条例案反対者をヘイトと断定 毎日新聞の暴走

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 東京都武蔵野市議会は21日、住民投票条例案を反対多数で否決した。外国人にも投票権を認める条例案は同市を二分する騒ぎとなったが、毎日新聞は反対派の演説のいくつかを「ヘイトスピーチ」と断定する記事を掲載。ヘイトスピーチ問題に取り組む弁護士の言を借り、住民投票の投票権を認めないことを外国人排斥と断じ、反対の意思表示は全てヘイトスピーチであるかのように刷り込むための記事に思える。

■師岡弁護士「ヘイトスピーチにあたります」

師岡康子弁護士(毎日動画の画面から)

 繁華街の吉祥寺で有名な武蔵野市の住民投票条例案は住民登録から3か月以上の18歳以上なら国籍を問わずに投票権を付与するという内容。

 松下市長は「多様性を認め合う町づくりを目指している。外国籍の人もコミュニティーの一員だ」と説明したが、一方で「投票結果が実質的に行政の拘束力を生むことについて、市から納得のある説明がなかった」「市民の理解が不十分」「排除や区別でなく、外国人投票権には一定の要件が必要」という反対の声が上がっていた。

 21日の採決では、自民・公明などの保守的なグループが反対し14票だったのに対し、立憲民主党系らの賛成は11票にとどまり、否決された。

 毎日新聞の問題の記事は同紙サイトの「毎日動画」内にある「ヘイトスピーチに襲われた街 住民投票条例案がきっかけ 東京・武蔵野市」。市議会の採決の1日前、12月20日に公開されている。ここで武蔵野市の住民投票条例案をめぐって市内で対立が生じ、ヘイトスピーチが行われたという内容。記事には後藤由耶麻記者の署名がある。

 ヘイトスピーチ問題に取り組む師岡康子弁護士(東京弁護士会)が、演説する人々の動画を見てヘイトスピーチと断定しているシーンを紹介する。

★男性の演説者①「国籍を有しない外国人に何で投票権だの選挙権だの、参政権を認める必要があるんだよ。外国人による侵略ですよ。」

★師岡弁護士「これは全く根拠がなく外国籍の人たちを敵視して、悪者扱いしていて、外国人を社会から排除しようとするものなので、これはヘイトスピーチ解消法2条のヘイトスピーチにあたります。」

★男性の演説者②「在留外国人が日本には100万人おります。中国共産党の命令によって人民解放軍の兵士になるんです。そして日本人を虐殺しまくる。(別のシーンに切り替わった後で)ここのコンビニ、必ず中国人がおります。」

★師岡弁護士「ヘイトスピーチが危険なのは差別を蔓延させて、そのターゲットになった人たちに対して、暴力を結びつける、暴力を煽るものなので、そこがとりわけて危険なんですが、これだと具体的な標的まで指しているわけですね。ここに今いるあの人が中国人で、あの人が危ないと。あの人は敵だと言って、攻撃を煽っているので大変危険なヘイトスピーチ解消法2条に当たるヘイトスピーチです。」

■ヘイトスピーチ解消法は理念法

多様な社会は結構ですが…

 師岡氏も弁護士ならお分かりだろうが、ヘイトスピーチ解消法はいわゆる理念法であり、罰則規定はない。川崎市のように条例で罰則を定めている自治体もあるが、武蔵野市はそのような条例は制定されていないと聞くし、松下市長も今後、その制定を検討する趣旨の発言をしている。

 つまり、現時点で武蔵野市でヘイトスピーチをしたとしても、ヘイトスピーチ自体で刑事責任を問われることはない(暴行などの教唆として責任に問われる可能性はあるが、それはヘイトスピーチ解消法ができる以前でも変わりはない)。

 逆にスピーチの内容を一方的に解釈し「ヘイト」と決めつけ、大声で演説を妨害するなどして表現者を萎縮させることの方が問題。そうした行為は憲法21条1項が保障する表現の自由への侵害、制約となりかねない。

 もし、仮にそうしたスピーチが倫理的に許し難いと考えたしても、上記の2つのスピーチがヘイトスピーチと言えるか疑わしい。まず、師岡氏が根拠とするヘイトスピーチ解消法2条を示す。

【本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)】

2条:この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。

■憲法は定住外国人の参政権保障せず

 条文から、ここからはヘイトと明確な一線が引けるほど単純なものではないが、外国人を「地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」とはどのようなものか、法務省がHPで3つの具体例を示している。

(1)特定の民族や国籍の人々を,合理的な理由なく,一律に排除・排斥することをあおり立てるもの (「○○人は出て行け」,「祖国へ帰れ」など)

(2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの (「○○人は殺せ」「○○人は海に投げ込め」など)

(3)特定の国や地域の出身である人を,著しく見下すような内容のもの (特定の国の出身者を,差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)

(以上、法務省HP ヘイトスピーチ、許さない から)

 ここで男性の演説者①は外国人に参政権(住民投票の投票権と選挙権を挙げている)を与えるべきではないという主張をしており、師岡弁護士は(1)に該当すると考えたようである。しかし、演説者①は「(全ての)外国人に参政権を与えるべきではない」としているのであり、「特定の民族や国籍の人々」を対象としていないので、法務省の解釈からはヘイトスピーチには該当しないと思われる。

 何より「参政権を与えるな」という主張は排除・排斥とは異なる。合法的に日本で暮らす特定の外国人に(そこに住むのは問題ないが、参政権は与えるべきではない)と言っているに過ぎず、出ていけなど排除・排斥を求めるものではない。

 師岡弁護士の考えに従えば、現在、外国人に参政権を与えていない自治体は全て差別的な扱いをしていることになる。そもそも、定住外国人の地方参政権は憲法上保障されていない(最高裁判決平成7年2月28日ほか)。最高裁のお墨付きの主張をしてヘイトスピーチ扱い、師岡弁護士は最高裁が差別を扇動しているとでも言いたいのか。

■発言の前後を切って「ヘイトスピーチです」

 男性の演説者②についても、ヘイトと断定しているが、動画内では前後を切られて「ここのコンビニ、必ず中国人がおります。」という言葉しか聞くことができず、演説者がどのような趣旨で話したかは分からない。

 もしかすると前後を加えると(現在、多くの中国人が日本にいて、身近なところでは、ここのコンビニには必ずいます、それほど中国人は多く入っていて、住民投票の際には国防上問題のある意思表示がされるかもしれません)というものだったかもしれない。

 そうした前後の発言は全く示されず、師岡弁護士は「攻撃を煽っているので大変危険なヘイトスピーチ解消法2条に当たるヘイトスピーチです」と断定している。断定する根拠を示さずに断定する映像を見せて、毎日新聞は読者に理解してもらえると思っているのか、不思議に思う。

 さらに、ヘイトスピーチではないスピーカーに対しても差別主義者というレッテルを貼る。

★師岡弁護士「直接差別的な発言がないにしても、その周りで差別的なレイシストたちの団体が先ほどのような発言をしているの自体を批判しない。むしろそこと(条例反対との主張が)一体となってしまっているということ自体から、やはり差別を受けている人たちからすれば一体としての差別の扇動がなされているというふうに見えると思います。」

 師岡弁護士にレイシストとレッテル貼りをされた人たちの近くで、その発言を批判しないと、その人は差別の扇動をしているように見られる、と言っているようである。自分と政治的に異なる立場に立つ人を「レイシスト」と決めつける姿勢こそ、問題であると思う。

 武蔵野市で条例案に反対する演説をした自民党の和田政宗参院議員、長島昭久衆院議員らに(あなたたちは差別の扇動をしていると思われているよ)と言いたいのかもしれない。武蔵野市の条例案に反対する演説をしただけで差別の扇動と決めつけられては、まともな政治的主張などできなくなる。

■松下市長 政治家なら堂々と主張を

条例案否決後、会見した松下玲子市長(ANN newsCH画面から )

 毎日新聞の動画記事は、こうした師岡弁護士の発言を延々と流し、登場する一般市民は全てヘイトスピーチをやめてほしいと口にする人ばかり。記事ではなく、プロパガンダと見間違うほどである。

 本来、問題の条例案は、外国人の住民投票の投票権を認めるか否かという、憲法上も大きな問題となった点をダイレクトに問うものである。憲法上、決着はついているのだが、武蔵野市の状況や市民の考えを総合して、武蔵野市なりの答えを出すことが求められている。それが地方自治の本来の姿である。

 有意義な論戦は大いに結構。しかし、松下玲子市長や毎日新聞の論調を見ると、条例案賛成ありき、反対派は差別主義者でヘイトスピーチをしているとレッテル貼りをしているのではないか。

 松下玲子市長が政治家として当該条例が必要であると信じているなら、堂々と主張し、市民に広く周知させ、幅広い議論をした上で市議会に判断を委ねればいい。それを、ほとんど周知のための活動をしないまま推し進め、反対派の中にヘイトスピーチをしているように見える者がいることを強調して、「反対派=レイシスト」と決めつけ、自己の正当性だけを主張している。それを毎日新聞が煽り、報道ではなく、政治活動のような動画記事を公開する。

 何と不毛な負の連鎖か。彼らに求めるのは憲法21条1項の表現の自由、92条から95条の地方自治について、暗記するまで読めということである。

    "条例案反対者をヘイトと断定 毎日新聞の暴走"に3件のコメントがあります

    1. 野崎 より:

      こちらでファシスト共!を連呼している団塊の世代の爺です。

      ファシスト、すなわち自由社会、普遍的価値観を破壊せんとする奴バラ、その破壊工作に関してコメントして来ました。(頭のおかしな爺だと思われていたかと)
      その戦略戦術に関しても、互いに呼応し合い行う多面波状攻撃、事実、今般、神奈川新聞の石橋記者とその仲間達が現れた。

      毎日新聞の記事は神奈川新聞と同じく、ヘイトという言葉を使うことで印象操作、ルールオブニューマ、空気の支配を形成するためのプロパガンダでしょう、これは有効性を持つ。事実条例化されるに至った。

      又一点突破の全面展開は70年代左翼の常套句でありその戦術は今に継承されている、武蔵野市は正にその一点を突破されるところであった。

      ジャーナリスト山口敬之氏が今回の武蔵野市の問題に対し極めて深く切り込んだ情報を発信している、つまり問題の背景にあるものに関してだ。私が連呼するファシスト共も決して的外れでは無い、ない~!
      山口氏の主張を是非ユーチューブでご覧いただきたい。

      ●山口敬之】なぜ「武蔵野市」でこんなことが起こったのか?松下市長・活動家・菅直人…その他諸々、点と点が繋がった…。武蔵野発「国家解体計画」…
      ↓↓↓
      山口氏は現地で石橋記者と悶着を起こしたと、無論仕掛けたのは石橋記者だ。山口氏は石橋、石橋と呼び捨て、そ~と~頭に来ていることがうかがえる。

      山口氏は神奈川新聞に公開質問状を送付したと又今般の問題を含め菅直人氏が再選を続ける武蔵野市の特殊性、その深層をこれより取材するとの事。記事を期待したい。

      動画の内容を以下に要約します。↓

      故松下圭一(法政大学名誉教授)という頭のおかしな学者がいて(山口氏の弁)小選挙区をそれぞれ独立国家にする、そして連邦国家を形成する、天皇制、自衛隊を解体すると、その主張を信奉していたのが菅直人だ。
      松下氏の書籍を枕にして寝ていたと公言していたくらいだ。
      その仲間が松下市長だ。今般の条例はその為のものだ。
      松下圭一(法政大学名誉教授)は武蔵野の父と呼ばれていた。菅直人が何故か連続当選する武蔵野市の深層を調査する。
      上記、ほぼ正確な要約かと。

      山口氏の今般の問題に対する切り込み、そのジャーナリストとしての才覚を評価したい。

      松下圭一は知っていたがその主張は知らなかった。
      松下圭一の主張は思想などといえるものではない、ファシストの破壊願望に過ぎない。

      姜尚中氏が暴力をもってする反グローバリズム運動(ファシスト共)に対してまだ体系化された思想はない。と述べていた。
      ある訳はない。先の米国大統領選における反トランプ派に同じくだ、その暴力性も。

      ファシスト共に思想などない。表面何らかの思想性を有しているかのようであるが、その本質は自由社会への破壊願望だ。
      共産主義思想というが共産主義にも思想などない。

      元慶應義塾学長、故小泉信三氏の言葉、共産主義とは組織化された嫉妬である。
      共産主義の本質を見事に看破した言葉であり(見事は私の評価)その本質が破壊であることを暗示している。

      嫉妬であるか否か、何故わかるのか? 今や立派に科学として確立されている心理学を応用するまでもなく、それは奴バラの二重規範でわかる。

      6~70年代の焼結を極めた学生性運動、極左の活動も表面思想を口にしてはいたが、それは仮面にすぎなかった、それはその暴力性、卑劣さ、二重規範から明確にわかる。

      奴ばらは平然と虚偽、情報を捏造する、武蔵野市、松下市長の偽善、隠ぺい工作を見よ。
      そしてこの毎日新聞の記事だ。

      ご返信は不要です。

    2. 野崎 より:

      いつもながらえらそ~に以下。

      思想とは何でありましょうか? 究極、存在論であると考えます。
      人が生きるとは何か、いかに生きるか、それを問い追い求める思考、導き出されるもの。

      岸田首相が新資本主義と主張している。思想性は無い。
      共産党,志位氏が資本主義の後には共産主義が来ると教科書どおりの教条主義のアホな主張をしている。同じく思想などない。

      共に単にシステムのことだ。

      NHKの大河ドラマの主人公、渋沢栄一に、論語とそろばん、がある。
      これは、ウェーバーのプロテスタントリズムと資本主義の精神に基本同じだ。
      神の啓示あってこそ資本主義は上手く回転すると。
      いかに生きるか、まさしく思想である。

      米国の共産化をくいとどめているのはキリスト教信仰であるとコメントした。
      日本においては天皇の存在であると。
      大紀元エポックタイムスが先の大統領選挙を、キリスト教とサタンとの闘いと記事にしたのは正鵠を射抜いている。ファシズムは究極サタニズムなのだ。

      米国人が共産主義になじまない要素の一つとして社会に富を自発的に還元する、寄付をする特質があるからとの指摘があった、誰の指摘かは忘れたが識者である。
      それも莫大な寄付をする。

      AmazonのCEOの別れた妻が数千億の寄付をした、自己顕示欲もあるであろうがいずれにせよ莫大な寄付をした。米国の富豪は莫大な寄付をする、それも米国内に止まらず。

      偶然にもNHKでこのことが放送された。12月7日 未来スイッチ、さりげない寄付
      米国人と日本人の社会に対する寄付は10倍以上の差があると、その統計は専門機関により成された。

      プロテスタントリズムと資本主義の精神。 (論語とそろばんは未読です。)

      勤労、勤勉、質素を旨とする、得た富を社会へ還元する。
      クリスチャンの収入の十分の一献金は聖書の教えにあり、米国人の寄付に対する価値観はこれに根差すと考えます。

      NHKで放送された、さりげない寄付とはシステム化された寄付の事であり、このシステムを動かすものはこのシステムにより利得を得る。まった~く違う。

      前にもコメントしましたが、自由社会、近代国家を形成した価値観はキリスト教によると。
      さらに社会学者、故小室直樹氏の指摘として。
      キリスト教の契約の概念がなければ近代国家は成立しなかったと、この点は気が付きませんでした。

      共産主義は宗教を認めません、それは彼らの理論、唯物論故ではなく又宗教が共産主義にとってかわる権威となる恐れがあるからでもなく。
      キリスト教の価値感では共産主義は成立しないからです。
      その一つとして私有財産はキリスト教の価値感による。
      も一つ、全体主義が否定する基本的人権もキリスト教の価値感によるからです。

      えらそ~ 

    3. 野崎 より:

      こんばんは
      毎日が日曜日の爺さんの長々としたコメントにも一つ加えさせて頂きたく思います。

      先にえらそうにコメントした存在論としての思想、すなわち生き方に関して、
      NHKの朝ドラ、カムカムエブリバディで世良公則さんが歌うシーン、素晴らしかったです、歌のみならずその演出も。
      ユーチューブにアップされていますが感動したとの賞賛の声が多く見られます。

      ●[カムカムエヴリバディ] 世良公則「On the Sunny Side of the Street」歌唱シーン【ネタバレ注意】| 朝ドラ | NHK

      歌詞を見るとやはりキリスト教国、アメリカを思ってしまいます。 調べて見るとこの曲が作られたのは1930年代、大恐慌による苦境からの思い、その心の拠り所を歌い上げている歌だと思います。
      30年代、まだリベラリズムが台頭していない米国。 キリスト教信仰が社会に根差していた時代。
      人一人の、一個人の思いではこの歌詞にある思い、その心には至れないと思います。
      先にコメントした、正に人としての生き方、その思い、思想性を表した歌だと思います。

      今宵はクリスマスイヴ
      私はクリスチャンスクールに学びました。歌詞の一部を私なりに、聖書的に解釈して見たいと思います。
      ★特に圧巻は大恐慌の苦境のただ中にあり、しかしながら信仰により至高至福にある、その心の吐露を、
      世良さんがお札を数える表現をもってして歌い表わすわす、その思いを歌い上げるシーン、表現者の表現というものに改めて感動し目が潤みました。

      If I never had a cent. I’d be rich as Rockr Feller.
      お金持ちをあえてロックフェラーとしていることに当時の状況の米国人ならでは感覚があるのでしょうね。

      以下順不同
      Grab your coat and get your hat
      Leave your worries on the doorstep
      Life can be so sweet
      On the sunny side of the stre
      苦悩を神に委ねあずけよう、そして神の道へと歩みだそう。
      神の光りに照らされた道をあるけば人生はこんなに楽しくなるんだ。

      I used to walk in the shade with my blues on parade
      But I’m not afraid…this rover’s crossed over
      この世の闇を彷徨っていたけれど、神を信じたから もう怖いものなんてない、ああ、われ弱くとも恐れはあらじ。
      ★If I never had a cent. I’d be rich as Rockr Feller.
      お金はもっていないけれど僕は大富豪並みにリッチだよ。→ 神よりこの世の富を超え、富では得られぬ至宝を与えられたのだ。
      ★ コリント人への手紙 第二 6章10節(詩篇45篇) (私たちは)悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

      Gold dust at my feet
      On the sunny side of the street
      足元に金の砂粒があるんだもの → 神の道を歩むことこそが人としての幸、至高の歩み喜びなのだ。
      Just the life can be、On the sunny side of the street.
      人生は光り輝く道となるんだ。

      ◆その道はどこへ続くのか、、
      ★ピりピ3章13節、使徒パウロの言葉が思い浮かびます。
      うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト。イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

      長年続く作家と読者の関係は面白いものがありますね、同じことを作家の立場から述べていた作家もいました。
      若いころから石原慎太郎氏を読み続けてきました、最近、まもなくおとずれる死を目前にした石原氏の書籍を読みました。
      よくコメントした、石原氏と同期に直木賞を受賞した、株の神様、お金儲けの神様こと故邱永漢氏も若いころから読み続けました。そして、中国での事業展開のさなか、己の死を視野に入れた老境時の邱氏の書籍を読み返しました。その他諸々の作家をも、

      愛読した作家達、真の老境に達した作家の皆さんたちの思いは、
      尾形乾山の、
      憂き事も嬉しき折も過ぎぬれば、ただ明け暮れの夢ばかりなる、という思いでしょうか、そしてやがておとずれる死を人の思いで思っている、その時間、、

      使途パウロが目指す目標とは、
      ★その目標とは、この世には無く、この世を去って後にあることを神を信じる者には見えている、目には見えなかったものが見えていると。

      メリー クリスマス

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