甲子園から女性排除 朝日のジェンダー平等宣言
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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夏の甲子園が6日、開幕した。開会式で代表校の更新を先導したのは、三田西陵高野球部主将で女性の東尾凛さん。堂々としたその行進に大きな拍手が沸き起こった。主催する朝日新聞も女性が先導役になった快挙を讃える記事を公開したが、そもそも大会に女性も出場できるようにすればいいのではないか。朝日新聞社は2020年4月に「ジェンダー平等宣言」を発表しているが、高校生にジェンダー不平等を押し付けている現状には首を捻らずにいられない。
■女子選手の東尾凛さんが大役
今年の夏の甲子園は新型コロナウイルス禍で出場校の主将のみが参加(6校は欠席)する変則的な開会式で、先導役となったのが高校3年の女子野球部選手であったことも大きな話題となった。三田(さんだ)西陵高野球部の主将で捕手の東尾凛さんが大役を務めた。
朝日新聞もこの事実を写真付きの記事として扱い、「幼い頃からずっと夢見た舞台。観客も多くて緊張したが、堂々と歩くことができてよかった」という東尾さんのコメントも掲載した。練習試合では捕手として活躍していた事実を紹介した上で「自分がプレーヤーとして立つことは絶対にできない」、「最後に先導役という大きな仕事を任せていただいてとてもうれしい」というコメントも紹介している(朝日新聞デジタル・甲子園の入場行進、三田西陵・東尾さん先導 今夏まで主将の女子選手)。
公式戦には出場できないものの、3年間懸命に野球と取り組み、甲子園の舞台で大きな役割を任された東尾さんは立派であると思うし、本人が光栄に感じていることを喜ばしく感じる人は少なくないはず。朝日新聞も母親のコメントまで紹介して、美談に仕立て上げている。
だが、ちょっと待ってほしい。東尾さんが本当に望んだものは先導役ではなく、甲子園は無理だとしても、地方予選に選手として出場し、甲子園を目指すことにあったのではないか。「先導役で女性が出るなんてすごい」ということに惑わされてはいけない。本当は選手として出場できない制度そのものがおかしい、と言うべきではないのか。
■「男子」の2文字を削れないか
甲子園の出場選手の規定は、高野連(日本高等学校野球連盟)が毎年発表する「大会参加者資格規程」による。条文はごくシンプル。
第5条 参加選手の資格は、以下の各項に適合するものとする。
(1)その学校に在学する男子生徒で、当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの。
この規定による「男子」の2文字のために、女子選手は甲子園にプレイヤーとして参加できない。そして、夏の甲子園の主催者は朝日新聞社である。朝日が高野連に対して第5条の「男子生徒」を「生徒」と変更するように要請すれば、解決するかもしれない。主催者である朝日新聞はなぜ、女子選手を排除する規定をいつまでも残すことに同意しているのか。
甲子園に出るような高校で女子選手が登録選手に食い込めるかと言われると、相当、難しいと言わざるを得ない。しかし、現実には女子野球選手のチームは存在し、YouTubeで男性以上の投球をする選手も多数存在していることから、可能性としてはゼロではない。男子以上の技量を持つ女子選手が性別だけを理由に高校球児の聖地に立つ権利が最初から付与されないことがあっていいのか疑問に思う。ジェンダー平等に反するのではないかと考えるのが通常の思考であろう。
■女子を排除してジェンダー平等宣言
朝日新聞は2020年4月1日に「朝日新聞社ジェンダー平等宣言」を当時の渡辺雅隆社長名で公表した。ジェンダー平等の実現に向けて6項目について取り組むとしている。その内容は、以下のものがある。
「発信するコンテンツは多様性を大切にします。取材対象や識者を選ぶ際には、性別などの偏りが出ないよう心がけます。」
「朝日新聞社が主催する主要なシンポジウムの登壇者は、多様な視点から議論ができるように、関係者の理解を得ながら、男女どちらの性も40%を下回らないことをめざします。」
「ジェンダー平等に関する社内の研修や勉強会を定期的に開き、報道や事業に生かしていきます。」
何ともご立派なお題目ではあるが、主催する夏の甲子園で出場選手が男子に限られているのを見ると、果たして朝日新聞がどこまでジェンダー平等を本気で考えているのか疑わしい。
女子が甲子園の入場行進を先導したことをジェンダー平等の象徴のように記事にする暇があれば、主催者として大会参加者資格規程を改めてはどうか。
東京五輪のオフィシャルスポンサーになりながら、五輪中止を主張し(参考・「だが、ちょっと待ってほしい」朝日は五輪スポンサー)、ジェンダー平等を宣言しながら女子選手排除の規定を改めない。排除された女子選手が先導役を務めたことを、ジェンダー平等の象徴であるかのように扱う。こうした欺瞞が読者からの信頼を失っていることに気付かないとしたら、朝日新聞もさまざまな意味で末期症状と言うしかない。
朝日の、甲子園を利用したプロパガンダでしょう、もとより整合性などあろうはずもない。
そして奴バラは着実に前進している、奴バラが目指す社会へと。
それは吉野屋常務の首を一発で取ることができる社会状況を現に作り上げたのだ。
最初の一弾を放ったのはプロ女戦闘員である。
常務の首を取った後、伊藤詩織氏の女性弁護士と共に勝利の記者会見を開いている。プロの所業でありプロファシストである。
そして伊藤詩織氏も最終的に勝利した、これは伊藤氏個人の勝利のみならず広義に奴バラの勝利である。
合意の有無で男社会を攻撃できる蟻の一穴を確実にあけたのである。
ジェンダーフリーに関し、最近マスコミの書評で多く(?)取り上げられている、
●大衆の狂気 ジェンダー、人種、アイデンティティ 行き過ぎた多様性尊重はどう社会を破壊したのか? 世界26カ国で翻訳のベストセラー
ダグラス・マレー著
購入しが未だ読んでいない、パラパラ流し読み~
Amazonのレビューに以下。
>一切の「反論」は許されない、「議論」すら成り立たない、此れは最早「ファシズム」であり、恐るべき社会現象です。
とあり、ジェンダーフリー、多様性ある社会の究極は吾輩と同じくファシズムだと看破されている。
他に実に長いレビューが二つあり、ポイントを同じく看破している~(えらそ~)
そのポイントとは、以下レビュー抜粋。
>さて、この種の議論は数年遅れで日本にも入ってくるのが常だ。いやもうその萌芽は巻かれているといってもいいだろう。ただ本書の議論でも明らかなように、この種の議論の先鋭化の底流には、抜き難く西欧の思考の原型の特徴が残っているのだ。それはキリスト教と啓蒙主義のもたらす強固な進歩信仰なのだ。そういう意味では、これが日本に入ってきた際にどのような形で猛威を振るうかは未知数だ。もっともある程度の想像はつくのだが。
↑↑↑
上記
日本にもリバウンドとしてジェンダーフリーへの批判が起こるだろうが、欧米における批判はキリスト教の価値感によるものであり日本においてそれがどう受け入れられるか?
ということだろう。
米国を共産化から守っているものはキリスト教の価値感であり日本においては天皇の存在とコメントした。だがそれももはやの感があると、、
比較文化論において日本人は宗教及び規範を有しないとの評価がある。
ジェンダーフリー、LGBT 同性婚 中絶等々似対してそれらを否定する価値観を持ちえない。よってその論理を形成できない。(何故否定すべきなのか? 究極ファシズム故である)
日本人は人権の根拠がわからない、天賦人権説などの曖昧な論拠であり、日本人は何故人を殺してはならないのか、の論理を構築できない。
Amazonのレビューはそれを予見してのものでしょう、同じような事を考えていた、、
日本は確実に変わるでしょう、少なくとも奴バラが望んだ社会へと、故三島由紀夫は文化防衛論を上梓したが日本は変わると、それを明確に予見していた。
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