時には書くようにしています。
競馬に関係してから半世紀を経過しています。大学の卒業論文で競馬を出稿してからもほぼ半世紀が経過しています。今日はサッカ-の中継があり気持ちが高揚し久し振りに土曜競馬を観ていたところ武豊と同級生の蛯名騎手(現調教師)を思い出し、彼がテレビ東京の競馬中継の女性と結婚したことを再度思い出し懐かしい感覚を教示できてます。今日楽しい日でした楽しい日でした。
半世紀ということは、ハイセイコーのあたりから競馬と関係がおありということでしょう。卒論まで競馬とは、筋金入りです。
僕は13年担当した競馬を離れる時に当時、東スポ本紙予想だった渡辺薫さんに挨拶に行った時に「よかったな。お前、競馬は好きじゃないもんな」と言われました(笑) 決して嫌いではなかったのですが、熱量不足と思われていたのでしょう。
蛯名騎手はクレバーな人というイメージがあります。武豊騎手と同様、一般社会でも十分に成功する人と感じていました。今でも蛯名厩舎、武豊騎手が出てくると応援しています。