忘れ得ぬ小島太騎手の一言「柴田政人は乗る馬を間違えている」1990年ダービー

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。
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 今週は中央競馬の総決算、G1有馬記念が行われる。たまには日本の競馬についても書いてみようと思う。競馬担当をしていて、特に忘れ難いのが小島太騎手である。現役時代は華のあるジョッキーとして人気があったが、近くで見ていると一般にはあまり伝わっていない小島太騎手の凄さを感じることが少なくなかった。

■ダービー前に語った柴田政人騎手の”ミスチョイス”

東京競馬場(撮影:松田隆)

 1990年のG1日本ダービー(東京優駿)の前のことである。この年のダービーは皐月賞3着のメジロライアン(横山典弘)が1番人気で、皐月賞馬ハクタイセイ(武豊)が2番人気で続き、皐月賞2着のアイネスフウジン(中野栄治)が3番人気だった。4番人気がNHK杯を勝ったユートジョージ(岡潤一郎)。まだオープン特別だった青葉賞を制したビッグマウス(柴田政人)は9番人気であった。

 僕の先輩の記者が小島太騎手と親しく、ダービーに話が及んだ。その時に、小島太騎手は「勝つのは(中野)栄治だろう。ライアンは2着だな」と軽く語った後、こう続けたのである。「(柴田)政人は乗る馬を間違えている」。

■本番直前での騎乗者のスイッチ

 乗る馬を間違えているとはどういうことか。この年、柴田政人騎手はホワイトストーンとのコンビでクラシックロードを歩んでおり、朝日杯3歳S5着、京成杯2着、弥生賞3着とそこそこ好走していた。ところが皐月賞は8着と大敗。NHK杯でも3着と敗れ、限界めいたものが見えており、ダービーでは12番人気と完全に泡沫候補扱いだった。

 一方、同じ高松厩舎のビッグマウスが田面木騎手騎乗で指定オープンの青葉賞を勝って伏兵として名乗りを上げた。本番では9番人気だったが、未知の魅力からホワイトストーンより高い支持を受けたのは当然であろう。

 そういう状況下で高松厩舎ではダービーではホワイトストーンに田面木騎手、ビッグマウスに柴田政人騎手と鞍上をスイッチしたのである。

■乗り替わりの真相は調教師の指示?

 小島太騎手は、この本番前の騎手交代劇に触れて「政人は乗る馬を間違えている」としたのである。僕がその話を聞いた時、(ホワイトストーンも、ビッグマウスもどちらも良くて真ん中あたりだろうから、どうでもいいじゃないか。そこはこだわるところなのか?)と思っていたが、小島太騎手の目には僕とは違うものが映っていたのであろう。

 1990年の日本ダービーは19万人以上のファンが訪れ、勝ったアイネスフウジンに「中野」コールが巻き起こった伝説のレースとなった。2着がメジロライアン。そしてメジロライアンの内から猛然と追い上げてきたのが田面木博公騎手のホワイトストーン(3着)であった。

 その結果を見た時、小島太騎手の言葉が頭の中を駆け巡った。小島太騎手には、12番人気のホワイトストーンは勝ち負けになるだけの可能性があると感じていたのであろう。それなのに(なぜ、ビッグマウスに乗るのか。柴田政人ほどのジョッキーが馬の力関係が分からないはずがないのに)という思いから、「乗る馬を間違っている」発言になったに違いない。

 僕が知る限り、ライバルを見る目の正確さ、評価の的確さという点では小島太騎手が断然のナンバー1だったように思う。

 なお、後日、ホワイトストーンの乗り替わりについて高松邦男調教師が語っているのを聞いたことがある。同調教師は「あの時は政人に選ばせなかった。『ビッグマウスに乗れ』と言ったんだ」と語っていた。おそらくビッグマウスの古岡秀人オーナーが柴田政人騎手の海外遠征をバックアップしていたなどの縁から、そちらを優先させたのであろう。

 20世紀の競馬はアツかった。

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