免職教師の叫び(9)妄想と迎合
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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中学の教師である鈴木浩氏(仮名)は2015年11月に受けた石田郁子氏からの電話に戸惑いを隠せなかった。別れる際のストーカーのようなつきまとい、妄想話を延々とされる煩わしさ・怖さが、別れてから17年という時を経て突然、職場に自分を指名しての電話で感じることは当然である。そのような状況下、鈴木氏は石田氏の会いたいという申し出を受けることを決めた。
■石田郁子氏「本来は性暴力として裁かれるべき違法な行為」
石田郁子氏が2015年11月、鈴木氏が勤務する中学に架電し、会うことを申し入れたことは裁判資料でも、その後のメディアの取材でも明らかにされている。2019年2月、東京地裁民事部に提出した訴状から事実をピックアップしよう。「 」内は訴状からの引用である。
石田氏は中学3年・高校(1993年3月~1996年3月)と鈴木氏からわいせつな行為を受け、大学生になると性交をするに至ったが、(大学2年時の)1997年7月にそうした関係は解消された。2015年5月、たまたま児童に対する性暴力事件の裁判を傍聴する機会があった。裁判を傍聴し、自らが受けた行為は「本来は性暴力として裁かれるべき違法な行為」と感じるようになり、その頃から精神的に不安定な状態になった。2015年11月頃からカウンセリングを開始。
そのような状況の中、直接、鈴木氏に会って「過去の行為をどのように捉えているのか訊いてみたいと考え」、11月24日に架電したというものである。メディアに対しても概ね、同じ説明をしている。
これに対して鈴木氏は、中学3年・高校時代にはそのような関係は全くなかったとする。石田氏が高校生の頃は年に数回、連絡を受けて家族のことなどの相談に乗っていただけ。1997年6月か7月に石田氏の申し出によって交際が始まり、1年後の1998年秋に終了する。別れを告げた際に、石田氏は中学3年・高校の頃にわいせつな行為(塩谷丸山の頂上付近で口腔性交をした等)をしたと全く事実ではない妄想を語り出し、電話番号を書いた紙を投げつけるなど半狂乱の状態になったかと思うと、突然笑顔になって話しかけるなどの異常な反応を見せた(参照:連載第3回・妄想と現実の狭間)。
さらに別れを告げた後も3、4回電話をかけてきて押しかけたり、自宅前で待ち伏せをしたり、鈴木氏が新たに交際を始めた女性のアパートに押しかけたり、迷惑行為を繰り返した(参照:連載第8回・ホラー映画の如く)。
■もし「会う気はない」と断っていたら…
石田氏が11月24 日とする架電時の様子は録音されていたようで、そのやり取りの一部始終が裁判で証拠として提出されている(甲27号証の2)。文字にされたやり取りを見る限り、鈴木氏が困惑している様子は感じられない。待ち合わせの際に連絡が取れなくなることを心配し、鈴木氏の携帯電話から石田氏の携帯電話へ、いわゆる”ワン切り”をして着信履歴を残すようにしているほどである。
文面を見る限り、実は鈴木氏も会うことに前向きだったのではないかという考えもできなくはない。この点について鈴木氏は以下のように説明した。
「もしも『会う気はない』と断ったら、石田は勤務していた中学に来たでしょう。さらに僕の自宅と自宅の電話番号を探して、家に来たと思います。今は個人情報は厳しいですが、5、6年前だったら、関係者に電話すれば番号は教えてくれましたから。ここ2、3年はかなり厳しくなりましたが、当時はそうでもありませんでした。携帯の番号を教えたのは、教えたら家の電話は調べないだろうと考えたからです」。
過去の経緯からして電話で冷たい対応をして突き放すと、1998年秋に経験したストーカーのような行為に発展しかねない。職場や家族に「高校生の頃、鈴木先生に塩谷丸山の頂上付近でフェラチオをさせられて…」などと妄想を話し始められたら、平穏な生活が大きく乱されるのは目に見えている。そこで自分の所でこの話を止めよう、職場や家族を巻き込ませないようにしようという判断が働いたという趣旨である。会うことに前向きというのは、その意味では、その通りであったかもしれない。
鈴木氏は風の便りで石田氏が北大卒業後に他の大学に進学したと聞いていたが、電話があった後、ネットで検索し、金沢美術工芸大学に進んだことを突き止めた。そのことで嫌な予感はさらに高まったという。
■石田氏の思惑通りの状況設定
2人が17年ぶりに顔を合わせたのは、2015年12月3日。待ち合わせは札幌市内の居酒屋が入ったビルの1階。日時も店も部屋も全て石田氏が予約したものであった。
鈴木氏は17年ぶりに会った石田氏から「今、精神科のカウンセリングを受けているんだ」と聞かされた(録音開始前の会話)ことで、石田氏の精神状態が少なくとも健康ではないことを確信した。
「『この人、今、ヤバい状態なんだ』と思いながら居酒屋の中に入っていきました。一目見て精神病だと分かるレベルではないにせよ、少なくとも普通ではないと。振り返ってみれば1998年の別れの時も、精神状態がおかしかったんだと思いました」。
店内に入ると個室に通された。部屋の入り口の近くに石田氏が座り、鈴木氏は奥に閉じ込められる形になった。個室は数室あるが、他の個室からは話し声が聞こえるが、隣の個室は静まりかえっていた。(もしかすると、こちらの話を聞いているのかもしれない)という不安がよぎる。予約をした石田氏の思惑通りの状況設定に飛び込んでしまったことを後悔するも、時、既に遅し。鈴木氏は自分が危険な状態にあることを認識したという。
「石田と会う半年か1年ぐらい前、交際相手に硫酸をかけた女の話を新聞で読みました。それで劇薬をかけられたり、刃物で刺されたりしたら嫌だなと思っていました。僕も在籍していたから分かりますが、美術系の大学には劇薬が置いてあります。金属を腐食させて加工するための硫酸、塩化第二鉄などです。同様に加工するための刃物も少なくありません。ネットで彼女が金沢美術工芸大学に進学したと知り、居酒屋でも聞きました。その上、精神状態が普通ではないと分かりましたから『これは、危ない』と感じました」。
■感じる身の危険と迎合の決断
この段階で鈴木氏は、石田氏の妄想を否定し、そのことで彼女が半狂乱になったら劇薬や刃物を出してくるかもしれない、あるいは、隣の個室から男性が飛び出してきて危害を加えられるかもしれない、と、さまざまなパターンを想定したという。そのような危険な状態になったら躊躇することなく警察に電話をすることは決めていたが、そうならないようにしたいというのが本音であった。
「『やだな』『気持ち悪いな』と思いましたし、本人が納得せずに家まで来られたらたまらないというのは考えていました。そのため『気持ちよく帰ってもらうしかないな』という結論に至ったわけです」。
こうして鈴木氏が石田氏の言い分に迎合せざるを得ない状況が整えられた。鈴木氏がさまざまなプレッシャーを受ける中、17年ぶりに会った石田氏との本格的なやり取りが始まる。
(第10回へ続く)
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鈴木氏(仮名)は、警察に相談はしなかったのでしょうか。
石田氏の攻撃によるご家族や職場への影響もあるでしょうが、きっと、教え子に不名誉になることはしたくなかったのでしょうね。
警察へ相談していたら、プロの視点で助言を頂けたかもしれません。警察は、緊急通報以外の相談も受けてくれますし、石田氏に再会した頃は、ストーカー対策にも力を入れていたはずです。(←鈴木氏が警察に相談していたなら、的外れなコメントですが。)
居酒屋で個室を用意していたり、鈴木氏が逃げられないような位置に座らせたりと、石田氏は用意周到です。
秘密録音の内容は、鈴木氏の本心では無く、自分を守る為に石田氏に合わせたものと推測出来ます。ただ、それを証明することは不可能に近いような気もします。
何か起きた時に、適切な相談先を知っているか否かで、その後の状況が全く違うものになることを再認識させられました。
石田氏の言い分にかなり無理があることは間違いないが、鈴木氏の言い分にも不自然な点が多い。いずれにしろどちらも確固たる証拠がない状態なので事実認定は不可能と思われる。刑事裁判では「疑わしきは罰せず」という原則があるが、それに則って司法が決定を下すのであれば鈴木氏はグレーではあるが黒ではないため「無罪」となるのが通常の判断であると思う。裁判官の処罰意識が強すぎたため恣意的な決定になっているのではないだろうか。