小島慶子氏 キエフの子供は見殺しですか
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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タレントでエッセイストの小島慶子氏の”非人道的”なコラムが3月10日に公開された。ウクライナ侵攻について自分達がすぐにできる3つのことを示すものであるが、いずれもウクライナで生命の危機に晒されている人々には何ら手を差し伸べることなく、ロシアに一定の理解を示すもの。女性や子供の命を軽視する小島氏の主張は強い非難に値する。
■コラムで指摘した3つのポイント
小島慶子氏のAERAでのコラム「幸複のススメ!」の最新記事が10日にAERA.dotに掲載された。内容を簡単に紹介すると、ウクライナ情勢について戦争の惨さに言葉を失うとし、その上で息子たちに自分達ができる3つのことがあると話していることを紹介した。
(1)人道支援機関に寄付をすること
(2)誤った情報を拡散しないこと
(3)ロシアの政権とロシアの人びとを一緒にしないこと
3つの点について、たとえば国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がネットで寄付を募っていることなど、詳細な情報を伝えている。
最後に「家を追われた人を助ける、嘘や憎悪を増幅しない。今すぐ個人ができるアクションです。」と締めている(AERA.dot「幸複のススメ!」・小島慶子「ウクライナとロシアの人々のために私たちが今すぐできる三つのアクション」)。
■ウクライナとロシアの人々のために
小島氏のコラムで気をつけていただきたいのは、記事のタイトルが「ウクライナとロシアの人々のために…」とあること。
(1)~(3)については間違ったことを書いているわけではない。しかし、小島氏の言い分には決定的なことが欠けている。それは、現在進行形で死の恐怖にさらされているウクライナ国民、特に女性や子供の命を救うことが最優先であるはずなのに、そこに全く触れていないことである。今回のウクライナ侵攻は、ロシアによる国際法違反かつ非人道的な侵略行為が問題であり、非戦闘員(一般市民)が死亡しているのはウクライナだけ。
その点を考慮し、また、現在進行形でウクライナの人々が日々殺されている現状を考えれば、まずウクライナの人々に何ができるかを考えるのが通常の思考であろう。その時点で、小島氏の発想がいかにバランスが欠けたもので、生命や人権を軽視しているかが分かる。
「今すぐできる三つのアクション」の中に、ウクライナの女性と子供を救うための行動が含まれていないのは、そこに気が回らなかったのであれば著しい想像力の欠如、知っていて敢えて触れなかったのなら驚くべき非人道性と言うべき。
今すぐできる三つのアクションは、以下のように書くことはできなかったのか。
① 在日ウクライナ大使館が呼びかける募金に寄付をすること
② NATOによる飛行禁止空域設定をメディアで呼びかけ、デモで主張する
③ ロシアに直ちに侵攻をやめるように関係機関に呼びかけること
これではいけない理由を小島氏には説明していただきたいものである。
■なぜUNHCRなのか
小島氏の提言するアクションを分析してみよう。
(1)寄付をする先の人道支援機関、具体的にはUNHCRが挙げられている。そのUNHCRは募金を呼びかけるサイトで「毛布や寝袋等、極寒の東欧で避難を強いられる人々が必要とする支援を届け、逃れて来た難民が性的搾取や人身売買に遭わないよう、保護していきます。」と説明し「故郷から避難を余儀なくされているウクライナの人々を保護し、安全を守る援助活動が可能となります。」(UNHCR・ウクライナ緊急:避難を強いられる家族に人道支援が急務です)と寄付を募っている。
見ての通り、運良くウクライナでも安全な場所や、近隣諸国に逃げることができた人々を救うための募金。もちろん、そうした人々への支援も重要であるが、より支援を必要としているのは、ミサイルと爆弾が降り注ぐ中、地下壕で震えているキエフの市民などであるのは疑いない。まだ避難できていない彼らは命の危機に瀕しており、一刻も早く支援の手を差し伸べるべきである。
実際、彼らに直接の支援を届けることは難しいが、少なくとも在日ウクライナ大使館に寄付すれば、その使途が避難した人々に限定されていないだけに、命の危機に瀕した人々への助けになる可能性がある(在日ウクライナ大使館ツイッターでの寄付の呼びかけ)。もちろん、軍事費に転用される可能性もあるが、そのことで避難できないキエフ市民を間接的に救うことになる。
端的に申せば、UNHCRに寄付をして在日ウクライナ大使館へ寄付をしないことは、キエフの地下壕で震える女性や子供への支援を行わないことに等しい。交通事故で血を流している被害者には目もくれず、交通遺児に救いの手を差し伸べるよう求めているものと思えばいい。小島氏にはウクライナの都市にとどまる女性や子供への思いは全くなかったのであろう。
■フェイクニュース拡散しないことの緊急性
(2)誤った情報を拡散しない、つまりフェイクニュースを拡散しないことは重要なことである。ただし、緊急性があるかと言われるとそうでもないのも事実。
単純にメディアリテラシーの問題である。戦地からの情報の真偽を確定するのは非常に難しい。極論すれば、テレビニュースで報じられた地下壕で泣く子供の姿も、真偽のほどは分からない。ウクライナ政府が演じさせた可能性もあると言われれば、それを否定できるだけの根拠も普通の日本人は有していない。メディアリテラシーを根拠に、そうした悲惨な現実を世界に拡散できなくなることを喜ぶのは誰か。プーチン大統領とロシア軍である。
ロシア軍は民間施設は攻撃の対象としていないしながらも、住宅地への攻撃を行なっていることが欧米のメディアで映像付きで報じられている。映像や人々の証言があるということから、ロシアがウクライナの民間施設を攻撃していないというのは虚偽であろう。
そうした虚偽を拡散しないのは当然であるが、誤情報の拡散をしないということをこの時期に強調することで真実の伝達が阻害されかねないことも考えれば、今の時点で(2)のようなことを言うのは、ロシアによる侵攻を助けるに等しい。
■プーチン大統領得票率76%
(3)ロシアの政権とロシアの人びとは主体が異なり、実際にロシアでも反戦を叫んで逮捕されている人もいるから、全て一緒にするのは間違っている。
しかし、プーチン大統領は民主的な選挙で選ばれた指導者である。直近の大統領選挙(2018年)で得票率76%という、圧倒的な支持を受けて当選している。ロシアで戦争反対を叫ぶ者は確かにいると思われるが、同時に賛成している人もいるはず。
そもそも他国に侵略して多くの国民を殺害する指導者を選んだ国民にも責任の一端はある。そうした点を全て無視して「ロシア国民への偏見をやめよう」と主張するのは、日々ウクライナ人が殺されている状況で確認しなければならないことなのか。ウクライナ人の命より、ロシア人へのフラットな視線を優先させて行動する理由は何なのか。
それを今すぐにできるアクションとすることの意味が分からない。交通事故で瀕死の重傷を負った人が毎日出ている中、被害者を無視して事故を起こした運転手が所属するタクシー会社への偏見はやめましょうと訴えることの無意味さに小島氏は気付くことができないのか。
■突きつけられた現実の前で立ちすくむ小島氏
小島氏はタレント、エッセイストとしてさまざまな社会問題について言及している。その方向性は概ね、戦争など武力の行使に反対し、日本政府は悪い政府、自分たちの人権は最大限認められるべきで、公共の福祉より優先するというスタンスのようである。
ウクライナ侵攻は世界の強大国が帝国主義の時代のような侵略を行い、無慈悲に市民を殺害し、もはや軍事力でしか戦争犯罪を止める術がないという状況である。小島氏は、これまで披瀝してきた自らの信条の中では解決することができない状況に直面し、迷走しているのではないか。
日々死者が出ている状況を止めるには軍事力しかないが、行使すればさらに被害者が増える可能性があり、とはいえ、行使しなければ日々死者は増えていく。冷徹な国際政治の現状を突きつけられ、自らの「戦争反対」「憲法9条で平和を」との主張が国際社会では全く通用しないということを見せつけられたのである。そこで最重要ポイントを避け、枝葉末節の部分で自分の主張に合う部分を見つけ出し指摘する、それが今回のコラムのベースにある。
小島氏には女性や子供の命という最も重要なものへの思いを持っていただきたい。その上で、なぜ、こんな非人道的な主張をしてしまったのか、自分のこれまでの歩みは間違っていなかったか、真摯に反省することを求めたい。
そしてこのレベルのライターを起用していたメディアも責任を感じるべきであることは、言うまでもない。
小島慶子氏に関してちょっと前の事ですが、当時トランプ大統領がメキシコ国境に
不法移民対策として壁を設置したとき、人権無視とかでトランプ氏を厳しく
糾弾してましたが、民主党政権になって壁建設も中断、不法移民もほぼ無条件
受け入れを再開した結果治安が乱れ、凶悪犯罪も驚異的に増加。
今ではトランプ氏の壁建設は正当だったと表明する民主党議員も出てきてる状態ですが
このことに関して今どう考えてるのか聞いてみたいですね。
結局小島慶子氏も深く考えずに時の気分で発言してるとしか思えません。
〉交通事故で血を流している被害者には目もくれず、交通遺児に救いの手をーーー
いい例えですね。交通事故を目撃し、そこに負傷者がいたら、咄嗟に駆け寄るものでしょう。声掛けなり、止血なり、自分が出来ることをするはずです。医療資格者ならば、救命措置をするでしょう。後先考えず、目の前にいる負傷者を助ける為に動く、それが人としての有り様でしょう。
ウクライナでは、医療施設まで攻撃されています。日々、何の罪も無い市民の命が失われています。妊婦や幼い子供が危険にさらされています。あの悲惨な状況を見てか、義勇兵に志願した方もいらっしゃるようですね。
実際には行けないように思いますが、おそらく、ただただ、ウクライナの人々を助けたい一心でのことでしょう。そのような方々を人殺し呼ばわりする輩がいることには、唖然とします。
私は、松田案の3つのアクション、実行しますよ。寄付は、既に地元の信頼できる機関に託しました、使途問わずにて。
1日も早く、ウクライナに穏やか日々が戻ることを祈るばかりです。
月の桂様
義勇兵に関して
>ただただ、ウクライナの人々を助けたい一心でのことでしょう。そのような方々を人殺し呼ばわりする輩がいることには、唖然とします。
私は匿名氏が義勇兵は誰でも考える、に対して誰でも考えないとしてコメントをしまし
た。
●それは直接人を殺す価値観、自らも命をかけるわけですが、
自分が参加しないまでも義勇兵としてはせ参じる日本人に拍手を送る価値観、人を殺してこいと、
↓↓↓
義勇兵とは戦闘員のことです。
●ウクライナ政府がロシアと戦う外国人「義勇兵」を募集しており、1日現在、約70人の日本人が志願している。在日ウクライナ大使館関係者が明らかにした。
戦闘員としてうクライナの為の命をかける日本人、それは誰にでもできる事ではない、立派だ、賞賛に値する。
それを人殺し呼ばわりするとは許せない、との発想、論理でしょうか。
(私の事かどうかは?又人殺し呼ばわりと、人を殺す価値観に驚く、とは違います。)
以下文体が変わります。
誰しも殺されたくはないだろう。そして人を殺したくないだろう。
よって戦争という不条理に反対しそれを止めようとする思い、そして様ざま反戦活動と自分が、自らが兵士となり人を殺そうという思いとは決定的に違うはずだ。次元が違う。
月の桂様、あなた直接人を殺したいですか? 今回のロシアの蛮行に関しては貴方もロシア兵を殺すのですか? 義勇兵、戦闘員とはそういうことです。
人は戦争に反対しても通常そこまでの発想は無い、その行動はない。
反戦といえど人は自分の持てるもの(財産)を全てとはいわないまでも大半ほども与えはしない。
ではなぜ財産よりも大切な命をかけるのか?
日本の義勇兵にイスラム国へ参じた志願兵と通じるものを感じる。
(日本人9名参加、田母神俊雄氏とイスラエル外務省ンバー2の外務次官であるニシム・ベンシトリット氏との会談においての情報)
イスラム国への志願兵とウクライナへの志願兵とは違うと。
ある意味において共通性がある。(長くなるので割愛)
又70年代、階級闘争の為なら人を殺してもよい。とする極左に通じるものを感じる。彼らは自分たちを正義の兵士だと(赤軍)
日本からの義勇兵に何らかの違和感を感じないのか、、単純に賞賛に値する立派なことなのか?
欧米の義勇兵は自国を守る意味合いもあるのだ。日本人とは価値観まったく異なるのだ。
日本において
なぜ他の紛争には義勇兵が出ないのだ? 今まで出なかったのだ?
70年代あれほど激しかったベトナム戦争反対運動でさえ日本から解放戦線に義勇兵志願者などいなかった。
そして今現在、何故義勇兵として参加しよう提案、運動が起きないのか?
★それは、義勇兵に普遍性はないからだ。(長文となり割愛)
この世の実相は単純な二元論ではないのだ。
単純極まりない二元論で自分が直接人を殺してはならない。殺す意思をもってはならない。
反戦活動はその次元を超えて行うのだ。
人殺し呼ばわりと、人を殺す価値観を否定する、とは違います。
ご返信は不要です。
追記
故石原慎太郎氏が政治家を志した契機はベトナム戦争ルポの為現地を訪れた事によるとか。(日本の共産化を防ぎたいと)
前線近くで大砲を撃って見ろと米兵に促され、試みようと思ったがやめたと、
たとえベトコンといえど人が死んでいたらと思った、撃たなくてよかったと(書籍保有)
これが通常の、まっとうな人間の感覚だろう。
野崎 様
コメントを有り難うございます。申し訳ないのですが、何を仰りたいのかよくわかりません。
今日がどんな日か、ご存知ですか? もうすぐ、あの日のあの時間になります。私にとって、今日は特別な日です。3・11は心静かに祈る日です。毎年、休暇を取得します。特別である今日、あなた様の書かれた殺すというワードを目にした私がどんな気持ちになるか… 考えては頂けなかったようで残念に思います。
月の桂様
義勇兵とは人を殺すということです。
これではいかがでしょうか?
そして
義勇兵を賞賛する人たちを残念に思います。
人殺し、という言葉は月の桂様が発したのですけれど。それを踏まえてのそれを問題としてのコメントですので殺すという言葉が使われます。
3・11が毎年休暇をとり祈る特別な日であることを私は知りません。
悪しからず。
長文は前にも批判されました、それと理解できない、はこちらの責任(問題)だと思います。
ご返信は不要です。
野崎 様
〉義勇兵とは人を殺すということです。
言わずもがなです。私が義勇兵の意味も知らずにコメントしたとでも?結局は、あなたの意見を通したいだけですよね?自分が正しいと。
私はあなたの意見を否定していません。あなたにはあなたの考えがある。そして、私にも私の考えがある。それだけのことです。誤読されたので説明したまでです。
また、松田さん宛のコメントの中に私の名前を出すことなく、私のコメント内容を入れて批判(反論)するのは如何なものかと。遠回しに嫌味を言われたようでいい気持ちはしませんでした。私のコメントに直接返信して頂きたかったです。誰しも、全てのコメントを読んでいるわけではありません。たまたま、今回は読めましたので、誤読を訂正することが出来ましたが、読んでいなければ、私の真意が別な形で伝わっていたと思います。
あなたは、私が被災者であることは知っている。あなたとの過去のコメントのやりとりで出ています。(1年くらい前)
私が言いたいのは、休暇云々ではなく、沢山の人が亡くなった東日本大震災の日にわざわざ、殺しワードが出るコメントを被災者である私に対してする必要があるのかという意味です。心ある人ならば、今日は避けると思います。被災者にとっては大切な人を亡くした祈りの日であることに配慮すべきだと思います。(祈りの日として休暇を取っています。)あなたが何を発しようとあなたの自由です。でも、発する相手への配慮は必要と思います。
〉人殺し、という言葉は月の桂様が発した
そうですよ。でも、あなた個人に向けたメッセージではありません。事実として、私の周囲には義勇兵を人殺しと言っている人もいます。それには唖然としました。それを書いただけですが。
お返事は不要です。頂戴しても読みません。これ以上のやりとりは、サイトを私物化しているようで心苦しいので、終わりにさせて下さい。
私は、もう二度とコメントは投稿しません。
月の桂さんは被災地のお方でしたか。ウクライナ支援に熱心なのはそのせいなんだろうね。飛行禁止空域設定に賛成すると平和ボケ達は即叩いてくる。あいつらは義勇兵にも批判的だ。これは世間一般の話。この掲示板に限ったことではない。私はあなたの知的なコメントのファンで投稿を楽しみにしている。今回のことで書く気が失せてないといいが。
匿名 様
お優しいコメントを有り難うございます。
〉今回のことで書く気が失せてないといいが。
失せました(-_-;)
どうぞ、私の分まで匿名様が投稿して下さいませ。
よろしくお願い致します。
こういう人は被害者被災者に寄り添った気持ちに勝手になって、勝手に自己陶酔してるだけ。
本当に気持ち悪い類の人間。
鈴木元総理の言った通りだと思う。自分も何か言わねばいけない、他の人間に喋らせることで自分をのけ者にした状態で株を上げさせるわけにはいかない、という強迫観念に駆られた人間が一堂に会することで余計なリソースを費やすことになる。
小島慶子はTBSのアナウンサーでしたからね。
立憲民主党参議院議員の杉尾秀哉もTBSのアナウンサーでしたし、TBSに在籍している或いは在籍していた人の多くは左に偏り過ぎて特亜+1の代弁者となったりしているなど碌でない人ばかりなのでしょう。
例外は安住紳一郎アナウンサーと鈴木史朗さん、元記者で小説家の井沢元彦氏、そして伊藤詩織と戦っているフリージャーナリストの山口敬之氏ぐらいでしょう。
月の桂様。「返信」の文字がなかったので、こちらからコメントさせていただきます。
戦争という、今まで私達の経験した事のない出来事。例えば京アニ事件の犯人は捕まり、刑に処されます。それは当然の事だと私達は思い、犯人を悪だと罵ることができます。
でもプーチンは、あれほど沢山の人を殺していながら、誰も逮捕できません。悪だとわかっても誰もどうしようもできないのです。
そんな時、誰もが「正義とは何か」「罪においての罰とは何か」と思い悩み、なかなか答えを出すことができません。それは仕方がないことだと思います。
ただ一つだけ言わせて下さい。誰も「正義とは何か」がわからないけれど、私はあなたが、間違いなく「正義と思いやりの心でコメントしているということが伝わってくる」と。
それはあなたの、日頃からの、誠実で思いやりあふれるコメントを読ませていただいているからでしょう。
トロッコ問題というのがあります。トロッコが走っている先の線路が二つに分かれていて、一方には五人の人がいて、もう一方には一人の人がいる。トロッコがそのまま走り続ければ5人の人が轢かれる。でも運転手がハンドルをきれば、五人は助かるが、一人の人が轢かれる。5人を助ける為、ハンドルをきり、一人を轢く事ができるかという究極の選択です。この問題をだす時「あなたが運転手ならどうする?」という言い方をします。「どちらが正義?」なんていう聞き方はしません。全員助けたいというのが、紛れもない正義であり、でもそれがかなわないという事実を皆知っているからです。
震災や戦争という、正義という言葉では言い切れない出来事に対し、正義ではなく「思いやりや誠実さ」で人を見た場合、間違いなく、月の桂様は、そういう方だと思います。少なくとも、私はそう感じています。
そして、松田さんをはじめ、ここに集う方々は皆、多少の考え方は違っても、そのようなお気持ちからコメントされておられると感じ、尊敬しています。