ちむどんどん「最後に笑う犯罪者」に唖然

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 NHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」を昨日に続き、18日も視聴した。反社会的集団が最終的に利益を得る展開、犯罪者の違法性を否定する親の存在というストーリーに、一体、誰が共感するのか。制作者の作品に対する論理性・倫理観ともに崩壊しているのではないかと思わされる展開になっている。

■詐欺会社からの返金はなし

連続テレビ小説「ちむどんどん」ツイッターアカウントから

 18日放送の第94回のあらすじは概ね以下の通り。

・暢子(黒島結菜)は沖縄料理店の開店資金のために用意した200万円を兄・賢秀(竜星涼)の詐欺会社に対する違約金と称する金額200万円を請求されたことで、そっくり渡した。

・賢秀は詐欺会社での暴力については、東洋新聞の田良島(山中崇)の力添えもあって逮捕を免れたものの、暢子の渡した200万円は戻ってくる可能性は低いと、平良(片岡鶴太郎)が説明する。

・暢子の200万円は、姉・良子(川口春奈)とその夫・石川博夫(山田裕貴)が海外旅行のために積み立てていた200万円を暢子に用立てることになった。

・回想シーン:賢秀は子供の頃、共同売店で仲間が万引きをする中、レジから小銭を盗み、店主の前田(山路和弘)に連れられ、家に戻る。父・賢三(大森南朋)は前田に土下座をして「次にこういうことをしたら、俺が刑務所に入る。すいませんでした」と謝罪する。また、賢秀に「お前は悪くない。悪いことしたけど、お前は悪い人間ではない」と抱きしめながら言う。

・暢子はフォンターナを退職にあたり、スタッフの前で挨拶する。

・最後の勤務の後、オーナーの大城(原田美枝子)と向き合ってワインを飲みながら話をし、二ツ橋(高嶋政伸)がつくったナポリタンを食べる。

 制作者も色々と考えてはいるのであろうが、現実離れした不可解な展開と言うしかない。開店資金の200万円については、結局、暢子の姉の良子が(おそらく無担保で)用立てることになった。海外旅行のためにコツコツと貯めた資金だけに、近いうちの海外旅行は不可能になったのは間違いない。

 そして、暢子の200万円は賢秀が参加していた詐欺会社に渡って暢子に戻ってくる可能性は低いということであるから、関係者の収支は以下のようになる。

良子:-200万円

暢子:-200万円+200万円=0円

賢秀:-200万円+200万円=0円

詐欺会社:+200万円

 最終的に詐欺会社が違約金200万円を手にし、良子がそれを負担することによって、その娘・晴海(三井絢月)が楽しみにしていた海外旅行が行けなくなってしまうという結末である。

■詐欺会社の行為は恐喝罪か

 「兄の危機を妹2人が救い、小学生の姪が泣き、犯罪者集団の詐欺会社が濡れ手で粟の200万円で高笑い」という結末を見て(ああ、良かった)と思う視聴者がいると考えて制作されているのか。検挙されなければ、倫理に反する形で金銭を手にすることは許されるというメッセージを視聴者に届けようとしているのか。理解に苦しむ脚本である。

 そもそも詐欺会社は捜査の手が迫っていて、検挙が近いということは暢子が200万円を渡す際に夫の和彦(宮沢氷魚)は分かっていたはず。そして、暢子が現金を渡す際には警察が介入している。賢秀が逮捕を免れたという平良の話から、警察は賢秀の詐欺会社での暴力を理由に呼ばれたと考えられる。そうであっても、詐欺会社の暴力団員風の男が賢秀を押さえつけ、暢子に賢秀の違約金の支払いを求め、現金200万円を交付させた行為の説明を受ければ、詐欺会社の行為は恐喝罪(刑法249条1項)に相当すると警察は判断するであろう。

 詐欺会社が賢秀に対して違約金の支払いを求めるのであれば、民事上の手続きを踏めばいいだけの話で、当該会社に何の債務を有しない暢子が支払う義務などない。それを賢秀を押さえつけた上に暴行を加え、債務のない暢子に賢秀の債務の履行を迫っているのであるから、刑事上の責任を問われるのは当然。

 詐欺会社は賢秀に対して違約金200万円の債権を有しており、その請求を行ったに過ぎないので違法ではないと制作者は考えたのかもしれないが、実際には以下のような判例がある。「他人に対して権利を有する者が、その権利を実行することは、その権利の範囲内であり且つその方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を超えない限り、何等違法の問題を生じないけれども、右の範囲程度を逸脱するときは違法となり、恐喝罪の成立することがあるものと解するを相当とする」(最高裁判決昭和27・5・20)。

 本件では賢秀に対する債権も公序良俗に反する法律行為として無効とされる可能性は十分にあり、仮に債権が無効ではないとしても、詐欺会社の暢子への債権は存在しない(暢子が連帯保証人などになっていないことが前提)。

■レジから現金窃取しても「悪くない」

写真はイメージ

 結局、こうした無理筋のストーリーを組み込んだのは、暢子が願う店舗の開店を前に一悶着起こして、それを家族(姉妹)が力を合わせて乗り越えたという結末にしたいためと思われる。そこにフォーカスしたので、犯罪者集団が高笑いする結末にすることにも抵抗を感じなかったのではないか。

 こうしたストーリーであるなら良子の娘・晴海が「どうしてハワイに行けなくなったの? おじさんが詐欺会社に騙されて取られたお金を、何でウチが負担しなければいけないの? 私、ハワイに行きたかった! 家族で行こうって言ったのに!」と大泣きし、一方で詐欺会社が「よし、違約金200万円取れたぞ。詐欺で逮捕される前に、この金で派手に歌舞伎町で遊ぶか、ワハハハ」と高笑いするシーンも見せてほしい。そして、そういうシーンが目に浮かぶから、視聴者は反発を覚えるのではないか。

 この日の放送では回想シーンで、父・賢三がレジから現金を盗んだ賢秀に「お前は悪くない」と、被害者のオーナーの前で言うシーンも考えられない。窃盗に及んだ子供に「悪くない」という親は反社会的な存在と言って差し支えなく、家族の繋がりの尊さを示すには不適切と感じる人は少なくないと思う。

■尺稼ぎのためのエピソードなのか

連続テレビ小説「ちむどんどん」ツイッターアカウントから

 こうした犯罪を助長させるような行為をあえて早朝のドラマで流すのは、「尺稼ぎ」なのかもしれない。つまり、暢子が沖縄料理店を開店するためにフォンターナを退職し、かなり無理をしてお金を集め、さあ、スタートという前に、これに関するアクシデントを月曜日から木曜日までの4日間で描いたことになる。

 もし、賢秀が詐欺会社とトラブルを起こさなければ、この4日間の話は全く不要。そうなると暢子は今週中にも開店しなければならなくなり、9月予定の最終回まで話がもたなくなってしまう。

 そのため「資金を用意→支払い」の過程に、資金を用意→(賢秀絡みのトラブル)→(家族の助け合いで解決)→支払いと、理解に苦しむような話を挿入したのではないか。一言で申せば「不要エピソードを挟み込んでの尺稼ぎ」。開店のために支払いは必要なので結論は動かせないため、倫理観が欠落してもいいから結論が動かない種のエピソードを挿入したと想像される。

 受信料を徴収しながら、このレベルのドラマしか放送できないNHKに対し、拭い去ることのできない不信感が芽生え始めているのは僕だけではないと思う。

    "ちむどんどん「最後に笑う犯罪者」に唖然"に8件のコメントがあります

    1. 朱実 より:

      鋭いご指摘ですね。
      朝の連続ドラマは、多少演技その他が未熟であっても、純粋に楽しめる内容であって欲しいですね。

      金融機関で働いている者として言わせて貰うと、詐欺師が悪なのは当然としても、いくら身内の為とはいえ、何の義務もないのにホイホイお金を払ってしまう人にも、かなり問題はあると感じます。

      そのように安易に支払いに応じる人がいるから詐欺も減らないわけで、本当に義務のあるものかどうか確認もせずに提供する主人公一同のドラマを見て、これでは
      「兄を助ける物語」
      というよりも
      「詐欺師に協力して、また新たな被害者を作るお手伝いを描いた物語」
      と感じた方も多いのではないでしょうか。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

         債務がないのに払うのは、結局、新たな被害者を誕生させることにもなりますから、反社会的行為につながる行為と言えるかもしれません。社会に対する責任ということを考えて行動することが我々には求められており、そうすることが社会で生きる人の務めでもある、ということでしょうか。おっしゃること、ごもっともと感じます。

         コメントをありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

    2. 通りすがり より:

      原作者は羽原大介氏のようですね。
      これまでの作品歴や受賞歴等を見ても、こんな不自然な原作や脚本を書くような人間には見えないんですけどね。
      まぁ日本アカデミー賞のプライズがナンボのもんかと言われたらそれまででしょうが。
      朝ドラでは以前「マッサン」も手掛けたとのこと。
      羽原氏に変節するような事情があったのか、それとも他に台無しにした戦犯がいるのか分かりませんがね。
      今年4月に新しい劇団ユニットを作ったとかなんとか。舞台劇系の人々には色々変な人もおられますし(なんとかオリザとか)、そこら辺に変節の事情でもあるのかしらん?

    3. BADチューニング より:

      元々、いわゆる“元ネタ”(≒原作)がない所に、
      「“沖縄日本復帰50周年”だから、“何か”やって」と“枠”だけ作って来ちゃったからこうなった。

      ※同じNHKの“沖縄もの”なら、HPでやっていた『マンガで学ぶ戦争体験』の中の、『武蔵小山の中村さん一家』(作者:沖縄在住の新里堅進 /しんざとけんしん 先生 / なので沖縄戦の描写がある)の方がよほど面白く為になった。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

         しっかりとした原作がないがための駄作という指摘は当たっているのかもしれません。

         沖縄の本土復帰50年という枠ありきも、その通りなのでしょう。炎上商法のような視聴率の取り方、受信料を徴収している放送局のやることではないと感じます。

    4. 向日葵 より:

      〉賢秀に「お前は悪くない。悪いことしたけど、お前は悪い人間ではない」と抱きしめながら言う。

      このシーン、見ました。
      え?何言ってるの?と思いました。悪いことしたけど~以降の内容は、まぁいいとしても、お前は悪くないと最初に言う親がいますかね?
      この番組は不快なので主題歌が流れるとテレビを消すことが多いのですが、たまたま耳に入った台詞に反応し視聴してしまいました。
      厨房に立つのに髪を帽子からはみ出させ平気で調理する感性、何年経っても職場で方言丸出し、万事思いつきで動くヒロインにはウンザリです。
      極めつけは、出産や子育てを軽視しているような最近の言動。親になる自覚も責任も無さ過ぎ。私の中では史上最悪だったおかえりモネを上回る劣悪な脚本。個人的には朝ドラも紅白も不要です。早く終わって欲しい!!

    5. NHKさっさとぶっ壊せ より:

      公共放送は必要とは思うが(特に災害時)
      その局がドラマやら歌番組やらバラエティーやら作る必要全くない。
      世間の常識から外れた超高給もむさぼってるただの金儲け局はぶっ潰していい。

    6. 野崎 より:

      ドラマは見ていません。

      勧善懲悪でないのはおかしい、最後に悪が笑う、それはおかしい。ということはないと考えます。

      映画、演劇、小説は虚構と言う方法を用いるが故に現実に内包されているもの、実相を浮かび上がらせることができるとか何とか、

      又虚構の作りて、送りてと受け手の関係性、受け手が子供ではわからないこと、その物語が悲劇か喜劇かは主観による、いや喜劇より悲劇の方が作るのは簡単だ、それは何故か?とか色々ありますね、今回は虚構の作りての力量の問題か、あまりにも現実離れしていた?

      コメントにある。
      〉賢秀に「お前は悪くない。悪いことしたけど、お前は悪い人間ではない」と抱きしめながら言う。

      う~ん何となく何を訴えたかったのかわかる気もします。
      通念として自分の子供がレジから金を盗んだ、それを叱らない親はいない、常識、、
      しかもレジの持ち主の目の前で、、
      それをあえてお前は悪くないと抱きしめる、その表現、、

      親として、そこへ子供を追い込んだ負い目故? 物語がわからないのでなんとも、

      論語に父は子のために隠し、子は父のために隠す、とありますね。
      親が犯罪を犯した時、親を売るか? 子が犯罪を犯した時、子を売るか?
      孔子は売らないのが正しいとしました。

      キリスト教の聖書に愛とはいかなるものかを説明した箇所があります。
      これをクリスチャン作家の曽野綾子氏が、目に見えぬ愛というものをこれほど見事に表現諮文言はないと評されていました。
      それはその文言をギリシャ語の意味合いから説明したもので愛には何物をも包み込む、悪をも包み込むという意味があると、

      ビクトルユーゴーの小説、ああ無情、
      主人公ジャンバルジャンは出獄してその日、一夜の宿を与えてくれた教会から金の燭台を盗み、翌日警官に見とがめられ、あわや牢獄へ舞い戻るかと、しかし神父は、いえいえ、その燭台はこの人にプレゼントしたのですよ、と、

      それはジャンバルジャンの肺腑を突く、

      レジから金を盗んだ自分の子供、それへ至る理由はわからない(ドラマを見ていない)
      だが親として、そんなことをした子供でも自分だけは味方だ、人には弱さがあるのだ、
      何かこの子は敗けてしまった、いや、そも人は皆そういうものだ、自分もそうだ、息子よ、言葉にはできないが思わず抱きしめる、、

      子はそれで何を感じるか、、これからも盗みをしてよいのだと、、そうドラマを見ている者は思うか?
      子供の心を例え虚構とは言えどう見るか?

      何かその様な善と悪との二元論ではないせめぎあい、そのような意味合いを訴えたかったのかなと、、で、結果ドラマの出来が悪かった、、

      このシーン見て見たいと思いました、物語の流れを把握していなと、ですけれど

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