太陽光発電の暴力老人 その人生(1)
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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山梨県北杜市で7月14日に行われた営農型太陽光発電設備の合同説明会で、事業者(X社)による暴力行為があった。80歳の男が、大声を出して机を叩き、拳を振り上げて女性を殴ろうとするなど、およそ説明会とは思えない行動を繰り返した。さらに止めに入った男性市議の左上腕部に全治2週間の怪我を負わせた。この映像がテレビで流れると、ネットを中心に驚きの声と共に批判の声が上がった。しかし、この男性の過去を調べると、複数回、犯罪に関わり、自身も有罪判決を受けていることが判明。遵法精神に欠けると思われる人生が浮かび上がってくる。
■カズノコ破産 負債500億円
市議への暴行で書類送検された男はN・H、80歳。山梨日日新聞によると、北杜署は8月25日までに男性市議を負傷させたN・H(80)を書類送検したとのこと。事業の説明をすべき場で住民を恫喝し、市議を負傷させるとは信じ難い行為であるが、N・Hの過去を調べてみると、この程度は序の口と言えるのが恐ろしい部分である。
N・Hの名前が世に出たのは、1980年(昭和55)1月。町では「異邦人」(久保田早紀)、「SACHIKO」(ばんばひろふみ)、「大都会」(クリスタルキング)などが流れていた。その頃、大手水産商社「北商」が破産する。
破産の理由は「カズノコ」であった。1979年末、日本の業者が先を争うようにカズノコの買付を行い、その影響でお節料理に欠かせないカズノコの価格が暴騰した。当時の報道では小売価格が1kgあたり2万円から2万5000円にまでなったという。2022年現在、ネットで調べると1kgあたり4500円から6000円程度で取引されており、その異常さが分かる。
常識を超えた高値に消費者の買い控えが始まり、売り上げは1978年末の半分程度に落ち込んだ。多くの業者が在庫を抱えて越年するのを恐れて安値で手放す中、北商はバックに控えると言われていた三菱商事と足並みをそろえ強気に値引きをせずに年末を迎えた。結果、北商は1500トンほど、三菱商事は600トンほど在庫を抱えて1980年の新年を迎えることになる。水産庁はこの間、大手商社や水産会社の責任者に買い占めと価格操作をやめるように警告していた。
結局、北商は大量の在庫を抱え、負債総額500億円で破産宣告を受ける。この時に東京地裁に代表取締役名義で破産申し立てを行ったのがN・Hであった。破産申し立てには「高価なカズノコを仕入れたが、末端価格が前年(1979年)暮れの2倍となったため、消費者の買い控えが起こった。このため大量在庫を抱えて越年、運転資金が枯渇し、31日満期の手形33億8907万円余以降の決済が不能である」とされていたと報じられた(朝日新聞1980年1月31日朝刊・北商に破産宣告 更生見通し立たず)。
北商は1967年(昭和42)、N・Hの兄(以下、N兄)が27歳で設立した水産商社。破産時に農水省の関係者は「ブローカーのようなことをしている会社」と取材に答えている。
N兄は北海道大学水産学部出身と報じられている。破産宣告時で従業員およそ100人、売上高は1978年に706億円を記録。そして、破産宣告時にN・Hは専務取締役、さらに今回のX社の社長であるFは常務取締役であった。なお、FはN・Hの義弟であるという。
破産の記者会見に出席したN・Hは、「今回は消費者に負けました。」と発言して報道陣を驚かせる。また、消費者からそっぽを向かれたことに反省はないのかと迫られると「カズノコを1kgも食べる人はいない。せいぜい100gか200g。2000円から4000円で済む。もっと高い水産物もあるし…」と頓珍漢な答えをしている。当時38歳のN・Hはその頃からコミュニケーション能力に難があったようで、会見を報じる朝日新聞は「『北商』奇妙な破産の弁」という見出しで紹介している。
■15億円余を持って欧州へ逃亡
北商の破産劇はこれで終わらなかった。破産宣告を受けた1月30日の時点で、代表取締役のN兄が会社の資金およそ15億円余を持って欧州へ逃亡していたのである。そのためN兄は後に破産管財人から業務上横領で刑事告訴され、警視庁捜査二課はN・Hが立ち回り先を知っているのではないかとして事情聴取を行っている。
結局、N兄は6月23日にマドリードからフランクフルトを経由して帰国。業務上横領罪で逮捕・起訴された。一審・東京地裁は求刑懲役6年のところ、懲役3年を言い渡した。最高裁まで争われたが、最終的にN兄の実刑判決が確定した。
高裁判決によると、N兄は自社の手形決済が終わる1980年4月か5月頃まで自社の現金を持って姿を隠し、頃合いを見て三菱商事と有利な条件の和解ができた段階で帰ってくる旨の相談をして、N・HとFの了解を得て欧州に渡ったという。また、北商の経営環境も明らかにされており、ほとんど取締役会は開催されず、総務・経理を掌握するN兄と営業部門を統括するN・Hでもっぱら運営されていたと認定されている。さらにN・Hは先物取引等を主導して行い、1976年以降、毎年多額の欠損を生じ、1978年11月期にはその累積額が22億5000万円に達していたとされる。三菱商事に救済を求めるも、色良い返事はもらえず、1979年末には売上の目処が立たないカズノコ1470トンの在庫を抱え、危機的な状況に陥ったというのである。
また、注目したいのは、北商の中でのN・HとFの関係はN・Hが上位に立っていること。FがN・Hの義弟とされていることも関係しているのかもしれない。太陽光発電のX社の社長はFだが、技術顧問とされるN・Hとの関係は、N・Hの方が上に感じられる。N・Hが住民を恫喝するのをFは黙って見ているだけなのも、その力関係を如実に示しているように思える。
■北商の9年後に設立された有限会社浜伸
N兄が創設した北商は1970年代を通じて順調に業績を伸ばしている。その間、1976年4月28日に有限会社浜伸が設立された。目的は飲食店の経営と付帯する一切の業務と登記されている。当初の代表取締役はH氏で、取締役には同じH姓の者がおり、おそらく2人のH氏は親子もしくは兄弟(ともに男性名)ではないか。
その後、2004年に2人のH氏は退任し、N兄が代表取締役となり、太陽光発電のX社の取締役であるIも取締役に就任。さらに2005年にFが取締役になる。X社の原型はこのあたりから形成されていったことが分かる。
この「浜伸」が後にうなぎの産地偽装で社会から強く非難されることになる。その時の代表取締役がN・Hである。そこでN・Hは有罪判決を受けることになるが、その点は次回に。
(第2回に続く)