免職教師の叫び(4)疑わしい元教え子の主張
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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元教え子にわいせつな行為をしたとして懲戒免職になった中学校の教師・鈴木浩氏(仮名)だが、問題とされた行為については裁判では全くの虚偽であると主張し続けた。連載の第4回は処分の理由とされた元教え子の石田郁子氏の主張した事実を検証する。
■認定された被害は5点
石田氏が裁判で主張し、東京高裁が認定した性的な被害とされるものは以下。
(1)1993年3月14日:展覧会に誘われ、その後、鈴木氏のアパートで告白されて、キスをされた。
(2)同3月~4月:中学卒業後、高校入学までに校内でキスされ、胸を触られ、床に段ボールを敷いてキスをされた(2度行ったとされる)。
(3)同8月:海に行き、鈴木氏の自家用車内で上半身の服を脱がされるなどした。
(4)同10月か12月:鈴木氏のアパートでキスされ、口腔性交をした。
(5)1994年8月:小樽市の塩谷丸山に登り、山頂付近で口腔性交をした。
これらは鈴木氏によると石田氏の妄想であり、1998年秋に別れ話をした時から繰り返し言うようになったという。実際の裁判や、2021年1月に札幌市教委に提出した陳述書でも事実ではないと主張している。
これらの事実を否定するということは、なかったことを証明するという非常な困難を伴う。それでも可能な限りの反論をしている。
■卒業式前日に生徒を美術展に誘う無理筋
(1)の事実について
【東京高裁の事実認定】
卒業式の前日の3月14日(日)、鈴木氏から誘われて美術展に行った。その後、自動車で鈴木氏のアパートに行き、告白され、キスをされた。
【鈴木氏の反論】
当日は生徒への記念品にするため、午前中に大丸藤井セントラルなどで色紙を36枚購入し、午後から自宅で作成していた。夜遅くまでかかり、学級生徒36人分を完成させた。また、石田氏は当日、所属していた部活動のお別れ会があり、部長である石田氏が「欠席することはあり得ない」と関係者は語っている。鈴木氏が作成した色紙は翌日、本人が職員室に持ち込んでいるのを2人の同僚が目撃している。
【松田私見】
仮に鈴木氏が石田氏に対して下心を抱いていたとしたら、わいせつな行為を決行するのが卒業式前日というのは合理的ではない。翌日、石田氏は確実に登校するから、学校に「鈴木先生にキスされました」と被害を訴えるリスクはある。もし、決行するなら卒業してからの方が学校に知られるリスクが低く好都合であろう。あと2日我慢すればリスクは軽減されるのに、生徒を自分のアパートに連れて来てわいせつな行為をするという、バレたら一発でクビになるリスクを負う理由があるとも思えない。
訴状では鈴木氏が「招待券があるので3月14日に一緒に行こう」と言ったとある。卒業式の前日の日曜日、準備で多忙になることが分かっている教師が、その日を指定するというのも考えにくい。
これは石田氏の虚言であるとしたら、こうした”無理筋”とも思われる日にちを選択するのは不合理であるが、それには理由があるものと思われる。石田氏が行ったとする「個性(こころ)の北帰行ー岩橋英遠と片岡球子の世界」(北海道立近代美術館)は2月5日に始まり、3月14日が最終日(北海道立近代美術館:過去の展覧会1992(平成4)年~1996(平成8)年から)。同美術館の次の特別展は4月10日開始であり、この日を逃すと一緒に美術館に行き、その後、春休み中にわいせつな行為が続いたというストーリーを構築できなくなる。
逆にもっと早い時期に行ったとすると、その後、春休みまで何もしないのは不自然になるため、授業を行なっている時期にわいせつな行為をするという難しいストーリーの構築が必要となる。そうした様々な事情を考え、3月14日を選んだという推理は成り立つのではないか。
同美術館では、過去の展覧会のタイトルと実施年月日をホームページで公開しており、簡単に調べることができる。
■わいせつ行為をしたとされる場所の人の出入り
(2)の事実について
【東京高裁の事実認定】
中学卒業(3月15日)後、高校入学までに校内の美術準備室でキスをされたり胸を触られたりした。床に段ボールを敷いて横にされ、その上からキスをされた。
【鈴木氏の反論】
訴状では「中学の春休みから高校入学まで」とされている。その場合は3月26日~4月5日までとなる。その間は以下のように過ごしていた。
・3月26~31日:年休を取り春スキーに行っており、学校に行っていない。
・4月1~5日:新1年生の担任で学級編成など多忙であり、職員室と会議室を中心に勤務し、美術準備室に行っていない。3日(土)、4日(日)は出勤していない。
美術準備室は喫煙可(当時)で、4人の教師が頻繁に出入りしていた。1日3箱吸うヘビースモーカーの教師もいた。また、運動部は雪解けが進んでいない時期でグラウンドを走れないことから、1階から4階までの廊下をランニングしていた。春休み中は筋トレを美術準備室の前で行っている。そのように人が多く出入りし、すぐ外では生徒が活動をしている中で、性行為を行うことなどできない。
【松田私見】
高裁判決は石田氏が卒業後から高校入学までとしており、その場合、3月15日~25日も範囲に含まれる。鈴木氏の陳述書ではその11日間については触れていない。だが、3年生が卒業した後、修了式(3月25日)までは通常の授業が行われており、美術準備室は本来の目的で使用されている上、喫煙者が出入りする中、卒業生がやってきて室内で性的な行為を行うことは考えにくい。
■自家用車内でキスし、上半身を裸に
(3)の事実について
【東京高裁の事実認定】
1993年8月に自家用車で一緒に海に行き、後ろから抱きしめられたり、車内でキスされ、上半身の服を脱がされた。
【鈴木氏の反論】
8月の過ごし方は以下の通り。
1~12日:仲間と旅行及び両親とともに墓参
13日:ハードなスケジュールのため体調を崩し、終日、自宅で過ごす。一緒に旅行した仲間の1人から「セカンドバッグをなくした」と自宅に電話があり、レンタカー会社に電話して問い合わせるなどしていた。
14~15日:町内の盆踊りの運営に協力、14日は自ら太鼓をたたいた。
16~19日:美術部の大作の制作に部員とともに取り組む。
20日:札幌から美幌へ移動(320km・約5時間)。
21~22日:美幌のスポーツ大会に参加。
23~24日:23日は気温17度、24日は気温19度低かった。北海道ではお盆を過ぎたら海水浴は行かないし、24日は始業式前日で学級通信を作成するなど多忙である。
25日:始業式で、以後、授業が行われる。
28日:土曜日。雨であり、石田氏の書証にある「昼間のきらきらした光」という表現に当てはまらない。
29日:日曜日で、旭川美術館「人と神と神々」を見学に行った。
当時の自家用車は三菱ランサーで、透明ガラスで車内のカーテンもなく、車内でキスをすれば外から見えてしまう。そのような状況で女性の上半身の服を脱がすことなどあり得ない。
【松田私見】
石田氏が指摘した5つの点の中で、日時の曖昧さが目立つ。訴状の段階では(1)、(4)、(5)は日にちが特定されており、(2)は「学校の春休み」と11日間に限定されている。ところが(3)のみ「8月」と1か月も幅を持たせているのは不自然と言うしかない。(5)で登山に行った日が8月2日と特定できているのに、なぜ、こちらは特定できないのか。せめて上旬、下旬ぐらいは言えるであろう。それをしなかったのはなぜか。
鈴木氏と石田氏は卒業後も家庭の相談事などで連絡をとっていた(参照:連載第2回・決意した別れ)。そのため、鈴木氏がこの年の8月に自宅を留守にしがちであったことを把握していたのではないか。下手に日時を特定すると、「その期間は札幌にいなかった」と証拠付きで反論されかねない。逆に(5)では、長期の旅行に出ていないことが確認できていたので、その日を選んだという推理は成り立ちそうである。
■信憑性が薄い3点の主張
以上のように前半3つを見ただけでも、石田氏の言い分の信憑性は薄い。もし、石田氏の訴訟が除斥期間の経過を理由に請求棄却されなければ、不法行為の有無は徹底的に審理されたであろう。
その場合、これらの事実が認定されたかは疑わしい。次回は残る2つの主張を検証する。
(第5回へ続く)
(第3回に戻る)
(第1回に戻る)
松田さんの私見は、合理的な解釈ですね。
石田氏が妄想を現実化する傾向があると仮定すると、当然、彼女の中でも辻褄が合わないことが出てくるはずです。
その辻褄合わせに、意図的にストーリーを作り上げたのでしょうか。
ならば、この辻褄合わせの時は正気だったということでしょう。相手を陥れる自覚はあったものと思われます。
鈴木氏(仮名)はとんだ災難に遭ってしまったものです。無かったことの証明は、極めて困難なことですし、ご本人やご家族の失ったものの大きさと名誉回復までの道程を考えると言葉も出ません。
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お返事は不要です。