古市憲寿氏がDr.スランプ語り炎上「無知は喋るな」
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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社会学者の古市憲寿氏による漫画家・故鳥山明氏に関するテレビでの発言がネット上で炎上している。鳥山氏の功績を讃える内容であるが、前提となる事実関係の認識が客観的事実との食い違いが大きい点を指摘されるなど、厳しい声が相次いでいる。
◾️鳥山明氏を讃えてはみたものの
古市氏は10日の「真相報道バンキシャ!」(日本テレビ系)に出演、3月1日に亡くなった漫画家の鳥山明氏を日本の漫画の歴史を変えたと言ってもいいと最大級の褒め言葉で讃え、鳥山氏が誕生した当時の漫画(少年誌)の現状について語った。
「『Dr.スランプ』が始まる前の少年ジャンプって、劇画が多かった時代なんです。…そういう劇画が多かった時代に、鳥山さんがすごいポップですごい可愛らしくて、ああいう絵の作品を始めたんですね。…それまで漫画はオタクが読むようなものみたいなイメージがあったんですけど、今我々が漫画のこと、誰も恥ずかしくない、誰もが日本のステキなカルチャーだと思えるのは、鳥山先生の功績ってめちゃくちゃ大きいと思うんですね」(デイリースポーツ電子版・古市憲寿氏「日本の漫画の歴史変えた」と急逝の鳥山明さん追悼 漫画を「日本のステキなカルチャーにした功績めちゃくちゃ大きい」)
このデイリースポーツの記事がX上で引用され、多くの人が怒り、呆れている。
「知らねえんだから喋るなよ。」(藤栄道彦氏)
「なんかもう徹頭徹尾的外れで単にビッグウェーブに乗っかりたいだけ感がアリアリ。」(うぃっちわっち(丁稚)氏)
炎上した発言の問題点は以下のように整理される。
(1)Dr.スランプが始まる前の少年ジャンプは劇画が多かった時代
(2)その時代に鳥山明氏がポップで可愛らしい、絵の作品を始めた
(3)鳥山氏の登場以前は、漫画がオタクが読むイメージがあった
この3点が客観的事実と食い違うことが炎上の原因となっていると見ていい。
◾️ジャンプは本当に劇画ばかり?
まず、古市氏の言う劇画と漫画の違いをはっきりさせておこう。イメージとしてアラレちゃんのDr.スランプのような作品が漫画で、劇画は、たとえばゴルゴ13、かなり古いが、子連れ狼のようなものをイメージする人は多いのではないか。
広辞苑第7版では以下のように説明されている。
漫画:③絵を連ね、多くはせりふをそえて表現した物語。コミック。
劇画:②物語の登場人物や場面を絵で表し、人物の会話などを文字で書き入れた読み物。漫画を物語風に長編化したことに始まる。特に、写実性のある絵によるものに(ママ)いう。
広辞苑の定義からすると長編化されていることが前提で、ポイントは画風で、写実性のある絵が劇画という認識でいいのかもしれない。その前提で上記の(1)~(3)を順に検討していこう。
(1)Dr.スランプが始まる前の少年ジャンプは本当に劇画が多かったのか。Dr.スランプは1980年5・6合併号から始まっているが、当時の連載を見てみよう。
Dr.スランプ開始直前の1980年1号では新連載2本を含め14本が掲載されている。「テニスボーイ」「キン肉マン」「ふたりのダービー」「GO⭐︎シュート」「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「すすめ!!パイレーツ」「真直がいく」(ジャンジャン研 週刊少年ジャンプ掲載順研究所・週刊少年ジャンプ1980年1号)あたりは「写実性のある絵」で描かれていないように思える。少なくともこの8本は劇画ではないと言えるのではないか。
劇画と呼べるのは、筆者のイメージでは「コブラ」「私立極道高校」の2作品程度。そうすると、(1)のDr.スランプ登場前の少年ジャンプが劇画が多かったというのは疑わしい。
(2)は、前提となる(1)の真実性が揺らいでしまえば、ステートメントそのものがフォルスということになる。それは措くとしても「鳥山明氏がポップで可愛らしい、絵の作品を始めた」という点はどうなのか。前述のように、Dr.スランプ開始時には、すでに「すすめ!!パイレーツ」(江口寿史氏)の連載が始まっていた。
江口氏は鳥山氏と画風は異なるが、ポップ(大衆向き、時代にあって洒落ている)であり、鳥山氏の描くアラレちゃんの可愛さとは異なるが、女性を描かせたらその筋のマニアがいるほどの完成度の高さ。個人的な見解であるが、江口氏の登場も鳥山氏に負けず劣らず革命的であったように思える。
こうした作風が鳥山氏が始祖であるかのような言い分は、当時から漫画を読んでいた者にすれば違和感を覚える。
◾️オタク誕生以前に「オタクが読むもの」?
(3)も問題。Dr.スランプ登場以前は、漫画はオタクが読むものというイメージであったのか? それを論ずる前にオタクとはどういうことか、広辞苑で確認する。
御宅:④(多く片仮名で書く。仲間内で相手を「御宅」と呼ぶところからの称)特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付合いに疎い人。また広く、特定の趣味に過度にのめりこんでいる人。「アニメー」
1980年の少年ジャンプの発行部数は300万部で、少年誌ではトップを誇っていた(『週刊少年ジャンプ』という時代経験ー解釈枠組みとしてのマスター・ナラティブー 池上賢)。1980年当時、ジャンプを読んでいた300万人近い少年を、世間は「特定の趣味に過度にのめりこんでいる人=オタク」というイメージで見ていたと、1985年生まれの古市氏は考えているようである。
筆者(松田隆)も少年の頃は少年誌(ジャンプ、マガジン、サンデーなど)を、20歳前後からは青年誌(ヤングジャンプ、ビッグコミックスピリッツなど)を読んでいたが「オタク」と呼ばれたことはなく、そのように見られたこともない。周囲にもオタクと呼ばれるような言動の友人・知人は存在しなかった。当然、オタクと呼ばれたことのないごく普通の人が漫画を読んでいたというのが筆者の1980年の少年誌をめぐる状況の認識である。
「オタク」という言葉を定着させたのは、評論家の中森明夫氏であるとされる。そのルーツを探ると、雑誌のコラムに紹介されたのが初めてと見られる。1983年の雑誌に同氏の記事「『おたく』の研究① 街には『おたく』がいっぱい」が掲載されている(Mural Magic・「おたく」の命名を担った中森明夫のエッセイ「おたくの研究(1)街には『おたく』がいっぱい」 「漫画ブリッコ」1983年6月号)。
オタクの言葉が世に出る3年前のDr.スランプの連載開始当時、漫画はそうしたオタクのような人たちが見る者という認識であったと表現するのは、オタクという言葉そのものが登場していない、即ちオタクという存在そのものが社会に認識されていない時代の話であるから不適切と言うしかない。
よど号事件(1970年)の際には「あしたのジョー」(少年マガジンで連載)が注目を集めることになった。事件の首謀者・田宮高麿は出発宣言の最後をこう締め括った。
「…日本の同志諸君! プロレタリア人民諸君! 全ての政治犯を奪還せよ! 前段階武装蜂起を貫徹せよ! 前段階武装蜂起⇄世界革命戦争万歳! 共産主義者同盟赤軍派万歳! そして、最後に確認しよう。我々は”明日のジョー”である。」(シリーズ20世紀の記憶 連合赤軍”狼”たちの時代 毎日新聞社 p92)
「あしたのジョー」で主人公のライバル力石徹が死亡した際には寺山修司氏の劇団を中心に講談社内で力石の追悼式が行われている。「700人のファンが参列した。『君は体制の幻想敵にすぎなかった』と全共闘調の弔辞が読まれた。」(同p130)
こうした事実を知った上での「漫画はオタクが読むイメージ」発言であれば、基本的な判断力、分析力が欠如していると言うしかない。知らずに言ったとすれば、コメンテイターとして準備不足であり、無能の証左である。
◾️古谷経衡氏と同じ過ち
古市氏に対して「生まれる前のことを語るな」という気はない。
しかし、生まれる前の事実を語るのであれば、その時代を知る人を納得させるだけのクオリティが求められ、必然的に納得してもらうハードルは高くなる。
文筆家の古谷経衡氏も生まれる前の連合赤軍や浅間山荘事件を語って墓穴を掘った事案を紹介したばかり(古谷経衡氏 間違いだらけの新左翼解説)。
古市氏ももう少し勉強、努力をして仕事に向き合うべき。今のままの姿勢では、いずれメディアから姿を消すことになるという危機感を持った方がいい。
>漫画ブリッコ
その名、
というか“文字列”をこのサイトで目にするとは思わなかったw
確かに文字を打っていて、(何だかなぁ〜)みたいなのはありました(笑
そもそも「社会学」というものがいかなる学問かわかりません。
所帯持ちにも関わらず教職の立場を利用して、教え子でもないよその女子大生を安ホテルに連れ込むのも社会学なのかな?w不適切にも程がある。
「社会学者」といういかにもな肩書だけ貼り付けて、どうでもいい人間がいい加減なことを主張しているだけのようにしか見えないのですが。
大学の先生にはおかしな人が存在するとあらためて感じます。成田悠輔氏も「高齢者は集団自決を」と公言するのですから普通ではないというか、普通の人以下です。東京大学で何を学んでいたのかなと思います。
勉強ができる人はどこかネジが飛んでしまうことがあるんだなというのを感じることが多いです。
その成田某もキリンの「氷結無糖」のCM(WEBのみ?)に何故か起用され、普段の言動を問題視する消費者から不買運動を起こされそうになって、慌ててCMを中止したそうですね。
日清食品のどん兵衛と同様の構図になりましたが、キリンも何を思ってあのような人間を起用したのか理解に苦しみますが、こういったある程度正当性が認められる主張によってあちら界隈の活動家の小遣いの源を削ることができたのは意味のあることだと思います。
アニメや漫画を一方的に標的にして「環境型セクハラ」だののレッテルを強引に貼り付けようとする、それこそ頭のネジが吹き飛んでいる勢力よりよほど健全かと。