山東昭子議長「勇気に感動」の何が問題なのか
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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ゼレンスキー大統領のオンライン演説が23日、国会で行われた際の山東昭子参院議長(79)の言葉を批判する声が出ている。祖国のために戦う国民の姿に「感動した」というのが不適切というもので、社会学者の古市憲寿氏が24日の「めざまし8」(フジテレビ系)で非難した。ネット上でも同種の声は多く、そうした批判の根っこには、自由や平和は戦って獲得してきた歴史に対する意識の希薄さがあるように思える。
■山東議長「勇気に感動」
山東議長はゼレンスキー大統領の演説に応答する形で、以下のように話した。
【山東昭子参院議長の話】
我が国に来訪された閣下とお会いし、2人で両国の友好と世界の平和を語り合ったのは、もう2年程前でございましょうか。今は状況が一変して、胸の痛む思いでいっぱいです。
ウクライナでは罪のない人々が苦しみ、子供たちもさえ標的にする蛮行を目にし、激しい憤りを感じてやみません。そうした中、閣下が先頭に立ち、また、貴国の人々が命をも顧みず祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております。日本国民もこのようなロシアの暴挙は絶対に許せないと、ウクライナへのサポート、そして支援の輪が着実に広がっております。
我が国とウクライナは常に心は一つにあります。1日も早く貴国の平和と安定を取り戻すため、私たち国会議員も全力を尽くして参ります。
ゼレンスキー閣下、そして親愛なる日本の国会議員の皆様、ともに頑張って参りましょう。
【以上】
平和を語ったウクライナの指導者が、その2年後に一方的な侵略を受け、子供を含む多くの民間人が犠牲になっている。残酷で強大な軍隊を相手に、国を守るために戦っている姿を讃えたものと受け取るのが普通であろう。
この山東議長の発言にネット上では批判の声も少なくない。ツイッターでは以下のようなつぶやきがあった。
「国のために死ぬことを美化する、実にキモチワルイ話…」
「私ら下級国民は戦争は絶対反対です」
「『命をかえりみず祖国のために闘う』ことを…賞賛した。危険なことだ。」
※以上、まとめダネ!・山東昭子がゼレンスキー大統領国会演説の後に演説「ウクライナカラーで、女優時代さながらのおおげさな演説」演技力すごすぎと話題に から
■貴重な犠牲の上の自由や平和
一般の国民がツイッターで思いを示すのは自由であるが、理解に苦しむものが少なくない。戦争絶対反対を叫ぶ者の中には「殺すより、殺されることを選ぶ」とまで言う者もいる。そのような哲学の下、嬉々として殺されるのは本人の自由であるが、全ての人がそう考えているとは思わない方がいい。
また、その考えを他の人に強要することは、人が生きて幸福を追求しようとする権利を不当に制約するものになることを理解すべき。
「殺すより、殺されることを選ぶ」自由はあるが、同時に自分のため、家族のため、祖国のために侵略者と戦う自由もある。人々を守るため、圧倒的な戦力を誇り、女性や子供も標的にする残虐な相手に命を賭けて戦う姿を「キモチワルイ」とか「危険な(行為で避けるべき)こと」とする思考法は理解に苦しむ。個人的には「相手が強いから戦わずに逃げろ」などと侵略者に利益を与えるべきとする考えの方に異質さ、さらに言えば不気味さを感じる。
ウクライナが多くの兵士、国民が命を捨てて戦った結果、ロシアの侵略を撃退した時に残った人々は戦死した者に感謝の気持ちを持つであろう。「私たちが生きていけるのは、皆さんが国を命を捨てて国を守ってくれたからです」と感謝するはずで、それが自然な感情の発露と思われる。
それを戦地から遠く離れた日本の人々がネット上で匿名で「国のために死ぬことを美化するなんてキモチワルイ」とか「命をかえりみず祖国のために闘うことを賞賛するな」と書き込む行為をウクライナの人々はどう感じるかを想像できないのか、不思議に思う。
自由、平和、独立などは平和理に与えられるものではなく、戦って勝ち取ってきたものである。フランス革命の結果、どれだけの人の命が失われたか。植民地だった諸国が独立の際にどれだけの血を流したか。そうした貴重な犠牲の上に自由や平和は存立するわけで、それを守るために血を流さなければならない時も当然に存在する。そのために戦う人々の姿を讃えることを「キモチワルイ」などと書く神経が理解できない。
■戦争より平和の方がいい
誰だって戦争より平和の方がいい。戦争がこの世からなくなれば、どんなにいいことかと思う。しかし、現実の世界では一方的に他国に攻め込み、女性や子供を標的に殺害するロシアのような国が存在する。憲法9条、非核三原則を守れば平和は維持される…ということが今回のウクライナ侵攻で虚構に過ぎないことが明らかになった。
それどころか、米国は全面戦争になることをおそれて介入しないと宣言しているのであるから、日米安全保障条約があっても有事に際し本当に日本を守ってくれるのかすら分からない。ウクライナ侵攻は「外国が攻めてきた時に日本は、国民はどうするのか」という問いかけを、戦後77年間、平和を享受してきた日本人に突きつけた。
永世中立国のスイスは、他国からの侵略があれば基本は単独で抗戦することになる。そのため、今でも徴兵制がある。マッターホルンをバックにヨーデルを歌っているだけで平和が訪れるわけではない。中立を守るためには戦うことも辞さない、戦ってでも自由と平和をというのがスイスの考え方と言っていい。
日本人は平和に慣れすぎたのかもしれない。77年間、戦争に巻き込まれなかったのは対外戦争を仕掛けなかったという意味では憲法9条が一定の役割を果たしとは思うが、他国からの侵略がなかったのは、米国による核の傘に守られたからに他ならない。その根底が揺らぎ始めた今、改めて国防に関して考えるべき時にきている。
なお、永世中立国のスイスがロシアへの経済制裁には協力している事実は、ウクライナ侵攻の性質を良く示している(スイス連邦参事会・Switzerland adopts EU sanctions against Russia)。紛争当事国の間で日本は中立を保てという考えは、日本でも鈴木宗男氏ら一部の人が主張している。そうした考えはロシアの行為の違法性を目立たなくする行為であり、ウクライナで殺されている人々の命をも軽視するものであると思う。
■古市氏の「底の浅さ」
古市氏は、めざまし8の中でゼレンスキー大統領の演説を高く評価しながらも、「山東昭子さんが台無しにしていてたなと思う」と厳しく批判した。
その理由は「確かに現在、ウクライナで人々が命をかけて戦っているのはその通りなんだけど、あえてゼレンスキー大統領がそのことに触れなかったのに、あえて触れて、『勇気に感動した』という、ある種スポーツを見ているような、橋下さんの言葉でいえば演劇を見ているような、そういう言葉で応答した」というもの。
※以上、デイリースポーツ電子版・古市憲寿氏「山東昭子さんが台無しにした」ゼレンスキー大統領演説後の感想に「滑稽」 から
古市氏は国のために戦うことを愚かな行為とまでは言っていないようであるが、「勇気に感動した」という表現がスポーツを見た時のような(軽々しい)言葉であって適切ではないという意味で使ったようである。
どう考えようが古市氏の勝手であるが、ウクライナの現状を見て命を賭けて戦っている人々への配慮に欠けた発言であるように感じられる。(人と違ったことを言わないと、自分の存在価値がない)という考えで発言したとは思わないが、「社会学者としての底の浅さ」を感じさせる発言であったのは間違いないと思う。
そもそも「社会学者」って何なんだろう。世の中に必要なんだろうか。
しかもこういうなんちゃって学者は保守を装いながらも、隙だらけな発言を繰り返して段々化けの皮が剥がれつつあることを自覚した方がいい。
古市やKAZUYAなどが普段からやってる薄っぺらい言論を聞いて喜ぶのは同レベルの人間のみ。
故•加川良さんには悪いけど、日本人の中には、
♪御国は俺達死んだとて ずっと後まで残りますよネ
と本気で思ってる人が居るんですよネ、
ウクライナの人たちは、「ここで戦って踏ん張らないと、“ウクライナ”という国は無くなる」と思っているから戦っているのに。
※ソビエト/ロシア周辺では、『無くなった国』『名前だけ残って形骸化した国』が幾つもある。
そもそも、古市憲寿ってコメンテーターとして、なんで重宝されているのか理解できていません。
「エッジの効いた」コメントが出来るでもなく、ただただ「角度のついた」コメントを臆面もなく出来るだけの様な気がします。
なんか、角度の付け方が独特過ぎて、コメント内容に至る経過が共感できない、または経過を説明出来ていないので、聴いている方はぽかんとするだけ。
いろいろとバックグラウンドがあり、頭は良いのかもしれない?が、あれではただのブラックボックスと同じです。
まあ、前提条件をちゃぶ台返ししてるコメントも多い様な気がします。
今回の「勇気に感動した」へのコメントですが、「勇気」の部分にウェイトを置くか、「感動した」を注視するかによる違いかと思われます。
個人的には、理不尽な侵攻に対して抗い続けている人々の「勇気」に揺り動かされたと、山東参議院議長は仰っていると思うのですが、
「感動した」と言う言葉だけに引っかり、スポーツやエンターテイメントと人々の命が失われていく戦争を同列にするのか?といった謎理論に陥ったりしているのではと推察します。
これこそ平和ボケ?それとも思考性の浅さ?短絡的な思考の現れの様な気がします。