「高齢者は集団自決」たかまつなな氏への違和感

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 イエール大学助教授の成田悠輔氏(38)が「高齢者は集団自決すれば良い」と発言した件について、1月12日、芸人のたかまつなな氏(29)が独自の見解を披露した。成田氏の発言を批判しながらも、表現の仕方に帰結させる内容。重大な人権侵害の事例という意識が感じられず、事案を矮小化させる有識者が、看過することができない発言を生む土壌になっているのではないか。

■集団自決を言い出し笑い出す共演者

たかまつ氏(たかまつななチャンネル画面から)

 成田氏は「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という趣旨の発言をツイッターやYouTube上で行っている。2021年12月のABEMA出演時に過疎化、限界集落の問題を論じた際に「僕は唯一の解決策は、はっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹しかないんじゃないかって」と断言した。

 他の出演者から笑いが起きると「いやいや、これは結構、大真面目で、やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけではなくても良くて、社会的な切腹でも良くて…」と話した(ABEMA 変わる報道番組・【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化より無人化の方がマシ」少子化&人口減少前提で考える日本の未来、2023年1月12日閲覧)。

 さらに昨年2月には堀江貴文氏のYouTubeチャンネルでも、同様の趣旨の話をしている(堀江貴文 ホリエモン・【成田悠輔×堀江貴文】高齢者は老害化する前に集団切腹すればいい?成田氏の衝撃発言の真意とは、2023年1月12日閲覧)。

 これがツイッターなどで話題になり、1月12日にたかまつなな氏が自分が運営するYouTubeチャンネルで見解を語った。主な発言を紹介する。

「要は世代交代をもっと起こした方がいいから、そのためには高齢者の人が勇退する必要があってというのを、言葉として集団自決という言葉を使ったんですけども、私としてはこれは、社会運動として適切ではないというふうに思うので、やめた方がいいなと思って動画にしました。」

「集団自決って言葉は本当に良くないですよ。集団自決は、日本も第二次世界大戦で沖縄で地上戦が行われて、そこで多くの人がですね、アメリカにつかまるぐらいだったら、敵の捕虜になるぐらいだったらっていって、手榴弾を使って自ら命を絶たれたというような歴史もあります。このような歴史も踏まえてですね、集団自決って言葉を使うってのは本当に良くないと思います。」

「何でご老人たちだけ、その席に居座るんだ、と。世代交代を起こさないといけない、ということで、ちょっと強いワードで集団自決って言葉を使われたんですね。集団自決って言葉は本当に良くないですけども。世代交代を起こせばいいというのはおっしゃる通りですよね。日本が全然イノベーションが起きないのは世代交代が起こってないからだと思いますよ。」

「成田さんも、『若者もっと頑張れ』とか、そういう言い方にしたりとか、『あなたもう歳だから引退すべきですよ』ていうことじゃなくて、たとえば、『優待していくのがカッコいいとか』『そういう文化に変えていかなければいけないんじゃないかな』とか。(集団自決など)そういうワードを聞くと猛烈に怒る人がいる。シルバー民主主義でさえ猛烈に怒る人がいるということなんですね。私は前向きな言葉で(語るべきと思う)、(成田氏の)アプローチが違うんじゃないかなと思います。」(同)としている。

(以上、たかまつななチャンネル・【集団自決発言】成田悠輔さん、間違ってません?敵を作らない社会運動とは?「高齢者は集団自決すれば良い」発言を真剣に考える、2023年1月12日閲覧)

■たかまつなな氏の発言に違和感

 ①~④には、非常に違和感を覚える。その違和感は、集団自決という表現が適切ではないとする(①)が、それは沖縄戦での悲惨な歴史的事実を引き合いに出すのは適切ではないとのみ評価している(②)ように聞こえる点にある。また、不適切な言葉を「ちょっと強いワード」(③)、「前向きな言葉で、アプローチが違う」(④)と、多少、行き過ぎたり、方向性を間違えた表現程度の問題に矮小化している点も同様である。

 集団自決というワードを使うことが沖縄戦で望まないまま命を落とした人、その遺族に対する冒瀆ではないかという点は小さくない問題ではあるが、成田氏は集団切腹というワードも使用しており、沖縄戦だけを引き合いに出しているわけではない。それより、沖縄戦の前に、今、「死んでくれ」と言われたに等しい高齢者に対する失礼を指摘するのが通常の感覚と思うが、その点は単なる言い方のミスという扱いのため、二の次、三の次になってしまっているように思える。

 極めて抽象化して表現すると、食べ過ぎて太めになった女性に「(かつての横綱の)北の湖のようだね」と言った男に対して「亡くなった元横綱をこういう時に引き合いに出すのは不適切」と言うようなもので、北の湖に失礼というより、目の前の女性に対して失礼と言うのが先であろうという話である。

■成田氏発言は心にもないことなのか

表(1)(作成・松田隆)

 もう1つ問題なのは、たかまつなな氏が、成田氏の発言は心にもないことを言っているという前提で話をしているように聞こえることである。換言すれば「表現の問題に矮小化している」ということ。

 ここで「表(1)さまざまな人のタイプ」を見ていただきたい。社会の人々を(A)から(E)までの5種類に分類した。この分類に含まれないタイプの人もいるが、あくまでも「主な分類」と思っていただきたい。

 まず、「社会に不必要な人は集団で死んでほしいと思う」人がいて、その通り「死んでほしい」と口にする人は(A)か(B)となる。実際に殺したのが(A)で、具体例として、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラー総統と、19人を殺害し死刑判決が確定した植松聖被告が挙げられる。

 成田氏は実際には殺していないであろうから(B)に分類される。もっとも、成田氏は実際には死んでほしいとは思っていないが、演出などを考え「死んでほしい」と口にした可能性があり、それだと(C)になる。思っても口にしない人が(D)で、思ってもいないし、口にも出さない人、それは社会のほとんどの人に当てはまると思うが、それが(E)である。

 つまり、この分類でいけば、成田氏は(B)か(C)となり、たかまつなな氏はおそらく(C)と判断し、表現の問題に止めているものと思われる。

 しかし、成田氏に(B)の可能性はないのか。内心で本当に「集団で死んでほしい」「死ねばさまざまな問題が解決される」と考えている可能性は十分にあるように思える。実際に成田氏は前述したように、発言の後の他の出演者の笑いに対して「いやいや、これは結構、大真面目で」としている。

 もし、本当に成田氏が集団自決してほしいと思っていたとしたらどうか。これは憲法19条の思想・良心の自由で保障された部分であるから、内心でどのように考えようが、それは国家から制約を受けるような問題ではなく、内心の自由は無制約である。また、仮にそれを口に出したとしても憲法21条1項の表現の自由の範囲内であり、法的問題は生じないと考えるのが通常の思考であろう。

 ただし、そのような考えを実行に移そうとする、そのような提案をするとなれば大問題。「社会全体の高齢化に伴い発生する経済等の問題を解決するために、高齢者の生命を軽んじることは許されない」と小学生でも分かる理屈を大真面目に言うしかない。そのような考え方は間違っている、民主主義国家では許されないと正面から批判すべき。

 最も大事なのは成田氏の思想がナチスドイツと同じ優生思想に基づくもので、命の価値に順番をつけ、役に立たない命は自ら消え去ってほしいという点、思想の内容にある。それを考えると表現の問題など小さいものでしかない。

■本気で考えていたらクレイジー

写真はイメージ

 僕には91歳の母がいる。認知症ではなく体も元気ではあるが、記憶はかなり悪くなっているし、動きも鈍い。年金生活をする母が今、社会に役に立っているかと言われたら特にそういうことはなく、「負担だけをかけている」と言われても仕方がない。そういう高齢者のいる家庭は少なくないと思う。

 しかし、そうした高齢者に向かって「さまざまな問題を解決するために集団で死んだ方がいい」と考え、口にするなど、まともな人間のすることではない。僕の母も聞けば悲しく感じるであろうし、実の母を(死んだ方が社会のため)と言われて怒りを感じない息子などいないと思う。

 成田氏は成人式で暴れる若者や教師に反抗することだけが生きがいの中学2年生ではない。もし、本気で考えていたらクレイジーである。そうしたクレイジーである可能性を検討することなく「あなたは心にもないことを言って、しかも言い過ぎ。言葉遣いには気をつけてね」と言う人がいれば、それはクレイジーな人を無理やり良い人にして庇おうとしていると評価されても仕方ない。たかまつなな氏はそれを望んでいるのか、それともビジネスに徹して「人と違うことを言わないと商売にならない」と考えて発言しているのか。

 どちらか分からないが、たかまつなな氏も成田氏もフランス人権宣言ぐらい読んだことがあると思う。その1条にはこうある。

 「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する。」(Les hommes naissent et demeurent libres et égaux en droits.)

 これを100回でも1000回でも読んで、自らの愚かさを感じてほしい。この種の識者の存在が成田氏を増長させていることを少しは認識してはいかがかと思う。

    "「高齢者は集団自決」たかまつなな氏への違和感"に3件のコメントがあります

    1. BADチューニング より:

      >成田悠輔氏

      『“老害”は自殺せよ』発言、現代の“姥捨山”とでも言いたいのかw

      •姥捨山:食い扶持を減らす為に、不生産人員となった老齢者を、山などに「捨てる」(=緩慢な殺人)

      姥捨山は、近世までは不幸な事に実際にあったのだろうが、現実的に『人骨が“大量”に出土』等の例は無く、飢饉など緊急時の本当に少ないものだったろう。

      成田氏は元々“左寄り”の、『TV映りが“映える”知識?人』でしかない、『老害=高齢の学者が自身の出世を邪魔してる』という成田氏の個人的な“怨念”の吐露に過ぎないww

    2. 匿名 より:

      高齢の親や祖父母が近くにいるかどうかで、高齢者に対する思いが全く違うと思う。

      自分の場合はいないから、高齢者の為に年金を払ったり税金の多くが社会保障に回ったりするのはイヤだなと思う。こんな事顔を隠して匿名だから言える事で、顔も名前も出してる人が
      高齢者は集団自決した方が良い
      なんて言えるのはある意味凄い。

      命の重さは平等だけど、健康な老人と寝たきりの老人は 掛かる税金の量が違う。
      高齢者は全員自決しろ!じゃなくて、まずは「日本の延命治療(胃ろう)の考えを変える」が現実的な改革案かなと。

    3. 手下 より:

      たかまつなな氏は余命投票制度などを推奨している。高齢になればなるほど、1票の価値を下げるという民主的とは到底思えない、まるでナチが考えそうな事を悪ブレることもなく訴えている。この時点でしれているが、そんなたかまつ氏は現在、年金部会員となっている。高齢者の社会保障をいかに抑えるかに躍起になっている。また、新聞社も何故かたかまつ氏を起用して記事を書かせているが、何をどう考えても彼女を評価する理由が全くわからない。

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