見えてこない導入の必要性 分娩費用の保険適用化
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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「妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会」(厚生労働省保険局)は5回の会合を重ねたが、分娩費用の保険適用化の必要性は見えてこない。参考人の弁護士の発言が印象的だった最新の検討会だが、保険適用化が少なくとも議論の上では実現しなければならないとする理由が明らかではないように感じられる。
◾️第1回検討会での確認事項
最新の検討会で「産科は医療安全にかなり前のめっていすぎる」「原理主義的になりすぎないように」等の発言をした参考人の井上清成弁護士は、ヒアリングに対して保険適用化推進の意見を述べている。その際のキーワードの1つが「標準化」であった。
同弁護士の言う標準化とは「『標準』(ルールや規則・規制などの取り決め)を意識的に作って利用する活動のこと」と説明された(当サイト・検討会で弁護士暴論「産科医は医療安全に前のめり」)。
この点に対して「保険適用化は少子化対策のためではなかったのか」と疑問を感じる向きもあるかもしれないので、念のため説明しておく。
そもそも保険適用化は菅義偉内閣の時に出た話で、財務省の発案と言われている。岸田内閣で2023年12月22日に閣議決定された「こども未来戦略」は「少子化は、我が国が直面する、最大の危機である」とし、少子化対策の加速化プランとしてさまざまな政策を打ち出した。その中の1つに「出産等の経済的負担の軽減」がある。出産育児一時金の大幅な引上げ及び「低所得の妊婦に対する初回の産科受診料の費用助成を着実に実施するとともに、出産費用の見える化について来年度からの実施に向けた具体化を進め」、「その上でこれらの効果等の検証を行い、2026年度を目途に、出産費用(正常分娩)の保険適用の導入を含め、出産に関する支援等の更なる強化について検討を進める。」とされている(こども未来戦略方針 p13)。
このように保険適用化は少子化対策の中の出産等の経済的負担の軽減、出産に関する支援の中の強化策の1つと位置付けられている。「妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会」はそれを実現するために設置され、厚労省ではこども未来戦略の趣旨に沿って少子化対策を含めて総合的な妊産婦等への支援策の実現の中で保険適用化を考えようというスタンスをとっている。それは第1回の厚労省幹部の発言で確認されている。
伊原保険局長「検討のスコープとしましては、出産という一つのイベントだけではなくて、妊娠期から産後まで全体を見渡して、今後どのように妊産婦の支援を進めていったらいいか、その辺りを議論していく必要があると考えてございます。あわせまして、少子化の中で地域によっては産科の確保が難しいという声も出てきております。そうした中で、周産期医療提供体制の確保、こうしたことについても課題があるのではないかということで、医政局長にも今回御参加いただいて議論をすることになってございます。」
浅沼医政局長「…誰もが安心して子供を産み育てられるように、私どもといたしましては今後も持続可能な周産期医療体制の構築を目指しているところでございます。この検討会は、先ほど保険局長からも話がございました。出産費用の保険適用の導入と併せた形でありますけれども、妊娠、出産、産後、産前、こうしたものに関わる様々な支援等のさらなる強化の方向性について御検討をお願いすることとなります。」
(以上、第1回検討会議事録から)
◾️自由診療とパターナリズム
第4回検討会の中で健康保険組合連合会(宮永俊一会長)の佐野雅宏会長代理は、保険適用化が出生数の増加に影響するかを問われ「現時点で直接に出生数に影響するのかどうかはよく分かりません。…現時点で出産費用の保険化が出生数にプラスになるかと言うと、そこについては何とも言えないと思います。」と答えている(第4回検討会議事録、当サイト・少子化対策の効果「分からない」分娩費用保険化迷走)。
井上弁護士の言う「標準化」と保険適用化推進の意見は、上述した厚労省のスタンスの中で考える必要がある。即ち、少子化にプラスにならないとしても、それ以外に保険適用化を推し進める理由はある、という立ち位置から説明されていると考えていい。
とはいえ、「多様な市場ニーズに対応した新たな標準化戦略の一環として…『正常分娩の保険適用』(現物給付化)制度を創設」という理論は分かりにくい。標準化は「『画一化』ということではない。同様の疾病や負傷(や出産)に対して複数の『標準的な現物給付』を設定して、『多様化のニーズ』に応じるもの」であるとし、「往々にして自由診療の名の下に押し付けられることのある『画一的な給付』『危険な給付』『高額な給付』とは正反対である」とする。
さらに「(現行の)自由診療一辺倒は、産科医療機関が現代女性に多くの選択肢を提供することを怠り、結果としてパターナリズム(いわゆる『決め打ち』)に陥りやすい弊害を有している。現代女性(妊産婦)としては、実際には自由診療一辺倒にむしろ不自由さを感じがちであろう。」とする(以上、同弁護士提出資料・出産費用の保険適用に関する法的論点の整理について)。
現在の自由診療(保険非適用)はパターナリズムに陥りやすく、妊産婦の選択の自由を奪っていると主張しているのである。パターナリズムとは「公権力が後見的見地から制約を加えようとすること」(基本講義憲法初版 市川正人 新世社 p68)と説明される。極めて抽象的に表現すれば「君のためになるから、黙って私の言うとおりにしておきなさいと、上からの目線で相手を従わせる考え方」といったところである。
しかし、患者の自己決定権、それに基づくインフォームドコンセントの重要性が認識されるようになると、2007年の医療法の改正で、その趣旨が明文化された。
【医療法1条の4】
2 医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。
同弁護士の報告は、産科医は同法1条の4第2項を遵守しない状況に陥りやすいとしているのである。それゆえ、標準化によって「複数の『標準的な現物給付』を設定し、『多様化のニーズ』に応じる」ようにすべき、それで妊産婦の選択肢を広げるとしている。
◾️議論をミスリーディング
そもそも、自由診療(現金給付)のみの現行のシステムでは産科医がパターナリズムに陥りやすい弊害があるとする真偽も、真実だとしてもその理由が定かではない。仮に、現在、同種の弊害が顕著であるならば、医療法1条の4第2項の遵守、その上でさまざまな選択肢を取り得ることを妊産婦等に提示するように全ての産科医に徹底させる、そしてお産費用の見える化を推し進めることで解決できる。
さらに、多様なニーズ、たとえば、施設や産室、寝具、システム、専従の可否、妊産婦検査の有無、費用(有償、無償、キャッシュバック)などを示して、それらを保険適用化で多様なニーズに応えられるとしているが、同様のことが自由診療で実現できないとは考えにくい。
上述の弊害がシステム上、必ず発生し得るというわけではないのに、多様なニーズに応える部分が保険適用化でなければ実現できないわけではないのに、あたかもそうであるかのように説明すれば、検討会の議論をミスリーディングする可能性がある。
実際、同弁護士の報告の後で、健保組合連合会の佐野会長代理は「井上先生からお産費用の保険適用化にあたって、給付の標準化、これについて考えていくべきだということで、特に画一的なものではなくてですね、多様なニーズに対応するために必要であって、これは選択の自由に繋がるんだという、標準化ということについて大変いい指摘をいただいたのではないのかなと思っております」と話した。
これはまさにミスリーディングされた意見と言える。なぜなら、多様なニーズに対応することは重要であるという、その目的の正当性に賛同した上で、その勢いのまま、その目的を達成するための方法を事実上、標準化(保険適用化)に限定しているからである。問題になっているのは多様なニーズに対応するという目的ではなく、それを実現する手段(現物給付 or 現金給付=保険適用化 or 自由診療)である。目的達成のための手段を標準化(保険適用化)に限定した意見に乗り、手段が1つしかないと誤信しているかのような発言は議論を特定の方向に誘導しかねない。
◾️讀賣報道との一致点
ここまでの議論を見る限り、少子化対策としての保険適用化はその効果が判明せず、第1回の検討会で浅沼医政局長が明らかにした「妊娠、出産、産後、産前、こうしたものに関わる様々な支援等のさらなる強化の方向性」としての保険適用化についても、十分な理由が説明されたとは言い難い。ここまでの議論で、保険適用化の必要性は見えてこないのが実情である。
井上弁護士は保険適用化後もキャッシュバックを行なうべきであるとする具体策まで提示している。このキャッシュバックは讀賣新聞が8月に報じ、検討会で伊原保険局長らが否定した報道でも紹介されていた(讀賣新聞オンライン・出産診療報酬「50万円以内」、妊婦は自己負担ゼロ・現行一時金との差額支給も…政府検討、当サイト・妊産婦の支援策検討会 新政権下で13日再開)。
この報道のソースはどこかは分からないが、保険適用化を安全な出産等のための手段ではなく、それ自体を目的とする方向で話を進めようとする勢力の存在を思わされる。妊産婦が安心して産める環境をつくり、持続可能な周産期医療体制の構築がこの検討会の目的。議論をミスリーディングすることなく、合理的・論理的な議論を重ねて結論を得ることが望まれるのは言うまでもない。