免職教師の叫び(27)命のコメントに感謝

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 今年1月28日に免職された元教師・鈴木浩氏(仮名)が、当サイト及び当サイトのTwitterにコメントしてくれた方へ、感謝のメッセージを届けた。連載が26回続く中、苦しい状況を精神的に支えてくれたのは、多くの方のコメントであるという。心の支えになってくれたコメントを寄せた方々へ、その思いを語っていただいた。

■1つ1つのコメントが私の力

<鈴木浩氏の独白>

鈴木浩氏(仮名)の自画像

  今年1月28日に免職された札幌市の美術教師だった鈴木浩です。写真家と称する石田郁子氏から1993年からわいせつな行為をしていたとして損害賠償請求訴訟を提起され、また、札幌市教委に対して何らかの処分をするように請求され、結果的に訴訟は一審・二審とも請求が棄却されたにもかかわらず、懲戒免職されました。

 私と石田氏の間に何があったかはこの連載でずっと伝えられていることが全てです。石田氏が大学2年生、19歳だった1997年夏からおよそ1年間交際し、相手が21歳の時に私の方から交際を終わらせました。15歳の時からわいせつな行為をしていたというのは、交際の末期に石田氏が口にし始めた妄想であって事実ではありません。実際は年に2、3回、ファミレスで相談に乗っていただけです。石田氏が高三の時は「受験に専念したい」と言ってきたので、会っていません。

 この連載と、令和電子瓦版のTwitterにコメントしてくださっている方には感謝をしています。1つ1つのコメントが私の力になっています。本当にありがとうございます。その点については後で詳しく触れます。

 この連載が始まる前の状況から説明しましょう。石田氏が裁判を起こし(2019年2月提訴)、二審(同年9月控訴)から多くの支援者が出てきたことにより、ネットには私への誹謗中傷が多く見られるようになりました。実感としてその8割は「女性の被害者がかわいそう」という感じです。メディアも「女性が顔を出し、実名で訴えているのだから、間違いない」という雰囲気で報道していたので、ネットもその雰囲気のままという感じで、私への誹謗中傷に溢れていました。

 ただ、中には「28年前の訴えは無理だろう」「金目当てじゃないの?」「慰安婦商法と同じじゃないの?」という様々なコメントはあったので、その部分は救われた思いはしていました。

■アリバイ作りの取材か メディアの実態

 メディアに関しては週刊新潮が私の話を比較的聞いてくれて、私の言い分を書いてくれました(デイリー新潮・「教育委員会にバレたら、俺クビだから」 27年越しに「わいせつ教員」認定、被害女性が勇気の告発)。

 それ以外のメディアはひどいものです。HBC(北海道放送)ラジオからは弁護士を含め1時間ほど、zoomで取材を受けました。オンエアはどのようなものになるか聞いていたら「可哀想な女性の叫び」「#Metoo運動は素晴らしい」ばかりで、裁判の内容については触れられませんでした。

 石田氏の「私の人生返して」みたいな声が流れてきて、(何だこれ?)という感じです。HBCは最初から真実はどうでもよかったのだと思います。「教員は否定している」という一言を入れて公平さを保っているというアリバイ作りのために取材したのでしょう。

 北海道新聞には私の方から「取材をしてくれ」と何度も言いましたが、一度も来てくれません。石田氏の話は何度も出ているのにです。まだ良かったのは読売新聞で、これは弁護士経由で聞いたのですが「実名を伏せて報道します。免職になったとはいえ、この後、復職する可能性があり、普通に働く権利を持っているわけですから」と言ってきたそうです。

■読んでいて涙が出る思い

 こうしてメディアの本当の姿を見せられた後、縁あって令和電子瓦版で連載が組まれることになりました。これまで26回の連載、関係するコメントは全て読んでいます。ほとんどが私の言葉を信じ、この事件はおかしいというコメントばかりです。感謝というか、読んでいて涙が出る思いというのは、こういうことなんだというのを日々実感しています。

 これまでメディアは私の言い分は全く聞かず、わいせつ教師とレッテルを貼って、ネットも攻撃してくる。それが、こんなに私の話を聞いてくれる媒体があって、応援するコメントをいただき、生きる希望が出てきます。Twitterでは(これをどんどん拡散しよう)とリツイートして、真実を広めようとしてくださる、「いいね」がどんどん増える、そういったことで私は大変救われています。本当にありがとうございます。

鈴木浩氏が描いた石田郁子氏

 「石田はもうメディアに出てくるな」など、世間からは「言い過ぎだ」と評価されるかもしれないコメントもありますが、私からすれば、何も問題ないと思います。明らかな虚偽をいつまでメディアは流すんだという気持ちですし、それで実際に私は被害を受けているわけですから。

 どのコメントも的を射ています。前回の連載では私がこのサイトから依頼を受けて石田氏の絵を描いてアップされましたが、その絵について解説、解釈を説明してくれた方もいました。

 実は自分でなぜ、そのような絵を描いたか分からないのですが、それをその方が私の心の中を読み解いてくれて(なるほど、自分はそういう気持ちで描いたのかもしれない)と思いました(連載(26)聖女の仮面)。もう、どのコメントも見ても感激です。今でも古い連載を見返して、コメントを見て感激しています。

 友人からは「令和電子瓦版で多くの人に真実が伝わってよかったね」ということは言われます。そういう言葉をかけていただくと、自分自身、「負けていられないな」という気持ちになります。

 松田さんが頑張ってる、周りの人も応援してくれている、その中で私がフニャフニャとなってはいけませんから。前以上に名誉回復、免職の取り消し、そして授業をやりたいという気持ちを強く持つようになりました。読者やコメントをくださる方から、「復職して、楽しい授業をやれよ」と、背中を押してもらっているような、そんな気持ちです。

■オコタンペ湖の写真

写真①と3D画像①の比較

 連載の中で感じたことについても触れます。不思議だったことの1つに(松田氏は何でこんなにもオコタンペ湖の写真に拘っているのだろう」というのがあります。

 本人が一生懸命やっているのを「もう、このへんで」とも言えずに見ていましたが、結局、3D画像で写真が合成されたものであることが証明され、自分自身の中で感じていた、この写真に対する気持ち悪さの正体が分かりました(連載(19)影なき闇の不在証明)。

 そういう検証にリアルタイムで接し、(こういう真実の追求の仕方があるのか)と驚きました。

 確証はありませんが、オコタンペ湖展望台の私と石田氏の写真は、大通り公園で撮影して失敗した時のものを組み合わせたと思っています。北大でも撮影した記憶はありますが、あそこはポプラの木に邪魔をされて西日が射さないので、おそらく大通公園の方でしょう。

 2015年12月に居酒屋で会って、相手の言うことを全て認めたことに対しては、厳しい言葉もいただきました。

 なぜ、相手の妄想を全て肯定するような行為をしたかは、会わないとストーキングされる、会ったときに劇薬をかけられたり、刃物で傷つけられたりする可能性があったということから「気持ちよく帰ってもらうしかないな」と思ったからです(連載(9)妄想と迎合)。

 その時は、その場で認めてやりすごすのが、目の前にいる石田氏に対して最も良い方法だと思いました。しかし、それは間違いでした。石田氏に格好の攻撃材料を与えてしまったわけですから。本当は会わずにいた方がよかったでしょう。そうするとしつこく電話をしたり、ストーキングしたりという行為に出ると思いますが、石田氏が「15歳の時にキスをして…」などと言い出したら、「お前は20年前の嘘をまだ言っているのか」と言えばよかったと思います。

 私が毅然とした態度で追い返していれば、こんなことにはならなかったでしょう。ですから、読者の皆さんに批判されても、それは仕方がないと思っています。

■石田氏が選んだ壮絶な人生

 石田氏についても一言、言わないといけないでしょう。まず、裁判になって、その資料から石田氏の壮絶な人生を知ってびっくりしました。

 それは本人が選んだ人生ですから、あれこれ言うつもりはありません。しかし、世間に知られたくない部分は裁判資料に閲覧制限をかけ、取材に対しては都合が悪いことは全て隠しています。それは疑うことなく応援している人たちに対する裏切りではないかと感じます。支援する側も政治的思惑はあるのかもしれませんが、結果的に真実を隠し、虚偽の事実を述べて多額の支援金を得ているわけですから、支援者も欺いていると言っていいと思います。

 さらに、これまで作り上げてきた妄想を主張し続けることで、私が教えた生徒も傷つけています。私を慕ってくれた生徒もいます。その生徒が(教わった先生はそんな先生だったんだ)と思わされることで、どれだけ傷付くか。

 もちろん、最も傷付けられたのは私でしょう。一体どれだけの人を傷付ければ気が済むのか、そんな人生に何か意味があるのか、そう思います。

■復職して生徒に美術の楽しさを

鴨々川のほとりで佇む鈴木浩氏(本人提供)

  最後に、応援してくれる方に申し上げたいと思います。まず、真実を分かっていただいたということで感謝しています。そして、コメントはすべて読み、プリントアウトしてファイルしています。もうすぐ3冊目になります。

 私は言われるようなわいせつ行為などしたことはありません。学校に戻って授業をやりたいと願う普通の(元)教師です。復職したいと心から願っています。復職して、生徒に美術の楽しさを教えたいです。

 それがいつになるか、また、本当にその日が来るのか分かりませんが、今、私は皆さんの応援で希望を持つことができています。

 復職が決まったら、皆様にご報告して、あらためて感謝を申し上げたいと思います。その日が来ることを信じ、戦い続けるだけです。

第28回へ続く)

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"免職教師の叫び(27)命のコメントに感謝"に4件のコメントがあります

  1. とある高校教師 より:

    鈴木先生。
    私も他県ですが高校で教鞭を取っている者です。
    同業の身、この件を人ごととは思えず、コメントしてしまいました。

    この仕事をしていると現場のわいせつ絡みを含む不祥事を度々耳にしますが、私はこの免職のニュースが大々的に報道された時から、違和感しか感じませんでした。
    その後、この令和電子瓦版で特集が組まれ、何となく抱いていた違和感が確信に変わり、今は、石田氏や彼女のことを伝えるマスコミへの不信感と呆れ(という単語では弱いですが語彙がなく申し訳ない)と、鈴木先生をどうにかして現場に復帰させてあげられないのかという思いが頭を駆け巡っています。
    今回、このように先生自らのコメントを読ませていただくことができ、この連載を読んでいる読者皆が喜んでいるはずです。
    先生もこれまでのご自身の行動で後悔をされている部分がおありでしょうが、その場その場で最善の行動を取ってこられたのだと思います。
    自分が今取っている行動が、後に(それも数十年後に)どのような結果を生むかなんて、誰にも分かりません。どうか、ご自身に自信を持っていただきたいです。過去のご自身も責めないでほしいです。
    先生が復職されるその日まで、応援を続けます。どうぞお身体に気をつけて、名も知らぬ我々でも何かお手伝いできることがあれば(署名とか、クラウドファンディングとか)発信していただきたいと思います。
    これから寒さ厳しくなる故、ご自愛ください。

  2. 月の桂 より:

    このシリーズも27回目の連載となりました。
    令和電子瓦版の数ある記事の中でも、長期連載はこの記事だけでしょう。それだけ、追い続けるべき事件なのだと思います。

    この事件が報道された時、数十年も前の性被害をどうやって証明したのだろう、免職処分など有り得るのか、この処分は行き過ぎではないのかと思いました。
    その後、松田さんが、この事件を取り上げて下さり、私の疑問(何故、免職となったのか)が解けるのではないかと記事のアップを心待ちにしていました。

    やはりとんでもない冤罪事件でしたね。
    病的とも思えるような妄想は、1人の人間の人生を破壊することも出来るのだと背筋が凍る思いです。本人は妄想を真実だと思い込んでいるのでしょう。だからこそ、強気なのであり、教育現場で起きている性被害を無くそう、苦しんでいる被害者を助けようと使命感にも似たような気持ちでいるのかもしれません。そして、強力な支援組織が出来たことにより、写真家から活動家へ転身し、以後の人生は後者で生きていくのでしょう。
    活動家としての不都合な事実は表に出さず、証明になる物が無ければ平気で加工もやってのける。もはや、前進あるのみというところでしょうか。

    松田さんの化学捜査とも思えるような緻密な検証から、交際時の写真としてメディアに提供した物は合成であると断定されました。
    誰が合成作業をしたのかは想像の域を出ませんが、多くの人が考えている通りだと思います。

    石田氏が強気でいられるのは、決定的証拠とも言える鈴木氏(仮名)との会話の録音の存在でしょう。会話の内容は、経験した者でなければ発しない単語や状況が含まれており、内容を聞いた人は、石田氏の被害を確信します。鈴木氏が、石田氏が妄想で語っていたことをそのまま話しただけであったことは、このサイトに集っている方なら皆、理解出来ます。でも、世間はそれほど好意的ではありませんね。私は世間の人に理解して貰う手立ての1つは、この記事を読んで頂くことだと思っています。シリーズの全記事を読んで頂ければ、鈴木氏が冤罪被害者であることは理解出来るはずです。

    過去を変えられたらどんなにいいでしょうね。でも、過ぎ去ったことをやり直すことは出来ません。何故こんなことになってしまったかを検証する為の反省は必要ですが、それを悔やむだけでは前に進めませんね。
    松田さんのような真実を究明しようとするジャーナリストがいらっしゃいます。私には、このサイトを宣伝するくらいしか力はありませんが、冤罪は絶対に許してはなりません。
    多くの人が同じ気持ちでいると思います。

    実は私、プライベートで美術館に関わっています。学芸員や美術館に異動した中高の美術教師と一緒にワークショップ等の作業をしています。そこに集う人達は、美術を純粋に愛し、楽しみ、生き甲斐にしています。
    過去には、鈴木先生という中学教師(男性)もいらっしゃいました。先生のかつての生徒さん達が連れだって美術館に訪ねて来ることもあり、先生は大喜び!学校にいた頃の話やら賑やかに談笑していました。そして、生徒さん達が帰ると、「早く学校に戻りたい、教室で子供達に教えたい」と繰り返し仰っていました。そういうわけで、この連載が始まった時から、私は鈴木氏に勝手に親近感を持っているのです。教師として再び教壇に立ちたいお気持ちも痛い程わかります。

    その日が1日も早く訪れることを切に切に願っています。

  3. 名無しの子 より:

    鈴木先生のコメントを読み、希望が見えてきました。週刊新潮が比較的良心的だったというところに。
    新潮は、伊藤詩織事件において、最も酷いデマを流し続けたメディアです。今山口氏から訴えられています。
    その極悪な新潮が、この事件において良心的ということは、伊藤事件に少しは学び、反省したのかと。
    ということは、伊藤詩織事件で伊藤氏が正しく裁かれて、山口氏の名誉が回復すれば、各メディアも、被害女性を鵜呑みにしたことを後悔し、反省し、流れが変わるかもしれません。
    そうなったらきっと、この事件に対しても、見方が変わる可能性もありますよね。
    もうすぐ、伊藤事件の判決が言い渡されます。山口氏勝訴を一緒に祈りましょう。
    そして、伊藤氏は今虚偽告訴罪と名誉毀損罪で検察審査会中ですが、こちらも、起訴相当となることを祈りましょう。
    そういう前例を作れば「女性も嘘をつく」という考え方が、世間に浸透すると思います。
    鈴木先生!渡る世間は鬼ばかりではありませんよ。私達のように味方もついています。フレーフレー、鈴木先生❣️

  4. マーガレット より:

    鈴木先生 松田様

    コメント欄を読んでいらっしゃるということでコメントさせていただきます。

    オコタンペ湖の写真を先入観もなく初めて見た時、直感的に違和感を感じた者の一人です。お二人の位置や距離間隔、そして先生の向きやポーズ等どれも不自然で、これは何だ?どういうシチュエーションなのだろう?と疑問に感じたことを憶えています。その後こちらの記事にたどり着き、自分の疑問の背景が分かった気がいたします。

    実は、伊藤詩織さんの件でも、初めて著書の暴行の場面を読んだ時に、第三者的視点でドラマを描いているかのような記述に直感的に不自然に思え、その部分が強く印象に残っておりましたが、木村さんの件も拝読して、木村さんのご意見にも納得しました。

    私自身はどちらかと言えばリベラルの立場ですが、このような個々の事件に自分の信条を当てはめて見るべきではないと思っています。当初、伊藤さんの講演も応援のために伺ったこともありますが、その時に感じた疑問(事件とは関係ない部分でです)もあり、今は自分の判断を保留し、裁判の経過を注視しています。

    信条の立場が違っても、このように見る者がいることもお伝えしたく、コメントさせていただきました。鈴木先生、どうかお体を大切に希望を持ってお過ごしください。

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