長谷川豊氏へ 他人をバカ呼ばわりの前に学んで

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 元フジテレビ・アナウンサーの長谷川豊氏がツイッターで当サイトを批判した。その内容の一部は当サイトが公開した長谷川氏の記事は取材に来ないで執筆する、いわゆる「こたつ記事」であるとするもの。これに対し、当サイトとして反論する。長谷川氏は伝聞法則についての知識がないとみられ、そのために主張が根拠の欠けたものとなっている。

■当サイトの申し出に沈黙

写真はイメージ

 いわゆるスシロー事件について、当サイトでは”炎上”中の長谷川豊氏を批判する記事を掲載した(スシローで炎上の長谷川豊氏 致命的な資質の欠如長谷川豊氏4連投稿で”燃料投下” 法的措置を宣言)。これに対し、長谷川氏は2月16日に以下の投稿を行った。

松田さん、貴殿も日刊スポーツにいて多少のジャーナリズムをかじった人間なのであれば、少しは私のツイートを読むか、取材の一つでもなさって書けばいいのでは?少なくとも私のこたつ記事で金を稼いでいるのであればもう少しでいいので読解力を養ってから書きなさい。取材ならちゃんと受けるから。→

(2023年2月16日午後2時1分投稿

 このツイートの後にリプライする形で5つの投稿が続いている。これに対して、当サイトでは、冒頭のツイートに以下のリプライをした。

長谷川さん、会うのはいいのですが、貴殿の主張や釈明を無批判に掲載する気はありません。対談や討論等の形式であれば、やる価値はあるでしょう。その場合、事件をほじくり返すより、事件を受けての前向きな話がよろしいかと。有名人の貴殿にはメリットがないと感じるかもしれませんが、ご検討を。

(2023年2月17日午前0時46分投稿)

 当サイトからの申し出から24時間以上経過したが、長谷川氏の反応はない。こちらが申し出たように直接話す機会がもてるか18日午前の時点では不明で、このまま何の連絡もないまま、長谷川氏の「こたつ記事批判」だけが残る可能性もあるため、反論を掲載することとした。

■こたつ記事の一律排除の不当性

 「こたつ記事」とは一般に「ジャーナリスト、ライターが取材対象者に直接取材を行わず一次情報を元に執筆した記事を指す俗語。」(ウィキペディア・コタツ記事)とされる(広辞苑第7版には未掲載)。こうした記事の作成法が批判されるのは、直接取材を行わないことから伝えられている情報の存在そのものを含め真偽が不正確であり、誤っているかもしれない情報をベースに記事が作成されている可能性があり、結果として真実を伝えない事態が起こり得るからと言っていい。

 そのため、この種の記事を批判する際には「これはこたつ記事である」と批判すれば、当該記事は真実性が薄く、書いている人は当事者に取材しない、いい加減な記者であるという印象を与えることができる。

 この点につき、長谷川氏はこたつ記事に関する最も重要な部分を全く理解していない可能性がある。最も重要な部分とは「元情報の存在そのものを含めた真実性の判断」である。こたつ記事の元になる情報には、存在そのものを含め真実も虚偽も混じっている。

 虚偽や、部分的に切り取った一見真実に見える真実とは言えないものを根拠に記事を書くことは許されない。とはいえ、元情報に存在する真実までも「真実とは言えない」として排除するのは逆に真実を隠蔽することになる。元情報の存在を含め真贋を見抜くことはジャーナリズムを生業にする者には極めて重要な要素である。

 このような情報の判断について、司法の世界では被告人の有罪無罪に関わってくるため極めて厳格なルールを定めている。それが「伝聞法則」である。法定されていることから、ある意味、ジャーナリズムの世界よりも厳格に扱われていると言っていい。

■刑事訴訟法320条1項

 伝聞法則の柱になるのは刑事訴訟法320条1項。

【刑事訴訟法320条】

1 …公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。

 極めて抽象的に表現すれば「この人がこう言ってますと紙に書かれた文章を出したり、『あの人はこう言ってました』という話をしたりは、証拠と認めません」ということ。書いてある内容、供述した内容が真実である保証はなく、しかも、真実か虚偽かを吟味するための反対尋問ができない。そのような書証や供述をもとに「お前は犯罪者だ、有罪だ」とされたら被告人はたまったものではない。

 これを具体的な記事に当てはめて考えてみよう。

記事①:元フジテレビ・アナの長谷川豊氏は2月1日、スシロー事件に関して「もー ゲンコツ3発と皿磨き1週間くらいで許してあげなよー」と番組収録の合間に語った。それを聞いた他の出演者との間でトラブルとなり、一時、現場は混乱した。(●●新聞×月△日付け)

 この情報をもとに、「長谷川氏がとんでもない発言をした」と「こたつ記事」をまとめることは適切ではない。なぜなら、この情報は●●新聞が発した内容をもとにしており、真実性の保証がないからである。こたつ記事を書いた人間に、長谷川氏が真実、そのような主張をしたのかを追及しても意味がなく、情報の信用性の吟味の手段が十分に保障されていないからである。

 もし、裁判で長谷川氏がスシロー事件に関して、世間から批判されるような考えを持っていたことを要証事実として、この記事①を証拠として提出したら刑訴法320条1項の伝聞証拠として排除される。そのような構図となるこたつ記事に対する長谷川氏の「取材の一つでもなさって書けばいいのでは?」という批判は妥当なものと言えよう。

■伝聞証拠と非伝聞証拠

 ところが供述証拠でも、伝聞証拠とならない場合もある。その1つが「原供述自体が証明されるべき事実である場合」(刑事訴訟法講義 第3版 安冨潔 慶應義塾大学出版会 p336)。

 これは、その人が、その種の発言をした事実そのものを証明する場合には、伝聞証拠ではない「非伝聞証拠」として証拠能力を有するということ。記事①で考えれば、●●新聞の記者が法廷で「長谷川氏は『もー ゲンコツ3発と…』と言いました」と証言した場合、長谷川氏の供述した内容の真偽(ゲンコツ3発などで済ませていい)が証拠となるのではなく、長谷川氏の「もー ゲンコツ3発と…」という供述の存在そのものが証拠となり、「言葉を非供述証拠として利用するものでそもそも伝聞証拠とはいえない」(同)のである。

 これを長谷川氏の事案で考えてみよう。

 長谷川氏がツイッターで「もー ゲンコツ3発と皿磨き1週間くらいで許してあげなよー」と投稿した。長谷川氏自身の文章であり、他者は介在していない。厳密に言えば、ツイッター社のシステムが介在しているが、長谷川氏が作成した文章を機械的に掲載するだけであるから、アカウントが乗っ取られたなど極めて特殊な例を除き長谷川氏の作成した文章そのものと言える。このことは、ツイッター社が長谷川氏のツイートは存在したことを供述したに等しいと考えることもできる。

 つまり、長谷川氏が作成したツイートが加筆も訂正も削除もされることなくそのまま掲載されており、この記事を書く者が当該ツイートを直接ツイッター上で認識し、自身の見解を述べることは、伝聞証拠をベースに記事を作成することとは全く異なる。少なくとも元になる情報の存在と、その内容を正確に把握した上での記事作成であり、何ら批判されるべきものではない。

 確かに、長谷川氏の言うこたつ記事の一種かもしれないが、こたつ記事になるからと言って全ての記事が不適切であったり、排除されるべきものであったりするわけではない。トランプ前大統領のツイートをもとに全世界で「こたつ記事」が作成されたのは記憶に新しい。

 長谷川氏は立命館大学産業社会学部で学んだと聞く。入学が困難な大学で学んだことに敬意を表するとしても、他人にジャーナリズムを論ずるのであれば、せめてニュースソースと記事との関係で刑事訴訟法、特に伝聞法則ぐらいは最低限の知識として備えるべきと考える。

■SNSの時代に考えるべきこと

写真はイメージ

 SNSが誕生する前は、情報発信はメディアに独占されていた。そのため我々は、メディアを通してしか情報を得ることができず、伝聞証拠との関連性をあれこれ考える必要があった。

 しかし、SNSによって誰でも簡単に情報発信ができるようになり、情報発信源から直接我々に届けられるようになったのである。

 長谷川氏の今回の発言が仮に新聞を通して伝えられたら「記者が出鱈目を書いている」と言えるし、テレビが動画を通じて伝えられたら「都合のいい部分を切り取っている」と言うことも可能。ところがツイッターは自分自身がツイートを作成し、最も伝えたい部分をそのまま伝えることができるため、情報発信に伴い発生する責任は原則、発信者が負わなければならない。

 長谷川氏が発した情報で”炎上”した責任は長谷川氏自身が負うべきで、ツイッターを見た人たちを「なぜ理解できない」とバカ呼ばわりする前に、理解できるような説明をしない自身の情報発信の稚拙さを改めるべき。

 それをせずに「取材ならちゃんと受けるから。」と取材に応じる姿勢を見せるのは、記者の力を借りて多くの人に自らの主張を理解してもらう、批判する者の報道者としての特質を逆手に取り自分の主張をそのまま書かせ、それをもって論争に勝利したという印象を世間に与えるためと判断されても仕方がない。それゆえ、当サイトでは取材ではなく対談、討論を提案したのであり、それに対する長谷川氏の回答は24時間以上の沈黙である。

 今更、長谷川氏のツイートを振り返ってあれこれ言うのも建設的なことではないが、1つだけ当サイトの主張の理解を助けるために示しておこう。

「もー ゲンコツ3発と皿磨き1週間くらいで許してあげなよーめんどくさい世の中だなー 相手、子供だろ」

 この最初のツイートから「何度も書いてますが上場企業が法的措置を取るのは当たり前」(長谷川氏のツイート2023年2月16日午後2時6分投稿)をどう読み取るのか。主語が違う、ゲンコツは比喩という説明で納得している人がどれだけいるのか、少しは自らの主張の不自然さに気付いた方がいい。

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