ムスリムと飲酒 日本人が知らない留学生事情
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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宗教的理由から飲酒の習慣がないムスリムは本当に一切、アルコールを口にしないのか。この疑問を直接、日本に来た留学生にぶつけると、意外な答えが返ってきた。複数のムスリムは声をそろえて飲酒の経験があることを明らかにした。ダイバーシティが叫ばれる昨今、異文化理解はステレオタイプのものの見方を捨てることから始めるべきことを考えさせられる。
◾️コーランの一節で禁じられた飲酒
イスラム教徒(ムスリム)が決して飲酒を禁じられていることは日本人の間でもよく知られている。これは聖典コーランが明確に禁じていることが根拠となっている。
(第90節)信仰する人たちよ、誠に酔わせるもの(酒)と賭け事、偶像や占い矢は不浄な悪魔の行為です。だからそれを避けなさい。そうすればあなた方は成功するでしょう。
(第91節)悪魔は酒と賭け事を通じて、あなた方の間に敵意と憎悪を引き起こすことを望んでいるだけです。そして(悪魔は)アッラーを唱念することや礼拝から、あなた方を妨げるだけです。それでもあなた方は、(酒や賭け事などを)止めないのですか。
(クルアーンやさしい和訳:5食卓章 第90–91節)
食卓章では飲酒を禁じるだけでなく、豚肉を食べてはいけないこと、豚肉以外でもアッラーの名を唱えられずに処理された食肉を食べてはいけないことなどが定められている。具体的には牛肉でも「アッラーは偉大なり」と唱えられながら所定の方式で処理されて出来上がった食肉は食べられる。しかし、日本で普通に処理された場合には食することは禁忌にあたる。
このように食べていい食品はハラール(Halal=許されたもの)であり、最近は周辺にムスリムが多く居住しているスーパーに行けばハラールコーナーが設置されていることに気づくであろう。
こうした情報が断片的にでも入ってくることから、我々日本人は「ムスリムは酒を飲まない、豚肉を食べない、牛肉や鶏肉でもハラール食品しか食べない」という認識を持っている人が多いように思われる。
筆者はライター以外にも講師の仕事をしており、ムスリムの留学生と話をする機会が多い。彼らは、ラマダーンの期間中は太陽が顔を出している時間には水も飲まず、また、昼休みには仲間と連れ立ってメッカの方向を向いて礼拝をしている。異国の地に来ても宗教的戒律を守り、ムスリムとしての誇りを持って生活していることを。筆者は実際に目にしている。
◾️「日本人でも同じでしょ?」
先日、たまたま西アジアからやってきた複数のムスリムの留学生と話をしたところ、飲酒に関する話になった。「君たちは酒は飲まないからな」と筆者が言ったところ、彼らは少し表情を緩めている。その中の最も日本語がうまい男子学生A君が口を開いた。
「ムスリムは酒を飲みません。でも、僕はたまに飲みます」。
それを聞いて周囲にいた学生も表情を緩めた。筆者の主観であるが、バツの悪い時の笑みのように見えた。「飲んだことあるの? コーランで禁じられているだろう」と言うと、その学生はこう言った。
「先生、日本人も本当はルールを守らなくてはいけないけど守ってないことはあるでしょ?」
筆者は少し考えてからこう答えた。「自動車を運転している時、40kmで走らないといけない道路でも、50kmか60kmで走っていることは多いな」。
「ムスリムも同じです。酒は飲んではいけません。でも、たまにはルールを破ってもいいんです。だから酒を飲みます」。
話していた学生とは別の国から来た学生B君に「君も飲むの?」と聞くと、「はい、たまに飲みます」との答えであった。ちなみにこのB君はシーア派、A君はスンニ派に属しているようであるが、異国の地では同じムスリムということで仲良くしているところはよく見かける。
彼らが笑みを浮かべていたのは、あまり表に出せない話をムスリムの間で共有していること、そしてそれを非ムスリムの人間(筆者)に教えることの気恥ずかしさのようなものであったのかもしれない。
◾️避けたいステレオタイプ
以前、インドネシアから来たユニークな留学生の話を書いた。毎晩ビールを飲み、チャーシャー入りのラーメンが大好物という彼に、イスラムの教えを守らない理由について聞くと、日本語で「先生、生きているうちに楽しいことしないと、意味ないですよ」とはっきりと口にした(参照・酒を呑みチャーシューを愛するムスリム 世界観が変わる話)。
10億人を超えると言われるムスリムの中にはそういう人もいるのであろうと、その時はあくまでも極めて例外的な事例と捉えていた。
しかし、今回、複数のムスリムが皆、酒を飲んでいると教えてくれたことで、実はムスリムと言ってもガチガチの信徒だけでなく、時には破戒をして世俗に触れる信徒、さまざまなのではないかと思えた。実際、話をしてくれた学生は「全く酒を飲まない人もいます。でも、僕たちのようなムスリムもいます」と、ムスリムの中の多様性を強調していた。
ダイバーシティが叫ばれる昨今、異なる文化的背景を持つ人々との共生は大きなテーマである。多文化共生は異なる文化的背景を持つ人々を、その違いを理由に排除するのではなく、理解し、認容することが重要と言われる。理解をする際には、この人たちはこういう文化的、宗教的背景を有しているから、こういう人に違いない、というステレオタイプのものの見方をすると理解を誤る可能性がある。
以前、時代遅れの学生運動をしていた学生が「僕ならムスリムと酒を酌み交わしてお互いを理解し合える」という趣旨の発言をして世の嘲笑を浴びた。ステレオタイプのものの見方をする以前に、ごく基本的な事実関係すら知らずに世直しを訴える学生の姿勢が、世間から厳しい批判を受けるのも当然であった。
ただし、ムスリムは酒を飲まないという基本的な事実を知っていても「だから、誰一人としてムスリムは酒を飲まない、戒律に忠実に生きている」と決めつけるのは、まさにステレオタイプの物の見方であって、そのような姿勢は真の理解から遠ざける効果をもたらしかねない。集団を構成する1人1人には違いがあるということを理解した上で彼らと接することが重要である。
◾️A君が見せたムスリムの誇り
たまに飲酒をするというA君であるが、ムスリムとしての誇りを持っていることは伝えておかなければならない。
ムスリムは約束を守れなくても「インシャッラー」(アッラーの思し召し)という言葉が、時に責任回避の口実として使われるのではないかと感じていたため、その点をA君に尋ねたことがある。するとA君はこう答えた。
「先生、そういう人間はムスリムではありません。本当のムスリムはそういうことはしません」。
実際に個人的に接点を持ってコミュニケーションをとることで、本当の姿が見えてくる。「馬には乗ってみよ、人には沿うてみよ」という言葉は今の時代にこそ相応しい。








宗教規律の厳格性は人それぞれ、国それぞれです。
マレーシアやブルネイはイスラム教が国教ですが、マレーシアでは酒も豚肉も出回っていて、イスラム教徒でたしなむ人は多いですし、ブルネイでは売っていないですが外国人が酒を持ち込むことには比較的寛容です。
スーダンもイスラム国ですが、市内の中華料理店では豚肉が出ますし、酒は密輸でしか手に入りませんが、発覚しても取り上げられるだけでした。私がおつきあいした公務員たちは殆んど飲んでいましたね。サウジやリビアなどは宗教警察もあって、酒は所持しているだけで厳罰だったので、住人で飲んでいる人はほとんどいなかったと思います(30年前の話です)。
貴重な情報をありがとうございます。
多文化共生が叫ばれる時代、僕のような不勉強な者はステレオタイプな見方に陥りがちです。あらためて、1人1人を見ること、実際にコミュニケーションをとってみることの重要性を思います。