2027世田谷区長への道(1)配達員で再出発

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。
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 世田谷区長選(4月23日投開票)で敗れた内藤勇耶氏(29)が、早くも4年後の2027年の区長選に向け動き出している。辻立ちやミニ集会、SNSを使った情報発信を続ける一方、生活のために仕事にも復帰、ウーバーイーツなど食事の配達員のアルバイトも開始した。多くの人と接し、一人の人間として社会に貢献する中で4年後に備える。内藤氏に今回の選挙戦を振り返ってもらい、4年後に向けてどう戦うかを連載でお届けする。

◾️29歳の挑戦は現職に約4万票差

インタビューに答える内藤勇耶氏(撮影・松田隆)

 内藤氏は自民・維新の推薦を受け、世田谷区長選で現職の保坂展人氏に挑んだ。現職有利の下馬評の中、蓋を開けてみれば過去の対立候補の中では最も多い14万7361票を獲得、その差は3万9192票差であった。

 保坂氏は今回と同じ一騎打ちとなった2015年、2019年で、それぞれ9万9652票、6万8742票の差をつけて圧勝しており、無名の29歳の新人候補が4万票以内の差に持ち込んだのは大健闘と言っていい。社民党出身の保坂氏の4選を阻止したいという保守系の期待が集まった結果と言えるのかもしれない。

 ゴールデンウイーク最終日の5月7日、世田谷区内で内藤氏が当サイトの取材に応じた。まず、選挙から2週間経過した現在の心境を聞くと、「もう2週間経ってしまったな、という心境です。4年間は年間52週の4倍で208週あるわけですが『もう1%終わってしまったんだな』と。次の世田谷区長選に出るつもりでおりますので、その準備のために時間が過ぎるのはあっという間だなというのがあります。」と、選挙戦の余韻に浸る間もなく、早くも次回の選挙を見据えていた。

 東大法学部卒、財務官僚というエリート街道を歩んでいた29歳とはいえ、政治的には全くの無名の上、財務省をやめたのが投票の2か月半前の2月8日。そこから4月23日の投票という期間を「とても12週間前に役所の引き継ぎをしていたとは思えない、濃密な時間であったなというのが率直な感想です」と表現、激動の日々を振り返った。

 自身の人生にとっては劇的な2か月半、10年後、20年後に振り返れば忘れられない青春の日々なのかもしれないが、政治の世界ではその期間の短さが致命傷となりかねない。「十分な準備期間とは言えなかったと思います。記者会見で立候補表明したのが2月19日で、事実上選挙戦は2か月しかありませんでした。現実問題として自民党を支持する方でも5割ぐらいの投票にとどまり、無党派でも同じぐらいにとどまってしまったのですから、(準備期間が)短かったのだと思います」と言う。

 選挙後には多くの支持者から(もう少し動き出すのが早ければ)という声が寄せられるとか。街を歩いていると(年末ぐらいに立候補が決まっていれば結果は違ったはず)という声が聞こえてくる。自民党支持層である町内会の人々の忘年会や新年会に顔を出すなどしていれば、そこで浸透していたのではという声が強いという。「11月末から12月初頭に立候補を表明できていれば、結果は違っていたのかなと正直、思っています」という言葉に悔しさがにじむ。

 もっとも、内藤氏のもとに正式に立候補の話が来たのが1月の中旬。そこで立候補を決めても財務省の仕事の引き継ぎ等を考えると2月8日退官はやむを得ないところで、内藤氏なりに最速の対応をしたが及ばなかったということである。

◾️女性票の少なさが致命傷か

保坂現区長(左)と内藤氏(ともに撮影・松田隆)

 選挙戦ではユニークな公約を掲げた。区役所の新庁舎の費用400億円を、ネーミングライツ導入などによって収益を得て、区民負担ゼロにするという従来の地方行政にはない斬新な発想で注目を集めた。また、関東大震災から100年にあたる年ということもあり、災害時の避難所となる区内の小中学校で耐震性能が劣る建物を建て替える必要性を訴えるなどした。

 選挙戦の時から「政策で勝負」と言い続けただけに、その点では斬新さも具体性も保坂氏のそれを上回っていたように思えるが、選挙結果は必ずしも政策の良し悪しだけで決まるわけではない。

 当サイトが選挙戦を取材する中で感じたのは、内藤氏を撮影していてもいい写真が撮れないということである。常に冷静で、表情の変化が乏しいのが原因と思われる。対照的に保坂氏は、演説中も表情を豊かにして、手を振るときには精一杯の笑顔を見せていた。もちろん、内藤氏も笑顔を見せる時はあったが、それでも手を振る際も表情が硬い時が少なくなかった(写真参照)。 

 有権者、特に無党派層は政策よりも、候補者から受ける印象で投票先を変えることが多いように思える。「こちらの候補の方が何となく人が良さそうだから」「あちらの候補の訴えからは必死さが伝わったから」といった印象で投票先を変えているとしたら、やはりその多くは保坂候補に流れているのではないか。

 その点は内藤氏も否定しない。「選挙では当然、少なからずイメージが先行する側面はあると思います。保坂候補は『いのちの政治』というのを掲げていましたが、それだけでも、すごく優しい人という印象を与えます。しかし実態としては、災害時に避難所となる小中学校の建て替えを大幅に遅延させるなど、いのちを大事にしていると思えない状況があります。(イメージは)実体と関係ないんだなというのが自ら立候補することで、よく分かりました。今まで霞ヶ関の中で政治に近い所にいたわけですけども、それでは見えてこなかった世界が正直あるな、と思いました。

 内藤氏は選挙期間中に情勢調査をしたところ、女性の投票が少ないという調査報告を受けた。明確な理由は分からないがとっつきにくさのようなものを女性が感じたのかもしれない。財務省出身というのも影響していることは容易に想像がつく。

 そこが敗因の1つであったのはおそらく間違いのないところ。それゆえに「そこをどう払拭して 、自分の内面をもっと知っていただくかは、これからの4年間のテーマ、課題だと思っています。今、つくっているビラやパンフレットもそのあたりを意識したものにしようと思っています」と内藤氏は力を込める。

◾️ウーバーイーツなどに登録

 4年後を目指す中で、財務省をやめ、無所属で立候補した内藤氏は次の選挙までの生活を考えなければならない。この点を聞くと、「苦しいですよね」と冗談めかして笑う。

 そもそも出馬にあたって社会人になってからローンを組んで購入した投資用マンションを売って資金をつくるなど、私財を投じ背水の陣で臨んだ選挙戦であった。そうした出費がありながらも、4年後を見据えれば、週5日勤務の仕事をしていては肝心の政治活動ができない。難しい選択を迫られる中、まずは学生時代に起業から規模拡大まで数年間携わったベンチャー企業に非常勤で復職するという決断を下した。政治活動ができるように常勤ではない形での復職をお願いし週に1日か2日、仕事をする形で話したがついたという。

 その上で始めたのが、ウーバーイーツなどのオンラインフード配達プラットフォームでのアルバイトである。自転車で世田谷区内を巡り、配達をしながら各地域のより深い実態を自分の足で確かめ、時間をかけて世田谷における政策を練っていく意図もある。 

 「こういう時だからこそ、さまざまな仕事を経験したいということです。そこで、ウーバーイーツなどに登録して、その仕事を始めました。今、フリーランスでそうした仕事をやる方が多くなっていますが、その実態を知らないで政策は作れないと思ったので、まずはやってみようかな、と。机上の空論に終わらないようにしないと、というのがあります。」

 東大法学部在学中に起業し、経営にかかわりながら国家公務員総合職(旧Ⅰ種)試験に合格して財務省に勤務したエリート官僚が、区長選挙に敗れた後、配達員として区民にレストランの食事を届けているのである。

 「始めて5、6日ですが、稼ぐのは大変です。自転車で配達していますが、1時間で1200円ぐらい(の収入)です。体調が悪くなればできないわけですし、まさにその日暮らしになってしまいます。非常に大変な仕事だなと感じています。」

自転車で料理を配達する内藤氏(本人提供)

 (選挙に落ちればただの人)などと言われるが、笑みを浮かべながら現状を説明する内藤氏に悲壮感はない。「区役所へ配達してほしい」という注文が来たらどうしますか、と聞くと「全然いいですよ、届けます」と笑って答えた。食べるために働くのではなく、次の選挙のために身をもって多くの人と接することでより良い政策をつくる、そのために働くという目的が明確であるから何のわだかまりもないのであろう。

 「この仕事は政治活動にも活かせると思っています。今は自転車ですが、いずれ私の選挙カーを使って配達することも考えています。軽自動車ですが、法律上、営業車として商業登録できます。ただの(自家用)軽自動車ではウーバーはできませんが、商業登録した車ならできます。そうすると街を放送しながら配達ができるわけで、政治活動をしながら、同時に稼ぐことができるわけです。もっとも、騒音とならないよう、音量や配達地域の分散には気を付けながらの活動となりますが」

◾️若い世代の柔軟な思考を地方行政に

 政治家として区民とダイレクトに接する仕事をして経験を積み、仕事をしながらも自らの政策を訴えることができる、そして決して多くはないが収入も入る。まさに一石二鳥、三鳥。

 これまでの頭の固い政治家にはなかなかできない発想であろうし、仮に考えたとしても実際に行動に移すには大きなハードルがある。それを難なく越え、実行する。新しい時代の地方行政はこうした若い世代の柔軟な思考から生まれてくるのかもしれない。

 配達員の話を聞いた時に(内藤氏に世田谷区政を任せていたら、どんなことが起きていただろう)と、世田谷区の有権者の選択を恨めしく思った。実は、そうした柔軟な発想が今回の選挙の政策では前面に打ち出されていたのである。

第2回に続く)

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