加藤登紀子炎上 現代人に完敗”70年代の化石”

The following two tabs change content below.
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 歌手の加藤登紀子さん(76)のツイッターが炎上している。その様子は、70年代そのままの加藤氏が21世紀の人々の合理性の前に完膚なきまでに叩き伏せられる様子を見るかのようである。

■ツイートに2000近いリプライで炎上

加藤登紀子氏ツイッターから

 加藤登紀子氏は4月10日午前8時49分に、チェンジオルグ(Change.org)の「日本国民への”マスク二枚配布”を中止し、休業補償対策と自宅待機指示を」というキャンペーンへのリンクを貼った上で、「お知らせありがとう!署名しましょう。…このマスク配布を止める署名活動が進んでいます。もう少しで15000人みたい。」などとツイートした。

 この内容にかなり辛辣なものを含む2000近いリプライが寄せられ、4月11日午後6時40分に加藤氏は以下のようにツイート。

安倍さんの、マスク配布政策に、意見を申し上げましたら、本当に何百もの嫌がらせのTwitter、ご苦労さんな事です。あまりに程度が低くて辟易しています。これではマスク配布を正当化できる人は、誰もいない、と言うことになりますね。こんな緊急時に、無駄な事は、やめましょう。

 この挑発的とも思えるツイートに、またも2000近いリプライがついた。70年代を代表する歌手の1人でもある”お登紀さん”も当惑したに違いない。

■70年代の学生の常套手段 最後は鉄パイプで粛清

 加藤氏は学生運動が盛んだった70年代から主張はほとんど変わらず、一貫して反政府の立場を貫いてきた。当時はネットはなく、情報や意見を発信できるのは雑誌、新聞、テレビ等のメディアしかなかった。そのメディアの多くが「反権力」という点で共通していたため、加藤氏らが正面切って批判されることなど考えられなかったのである。

 故藤本敏夫氏が獄中にある時に婚姻したことに対しても、世俗にとらわれない発想の現れであるかのように好意的に扱われることが少なくなかったように記憶している。ちなみに故藤本氏の犯した罪は凶器準備集合罪、公務執行妨害罪とされる。

 学生運動をする者は当時から論争するのが好きで、今から見ると何の生産性もない議論を延々と重ねていた。彼らは政治路線をめぐる争いなどでは哲学などの本からの聞きかじりの知識を振り回して自己満足としか思えない議論のための議論をするのである。

 だが、彼らの多くはセクトを離れ自由や民主主義、公共の福祉など、普遍的な価値観を持つ者とは論争はしない。そういう主張をする者は「右翼」「再軍備主義者」であり、話を聞く必要はないという態度で実体的な論争を避けてきた。それでもなお、反駁してくる場合はゲバ棒、鉄パイプで粛清するのである。

■人々の鋭い指摘にお登紀さんは”聞こえないフリ”

 今回の加藤氏の反駁のツイートを見ると「あまりに程度が低くて辟易しています」と、相手を「意見を言うに値しない人物」と決めつける態度に徹している。その上で「これではマスク配布を正当化できる人は、誰もいない、と言うことになりますね」と、配布を主張する人たちはレベルが低すぎるから、その主張は根拠がないという流れになっている。

 これは、実質何も言ってないに等しい。70年代はこれで通用したのかもしれないが、今は誰でも情報発信ができる時代。人々の声を直接、加藤氏に届けることができる。そのため、これまで加藤氏が論争を避けてきたような相手からも辛辣な批判が浴びせられた。

・自分が言ったことは「意見」で言われたことは「嫌がらせ」という基準なのか。

・自分以外の意見はレベルが低いと切って捨てる….笑止千万 意見を言えば反論批判が有るのは当たり前

・マスクが欲しい人にとっては加藤さんの発言は嫌がらせですよ。自分が言うのは良いけど人が言うのはダメということなんでしょうが。

 上記のリプライは、加藤氏が世間と自らを欺いて生きてきた発想の核心部分を突いている。自分たちは特別で批判されることはないという片務的な議論方法の合理性のなさを指摘された加藤氏が「あまりに程度が低くて」と聞こえない振りをしつつ、なおも自説にしがみついている姿は、タイムマシーンで半世紀前から連れてこられた非文明人が、現代の合理性ある言動を前にして、必死に頰っ被りしているかのようである。

 大江健三郎氏の著書「セヴンティーン」で、主人公が自衛隊の病院で看護師をしている姉に言い負かされるシーンが描かれているが、加藤氏はその気分を味わっていると思われる。

■加藤登紀子さんに望む真人間への道

知床旅情を歌う加藤登紀子さん(1971年NHK紅白歌合戦画面、YouTubeから)

 普通に考えれば加藤氏の主張は著しく合理性を欠く。マスク二枚配布を中止し、休業補償対策をせよという主張に対しては、以下の点がおかしいことはすぐに分かる。

①マスクがなくて困っている人に与えないことで権利を侵害し、感染拡大の可能性を拡大する。

②休業補償対策も同時並行で行なっており、マスク配布と二者択一の問題ではない。

 休業補償を求めるのは勝手だが、それはマスク二枚配布を中止させることとワンセットである必要などない。子供が考えても分かる理屈を東京大学を卒業した加藤氏が理解できないのは、要は「反政府」という枠組みの中でしか物事を考えていないからに他ならない。

 70年代の学生運動をしていた者をタイムマシーンに乗せて現代に連れてきたら、どうなるか。今回の炎上騒動を通して、加藤氏がその答えを我々に教えてくれた。

 今回の事件を機に加藤氏には半世紀に渡る呪縛から逃れ、合理的な思考の上に批判に対して正面から向き合う人間へと生まれ変わってほしい。それが、彼女の歌う「知床旅情」を聴いて育った私からの願いである。

    "加藤登紀子炎上 現代人に完敗”70年代の化石”"に5件のコメントがあります

    1. 野崎 より:

      こんにちは

      かつて加藤登紀子は日本人であることが恥ずかしくて仕方がない。と公言し、
      曽野綾子氏から、ならば日本から出て行けばよいと言われた。(誌上にて)

      国籍を離脱すればよい、ではなく単に出て行っても日本人であることに変わりはなく、これは、日本人であることの恩恵を享受しておきながら、ふざけるな、出て行け! という事だろう。

      今現在はどうなのか問うて見たいがガン無視だろう、以下も同じく。

      加藤登紀子の言動、行動は、

      亭主であった故藤本敏夫、反帝全学連書記長を務めた彼の思想(思想などといえたものではないが)を事実上支持していたことになる。収監に至る彼の犯罪を事実上容認し、それは学園のバリケード封鎖(全国の)器物損壊 威力業務妨害、テロ、拉致、リンチも支持していたことになる。(当時はファッションでもあったよな、その後、イチゴ白書をもう一度などという歌も生まれた。)

      赤軍の重信房子のように、あの路線は間違いでした、か?
      それともイチゴ白書をもう一度の歌詞に似た心境か、

      加藤登紀子の場合、単に心惹かれた男が活動家だっただけ、で済まされる話ではない。
      故藤本が起こした無農薬野菜等の販売企業、大地を守る会が農薬使用の野菜を販売していたことの責を問うのは酷だろう。

      加藤登紀子に類する者達。
      反権力といえば聞こえはいいが既存の秩序、価値観に本能的な反意をもつ反体制がよりふさわしい。
      故大宅壮一が看破したように反体制は体質、資質だ、一見、イデオロギーの仮面をかぶっているが実態はそういう奴ばらなのだ、現在の若い者達の中にも当然多数存在する。

      こ奴らに見られる共通項は 憲法改正反対 反天皇 反原発 同性婚容認 多文化共生等々であり、それぞれ独立した問題に何故か脈絡を持つ、反体制故だろう。 
      故藤本もやはり反原発だった。

      イチゴ白書をもう一度は、学生運動に挫折したアンニュイを表現した歌だと、
      冗談をいうな、そんなポーズはファッションだ。それを狙って創られた歌だろう。

      GNPが一定水準に達すると人はイデオロギーを口にしなくなるとの説がある。
      あれほど社会改革を口にしていた奴ばらがその後何をどうしたのか、何もしてはいない。

      さっさとヘルメットを脱ぎすて、その後の高度成長の果実を甘受ではなく享受し味わった、後は反体制的人間としての怨念をはらそうとして来ただけだ、そして今も。

      その中で狂人達が咲かせたあだ花が赤軍だ。

      日本人であることが恥ずかしくてならない。
      とは日本が憎くて仕方がないと同義語だろう。

      お隣の全体主義国家や事後法で裁く前近代的国家のことは不問らしい。もう一つ拉致国家も。「
      加藤等にとりダブスタは当然すぎるほど当然だろう。

      御返信不要です。

    2. 照井 より:

      さっと見てきましたが、今はもう「批判は全部バイト」にシフトしているようですね。
      貼るレッテルが変わっただけですが。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        >>照井様

         コメントありがとうございます。
         僕も今、見てきましたが、随分と大人しくなってますね、お登紀さん。びっくりです。

         穏健、柔和な「人々の安寧を願う」的なものばかり。さすがにこたえたのかもしれません(笑)。
         そういえば、この話題がブログで紹介されていました。

        加藤登紀子さん炎上雑感:http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=27295

         こういうのも結構嬉しかったりします。

    3. 通りすがり より:

      現在は該当のツイートのコメ欄を閉じている模様。
      自分と対立する者の意見に聴く耳を持たないあちら側の典型的なやり方。
      彼らが普段声高に主張している「多様性を認めろ」や「少数派の意見もしっかり聞いて取り入れる度量を持て」はどこに行ったのやら。
      自らが認めろ認めろと主張するものを、逆の立場になったらなかったことのように黙殺し、ほとぼりが冷めればまた同じ主張を始める。これを世にブーメランと言われるのだ。

      彼女や坂本龍一、先の宮本亜門らのような連中は年齢的に見てももう修正不可能でしょう。
      ただし言いたいように言わせておくのではなく、正論で逐一反論すべきですね。
      今回のようにコメ欄を閉じればそれは逃亡したに等しい。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        >>通りすがり様

         コメントをありがとうございます。

         聞こえないフリをするのは、”全共闘原人”の特徴ですね。しつこく言い続けたら鉄パイプが飛んでくるのでしょう。そのレベルの方がオピニオンリーダーのようになっていた70年代は何と狂った時代だったのだろうとあらためて思います。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です