北原みのり氏”男は謝らない” 無免許女性都議は?
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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作家の北原みのり氏が香川照之氏を批判する文章が7日、アエラドットで公開された。その内容は香川氏の謝罪を「最悪」と断じ、さらに男性を謝罪することができないジェンダーと決めつけるというもの。そこには論理性もなく、差別思想が滲み出るものとなっている。
■謝罪とジェンダーの深い関係の根拠は?
北原氏はアエラドットで香川氏と、それを取り巻く社会を厳しく批判している。
(1)香川氏が笑顔で女性の髪の毛をわしづかみにしている写真は衝撃的だった。
(2)写真が公になるまで、香川氏が”一発アウト”の空気にならなかったことが不思議。
(3)香川氏の謝罪は被害者に対するお詫びがなく、どこか上層部へのこびひつらいにしか見えない。
(4)謝罪はジェンダーと深く結びつく。
(5)男ジェンダーには謝罪はハードルが高いようだ。
(6)土下座を最上級の謝罪と考える文化が間違っているのかもしれない。
(7)自分は取材先の50代男性に土下座を要求されたことがあり、衝撃を受けた。
(8)相手に屈辱を強いる行為=謝罪と考える感性が男社会にはある
(9)謝罪した方が負けというカルチャーの中で、本当の謝罪を学ぶ機会も実践する機会もないのかもしれない。
(10)私たちの社会に必要なのはちゃんとした謝罪文化である。
(アエラドット・香川照之氏の性加害、「頭を下げて嵐を待つ」謝りにしか見えない 被害女性に真摯な謝罪をから)
便宜的に番号を振った。(1)~(3)は、北原氏がそう感じ、考えたのであれば、特に言うことはない。香川氏の問題をどう評価・評論するかは北原氏の内心の問題である。問題は(4)と(5)の部分。具体的には以下のように記述されている。
「謝罪は、実はジェンダーと深く結びついている。…ところが、これ、男ジェンダーには、どうやらハードルが高いようなのだ。『頭を下げたら負け』というようなことが骨の髄までしみこんでいるようなマッチョな組織論に染まっている人たちにとって、自分の罪を認め、被害者の立場に立った反省を表明することは、自分のアイデンティティーを裏切るほどに大変なことらしい。だから謝り方を間違える。」(同記事)
謝罪がジェンダーと深く結びついているという事実は、真実なのか判断がつかない。文章を読んでも、謝罪とジェンダーの深い関係を示す事実は一切示されていない。根拠を示さないまま「男ジェンダーには、どうやらハードルが高いようなのだ。」と結論が示されているから、読み手としては(何で?)と疑問符が並ぶのは当然であろう。
■真摯な謝罪なき元女性都議はどうなのか
この論理性の欠如した文章は、以下のような構成になっている。
謝罪とジェンダーの深い関係があるという証明なき前提を示し(4)、その上で香川氏の謝罪は被害者に対するお詫びがなく(3)、過去に北原氏自身は50代男性に土下座を要求された例がある(7)ことを明らかにする。そのことから、相手に屈辱を強いる行為=謝罪と考える感性が男社会にはある(8)と断じ、男ジェンダーには謝罪はハードルが高い(5)という結論を導き出している。
以上を見ると分かるように、(8)の相手に屈辱を強いる行為=謝罪と考える感性が男社会にはあるという結論、即ち(5)の男ジェンダーに謝罪のハードルが高いとする根拠は、香川氏の被害者に対するお詫びがないことと、自身の50代の男性に関する記憶の2つの知見に過ぎない。2つの例がたまたま対象が男性であったことをもって、男ジェンダー一般の傾向として謝罪のハードルが高いと一気に抽象化しているのである。
この種の話について反論するなら、男ジェンダーの中で「特に謝罪のハードルは高くない」と考え、行動している人の存在を示せば足りる。男性読者にすれば「俺は北原氏が言うような男ジェンダーとは違う」という認識があれば、少なくとも男性ジェンダーがすべて謝罪のハードルが高いという事実は否定される。北原氏の文章そのものの説得力はその時点で失われるのである。この程度のことが分からないで文筆家を名乗れるのであるから、作家というのは随分と就職のハードルが高くない職業であると感じる。
また、北原氏があくまでも謝罪がジェンダーが深く結びついており、さらに男ジェンダーには謝罪のハードルが高いということは、女ジェンダーにはハードルは高くないということを言っているに等しい。北原氏にうかがいたいが、数々の道路交通法違反を犯しながらも議員の地位にしがみつき、最終的には辞職したものの最後まで有権者に真摯な謝罪がなかった女ジェンダーの元都議は謝罪のハードルが低いとお考えなのか。
あるいは、エレベーターのない駅を訪れ、隣接する駅から駅員4名を動員させて100kg前後の電動車椅子を2日間、階段を上下させた障害を持つ女ジェンダーはいかがか。公党の常任幹事でありながら一連の問題について謝罪はない。それどころか所属する政党からJR東日本に謝罪要求がなされるという信じ難い行為に出ている。
このように女ジェンダーでも謝罪のハードルがとんでもなく高いと考えられる人物を簡単に挙げることができる。それなのに男ジェンダーだけを謝罪のハードルが高いとするのは非論理的であることに書いていて気付かないのか、不思議に思う。そして記述されている内容は根拠なく、特定の集団(男ジェンダー)を貶める行為であり、差別と呼んで差し支えない。
■ジェンダー平等は重要とはいえ…
香川氏の一連の行為については、同性でも吐き気を催すレベルではあるが、冷静に批判をすべきであり、香川氏の話も聞かずにあたかも刑事責任があるかのように批判するのは慎むべきということは、当サイトとして明らかにしている(香川照之氏”銀座ご乱行” 犯罪は成立するか)。
香川氏をジェンダー平等の観点から批判するのは結構であるが、それならもう少し論理的に批判したらいかがかと思う。感情に任せて非論理的な主張をすれば、(そこまで香川氏は悪いのか?)という思いを抱く人は出てくるであろうし、それは北原氏が求めることと逆の効果を生じさせていることになると思う。
ジェンダー平等は現代社会においては非常に重要である。しかし、それを訴える北原氏が男性性悪説のような立場に立って、論理ではなく感情に基づいて主張しているから男性からは理解されず、女性からも大きな支持に繋がらない原因となっていると思われる。北原氏のやっていることは、ジェンダー平等を退潮させるものとなっていることを認識した方がいい。
北原みのり
靖国神社にて自らのヌード撮影を行い、その画像を公開した女。
人物評によく日本人の感性とは違うとの評価があるが正に違う。
以前よりこの女の主張は論理の体を成していない。
この女の仲間の国葬反対の論理に同じく、落合家子の説明責任を果たしてから死ね!も、ただが電気の坂本龍一もしかり、
こ奴等の目的はいわゆるアジテーションに同じく、ファシスト、そのシンパサイダーに対する感情への働きかけだ、論理は不要なのだだ。
ジェンダーという言葉に反応し感情的に呼応する潜在層は存在するのだ。
同じく朝日の川柳に快哉を叫ぶ奴バラは存在するのだ。
川柳を単に悪趣味レベルととらえるのは違う。
何度もコメントした一犬虚に吠え万犬これに応ず、のメカニズムだ。
そして取り込まれて行く、、
その中から吉野屋常務の首を取った若い女戦士の様な者も生まれるのだ。
この若い女戦士は伊藤詩織の弁護士と共に勝利宣言の記者会見を行った、見事である。
飛躍するようだが以下、決して飛躍ではない。
昨日のNHKクローズアップ現代は中絶の特集だった。
女性が自分の身体を自由にできる権利が奪われる、と、中絶賛成の立場からの番組だ。
北原みのり等の活動の成果である、ジェンダー 女性の権利よ。
中絶賛成派、それはリベラル、左翼達である。北原のこの記事の主張へも感情として同感するだろう。アジテーションは効果を発揮し奴バラの力は増して行くのだ。
何回もコメントした。
私は団塊の世代、大学紛争当時、日本女子大、ブンドの女活動家、今ではフェミニズム世界の大物おばさん、(ば~さん)
まだ共に40代のころ、彼女が私に面白い女性を紹介すると、アダルトグッズの販売をしている女性だと、北原みのりである。 会いはしなかった、
彼女らは共に力を合わせは既成秩序の破壊工作を行ってきたのだ、今もなお、その意味では大したものだ、、
AV新法で見えた左の力の不気味さ、なる記事があるが
見えない力ははるか以前からその力を発揮しているのだ。
ご返信は不要です。
追伸
松田さんが今もなお、
左翼、リベラル、私が言うところのファシスト共の問題、危険瀬性を看破し、地道に記事に取り上げて下さることを心強く思います。
ご返信は不要です。