「美人会長」発言攻撃の朝日新聞ご都合主義
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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全国市長会長を務める福島県相馬市の立谷(たちや)秀清市長(70)の「美人会長」発言が問題になっている。10月28日に行われた連合福島の定期会合で新会長となる芳野友子氏に言及し、「今度の美人会長も楽しみにしている」と話したことが問題視されているもの。言わなくてもいいことを言う政治家に、攻撃材料を見つけて嬉々として突っ込む勢力の不毛な争いのように思える。
■朝日新聞「セクハラ発言」のコメント紹介
問題の発言は、立谷氏が来賓として挨拶した際に行われた。都市部と地方の賃金格差の是正について連合の前会長の神津里季生氏と意気投合して、意見交換をしてきたことを説明した後で「今度の美人会長も楽しみにしている。色々と協議しながら、日本にとっての問題は何なのかを連合と共通の立場で考えていきたい」と述べたとされる。
この発言について立谷氏は「男女を蔑視する意図があるものではありません」と釈明している(以上、朝日新聞電子版10月29日公開・市長会長「美人会長も楽しみに」と連合に言及 識者「セクハラ発言」)。
しかし、一部メディアは激しい攻撃を加える。上述の朝日新聞は上智大学の政治学の教授のコメントとして「セクハラ発言」とし、毎日新聞は芳野会長の「容姿に触れるのは今の世の中では許されないことだ」(同紙電子版同日公開・連合・芳野会長「許されない」 全国市長会長の「美人」発言批判)という発言を紹介した。
その後、芳野会長は記者会見し、「本人も猛省しているので、私から述べることはないが、性別にかかわらず一人ひとりが差別なく生きやすい社会にすることが求められているし、連合運動の柱でもあるのでしっかり展開していきたい」と話した(NHK NEWS WEB同日公開・立谷相馬市長 連合の芳野会長に「美人会長」などと発言)。
■雉も鳴かずば撃たれまい
女性を「美人」と表現して謝罪させられる時代である。その是非はともかく、この話題を見て思うのは、以下の2点。
(1)立谷氏→批判されるのが分かっているのだから、余計なことを言うべきではない
(2)朝日新聞→発言者の属性で批判をする二重基準になっている
以下、順に見ていこう。
(1)女性に関する発言で記憶に新しいのは、今年2月、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言し、辞任に追い込まれた一件である。発言そのものには露骨に女性を蔑視する意図は感じられない(参照・森喜朗氏に”私刑” 朝日新聞の思想統制攻撃)。しかし、メディアに煽られた世論の前に元首相はなす術もなかった。
こうした類の発言は、このような事態に追い込まれる可能性があることは、政治家は心した方がいい。立谷氏はそもそも芳野氏を「美人会長」と呼ぶ必要があったのか。「今度の会長も楽しみにしている。色々と協議しながら…」でいいところを、何のために「美人」とつけたのか。
おそらくユーモアのつもりだったのであろう。(男性の前会長と意気投合できたから、今度の会長とも仲良くなれるはず。新会長は美人の女性、これは色々な面で楽しみ…)といった昭和テーストのジョークだったのかもしれない。ジョークとして面白くないし、本気で言ったのなら(公私混同するな)ということになる。どちらに解釈されても本人にメリットがない発言をする意図が分からない。
同じ職場の女性を仕事の後に食事に誘っても「パワハラ」「セクハラ」とされかねない世の中で、自らの発言がリスキーであることに気付かない時点で政治家として考えの甘さは否定できない。
「記者ハンドブック」(共同通信社)の第13版を見ると、「女性を特別視する表現や、男性側に対語のない女性表現は原則として使わない。性別を理由にした社会的、制度的な差別につながらないよう注意する」(p494)とあり、朝日新聞はこうした事情を背景に攻撃しているのは明らか。
立谷氏は蔑視の意図はないとしており、それであるなら尚更、保守系政治家を批判することを信条にしているとしか思えないメディアに格好の材料を与える言動は慎むべき。「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を噛み締めていただきたい。
■蓮舫議員の「高卒発言」の方が深刻ではないのか
(2)個人的には「美人会長」と表現したこと自体は、強く批判されるようなものではないと思う。しかし、朝日新聞などには許し難い表現であったのであろう。それを批判するのは勝手であるが、その種の発言についての批判の基準が一定ではないことに疑問を覚える。
たとえば、立憲民主党の蓮舫参院議員が2020年4月29日の予算委員会で「学校(筆者註:大学のこと)をやめたら高卒になる」という発言が、世論から批判を浴びた。これは高校を卒業して社会に出た人間を指して(そういう身分になってしまっていいのか)という主張に聞こえるもので、許し難い差別意識、差別発言であると感じた人は少なくないと思われる(参照・蓮舫議員 責任回避の謝罪術「差別を謝れ」)。
ところが朝日新聞は、発言翌日の午後に蓮舫氏がツイッターで謝罪したことをセットにして報じただけ。その内容も、蓮舫氏の表現が行きすぎたもので、「高卒を馬鹿にしている」という批判に「全く違う」と反論しているのをそのまま報じ、これといった批判はしていない。
森喜朗氏の場合には、「こんなゆがんだ考えを持つトップの下で開催される五輪とはいったい何なのか」(朝日新聞電子版2021年2月5日付け社説)と、最大級の批判を行なった。「美人会長」発言も上智大学の教授の「セクハラ発言」を引用している。いずれも蓮舫氏の時とは大きく異なる。
結局、朝日新聞は「何を言ったか」ではなく、「誰が言ったか」で発言に対する批判をする・しないを決めているとしか考えられない。
■橋下徹氏を「タレント弁護士」
朝日新聞の報道姿勢については、もう1つ疑問がある。「美人会長」という表現は、職名である会長に、その属性を示す「美人」を付したもの。そこに女性に対する差別や偏見が見てとれるというのが朝日新聞の考えなのであろう。
実は朝日新聞は過去に同様のことを行なっている。前大阪市長の橋下徹氏を「タレント弁護士」と表現したのである(橋下氏、ツイッター政治語る 「強力な武器になるとは」ほか)。そもそも「タレント弁護士」などという職名はなく、その意味するところは「タレント活動も行なっている弁護士」と思われる。橋下氏は「行列のできる法律相談所」などに出演していたが、自身が「タレント弁護士」などと名乗ったことはないはず。
弁護士という憲法でも言及されている正式な職名を呼ばず、勝手に「タレント」をつける時点で、橋下氏や弁護士という職業に全く敬意が払われていないのは明らか。朝日新聞の公式サイトで検索すると、この呼び名は橋下氏だけに用いられている。菊間千乃弁護士、本村健太郎弁護士らも芸能事務所と契約を結んでいるようであるが、彼らも朝日新聞の基準なら「タレント弁護士」ではないのか。
朝日新聞は「タレント弁護士」の定義を明らかにして、なぜ、そのような肩書きを橋下氏だけに使うのかを明らかにすべきであろう。タレント活動をしているように見える弁護士を、殊更、その属性を強調することは、当該弁護士に対する差別や侮蔑に繋がるように感じられる。他者を批判するなら、まず我が身を振り返れと言いたくなる人は少なくないはず。
それをせずに「美人会長」と発言した市長を責めるところに、朝日新聞のご都合主義を感じる。
しかし男性を指して「〇〇メン」とか「ハンサム」とか「三枚目」とか表現しても差別とは言わないでしょうね、朝日は。
ただし三原じゅん子議員や杉田水脈議員などがそう言うと、過敏に反応しそうではありますが。
》》ジャーナリスト松田様
朝日は朝日、ついでに毎日は毎日ですからね。
多くのメディアは松田さんがご指摘の通り、「何を言うかではなく、誰が言ったか」で判断しますよね。政治家の「言わなきゃ良いのに」発言は、与野党問わずにこれからも続くでしょう。単にその政治家のセンスと知能によるものだと思います。麻生氏のように良くも悪くも一部認知されている(言っても治らない)政治家は稀です。
今回の総選挙でも落下傘候補とは言え保守系候補者を「タレント議員」と呼び続けたメディアの魂胆が透けて見えて不愉快でした。「この人はタレントさんでした。政治のことなんて分かっていないんです。あなたの一票を投じて良いんですか?」と言っているようなものです。
今回の総選挙では、ほとんどのメディアの情勢予想は大きく外れました。これまで各社は世論調査や情勢分析によって国民や有権者をメディアの思惑に沿った方向へ誘導して来ました。傲慢にも、「所詮、視聴者など右や左に思うように扇動できる」とたかを括っていたんでしょうね。しかし多くの有権者はメディアの思う様には行動しませんでした。もはや新聞社やテレビ局が国民に与える影響力が著しく低下していることを実感いたしました。特に今回の選挙戦の様に短い期間では尚更だったのでしょう。
コロナによって、既存メディアが衰退する時計の針が一気に早まったのではないでしょうか。
調べてみると、週刊朝日は2013年06月21日号で「公明党の松あきら後継、32歳美人候補のお姫様選挙 選挙へ蠢く政治ワイド」なんて下品な見出しの記事を載せてますね。
候補者の良否と美人かどうかとはほぼ関係ないし、記事を読んでも美人であることが全体の論旨に関係するわけではないどころか、美人だからどうだということは一切書いてなく、他の部分との関係が不明瞭なのにわざわざ見出しにするあたり読者の注目を集める為だけにわざわざ「美人」という言葉を使っているだけのようです。
自分達が使っている言葉を保守系の人が使ったら批判するとか最低ですね。