神田沙也加さん急逝 松田聖子さんへの思い
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
最新記事 by 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 (全て見る)
- 無理筋か 旧ジャニーズ事務所に3億ドル請求 - 2024年12月19日
- 少子化対策の基本に還れ 保険適用化で医大教授発言 - 2024年12月16日
- マスメディア沈黙の事情 分娩費用の保険適用化 - 2024年12月15日
女優の神田沙也加さんが18日午後9時40分、急逝した。35歳だった。歌手の松田聖子さんの長女である神田さんは、札幌市内のホテルの高層階から転落したと伝えられている。
■父は俳優の神田正輝さん
神田さんは18日昼頃に体に血がついた状態でホテルの14階の屋外スペースで倒れていたところを発見された。意識不明のまま病院に搬送され、その後、死亡が確認された。自殺の可能性もあると報じられている(スポーツ報知電子版・神田沙也加さん急死 札幌のホテル高層階から転落)。
まだ30代半ば、エンターテイメントの世界で仕事を順調にこなし、これから更なる活躍が期待されるという時であった。
父は俳優の神田正輝さん、母は日本を代表するアイドル歌手だった松田聖子さんという、芸能界屈指のサラブレッド。とはいえ、活動の中心はミュージカルなど舞台で、また、映画「アナと雪の女王」ではアナ役の日本語吹き替えを担当するなど、偉大な母とは異なる方向での活躍が目立っていた。来年4月からのミュージカル「銀河鉄道999」でもヒロインのメーテル役が決まっていたという(同記事から)。
■1985年12月「子供がほしい」
僕は松田聖子さんと同世代で、大学生の頃はまさに彼女のアイドルとしての活動期と重なっている(参照・気がつけば松田聖子がそこにいた)。リアルタイムで「赤いスイートピー」や「夏の扉」を聴いていた世代だけに、亡くなった神田さんを悼む思いはもちろん、娘を亡くした母親に対する思いも強い。
1985年(昭和60)12月26日、ザ・ベストテン豪華版(TBS系)に結婚で芸能活動を中断していた松田聖子さんが電話で出演。司会の黒柳徹子さんの(来年、したいことは?)という問いに「プライベートな面では、やっぱり子供がほしいなぁと思っています」と答えた。
当時、社会人1年生だった僕は(今年の初めまでアイドルで活躍していた人が、母親になろうとしている)という事実に、時の流れを感じさせられたものである。そして、自分も学生から会社員になったように、その流れは等しく及んでいること、そして、もう楽しかった学生時代は遠い昔の出来事になったこと、さまざまな思いが去来したのを覚えている。
それからおよそ9か月後の1986年10月1日に神田沙也加さんが誕生した。1997年1月に松田聖子さんが神田正輝さんと離婚。その際には婚氏続称(民法767条2項、戸籍法77条の2)によって、夫の姓の「神田」を選択したようである。これは神田沙也加さんが小学生だったため、途中で苗字が変わることを避けるためだったと言われている。
2011年には26歳になっていた娘とNHK紅白歌合戦で共演し、オールドファンを含め多くの人々を喜ばせた。
神田さんは一時期「ALICE」というペンネームを使っていたことはよく知られている。母親のヒット曲「時間の国のアリス」にちなむものだったという。僕にとっても思い入れが深い同曲(前出・気がつけば松田聖子がそこにいた)に由来するペンネームを使っていたことを知った時に、何か嬉しく感じたことを覚えている。
■還暦直前での悲報
松田聖子さんの所属事務所「felicia club」は19日、「松田は、未(いま)だこの現実を受け止めることができない状態です」と説明している(スポーツ報知電子版・松田聖子「この現実を受け止めることができない状態」、神田沙也加さん死去に所属事務所がコメント)。
59歳で35歳の一人娘を失う辛さはいかばかりかと感じる。これまでの報道によると、母娘で対立があったとされているが、その絆は強固なものであるはず。同世代のアイドルの人生をテレビ画面などメディアを通じて見てきた者としては、かける言葉もない。
この思いをどう表現していいのか分からないが、学生時代にほのかに憧れ、今も遠くからとはいえ、その活躍を目にする女性には幸せになってほしいと願うであろう。その女性が還暦直前に一人娘に先立たれたらと聞いたら、胸が締め付けられるような思いになる。同世代の人間でそんな思いをする人は少なくないと思う。
人生も終盤にさしかかった世代にとって、さまざまな活動のモチベーションは家族、特に後に続く世代の存在による部分が大きい。「親より先に死ぬのは一番の親不孝」という言葉が現実味を帯びて考えることができるようになる年代でもある。僕が松田聖子さんと同じ立場になれば、(もう、人生、どうでもいいや)と投げやりな気持ちになってしまうかもしれない。それぐらい家族、特に子供の存在は大きい。
松田聖子さんには、彼女の歌声が流れる時代に青春時代を過ごしたものとして、心よりお悔やみを申し上げたいと思う。
■神田沙也加さんに合掌
神田さんにすれば、母親が日本でも屈指のアイドルだったという事実は、人生にとってプラスにもマイナスにも働いた可能性はある。
辛いこともあったかもしれないが、今は安らかにおやすみいただくことを願うのみ。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
命を断つ理由は、ご本人にしかわかりません。ご遺族は、助けられなかったことを悔い、ご自身を責め続けます。
メディアは憶測であれこれ言うでしょうが、今はそっとして差し上げるのが、ご遺族への礼儀であり思いやりのように感じます。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
合掌
私は、ここのサイトのコメンテーターの常連ですが、今回ばかりは、言葉もありません。
ご冥福を、心よりお祈りいたします。
ショックですね。松田聖子氏は女房と同じ歳で、私の長女も35歳です。他人事には思えません。結婚した昭和59年の時には女房は「聖子カット」でした。それに、孫達は「アナと雪の女王」の熱烈なファンで、買ってあげた人形を何時も大事に持っています。孫達には内緒にしておきます。ご冥福をお祈り致します。