古谷経衡氏 間違いだらけの新左翼解説

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 文筆家の古谷経衡氏(41)が28日、ABEMA的ニュースショーに出演、新左翼運動に関して説明をしたが間違いが多く、その知識不足を露呈する結果となった。1982年生まれの古谷氏が新左翼運動を語るのは無理があり、媒体で語るならもう少し勉強してから出てはどうかと思う。

◾️連合赤軍と日本赤軍の違い

国際手配中の日本赤軍のメンバー(撮影・松田隆)

 連続企業爆破事件の桐島聡容疑者と名乗る男性が警視庁公安部に身柄を確保されたことで、急遽、ABEMA的ニュースショーでは「”桐島聡”名乗る男性…49年闘争の謎」というタイトルで生放送を行った。出演した古谷氏は、冒頭で桐島容疑者が所属していた東アジア反日武装戦線とはどういう組織なのか司会の千原ジュニア氏から説明を求められ、それに応えて新左翼運動について語った。

 話したままに書いていくが、団塊の世代の方の失笑を買うような内容となっている。事実関係に間違いが多く、それ以上に、全体の流れを理解していないであろうことは容易に想像がつく。まずは発言の主要部分を以下に示そう。

 「(いわゆる新左翼の)一派が、この(東アジア)反日武装戦線なんですが、その新左翼の中にはさっき、大坂(正明)被告とか出てきましたけれども、中核派とか革マルですとか、ブント(筆者註・共産主義者同盟)とか、そういった色んな派閥があるんですけども、たとえば一番有名なのは多分連合赤軍とかだと思うんですけども、日本赤軍ですね。

 非常に基本的な話だが、連合赤軍と日本赤軍は全く異なる。連合赤軍は国内に残っていた赤軍派と京浜安保共闘が合流して結成されたから”連合”赤軍である。一方、赤軍派の重信房子らは当時、出てきた国際根拠地論に乗ってパレスチナに向かいパレスチナ解放人民戦線への義勇兵として活動に参加し、1974年に日本赤軍を称するようになった。つまり、両者は違う組織である。もちろん、重信房子の友人が連合赤軍に参加するなど人的な繋がりはあった(後にリンチ殺人の被害に遭っている)。

 古谷氏の話ぶりから、連合赤軍と日本赤軍の区別がついておらず、両者が同じ組織と思っているように感じる。

◾️浅間山荘がペンション?

 さらに古谷氏の話を示す。

 「1972年に超有名な浅間山荘事件っていうのをやるじゃないですか。あれは群馬のペンションですよね。立て籠ってやるんですけども、結局は立て籠もり、逮捕されたってことなんですけども、それを見て、この東アジア反日武装戦線ってのは要するに都市型のテロじゃないとダメなんだって思うようになるんですね。つまり浅間山荘ってのはわりと何もない山の中でやって、結局、失敗したんじゃないかと。じゃあ、われわれは東京のど真ん中とか、大企業とか、そういうところを狙って革命をやるんだということで、この東アジア反日武装戦線っていうのは出てきた。

 浅間山荘を「ペンション」と呼ぶ人を初めて見たが、当時、浅間山荘は河合楽器の保養所であって民宿(ペンション)ではない。そこの管理をしていたのがM氏夫妻で、人質にされたのがM氏夫人である。そのあたりはいいとして問題は、「あれは群馬のペンションですよね。籠ってやるんですけども、結局は立て籠もり、逮捕されたってことなんですけども…つまり浅間山荘ってのはわりと何もない山の中でやって、結局、失敗したんじゃないかと。」という部分。

 古谷氏は連合赤軍が、わざわざ群馬の山奥に出かけて”ペンション”を占拠し、管理人の妻を人質に革命を訴えて失敗したという認識のように思える。連合赤軍は山岳ベースを建設し、山中で軍事訓練などをしながらも仲間を総括の名のリンチで殺害を繰り返した。やがて警察に追われて幹部の森恒夫や永田洋子をはじめ、仲間の多くが逮捕され、残った5人が軽井沢の別荘地「レイクニュータウン」にある浅間山荘に逃げ込んだというのが簡単な経緯。

 当時の連合赤軍は山岳ベースを軍事拠点にという考えだったのは間違いないと思うが、別に閑静な別荘地の建物を根拠に革命を起こそうとして立て籠ったわけではない。「山の中でやって」ではなく、「追い詰められて、仕方なく逃げ込んだ」というのが実態に近い。そのあたりの事情を古谷氏は理解できているようには見えない。

 また、東アジア反日武装戦線が大企業を狙ったのは「われわれは、新旧帝国主義者軍国主義や、植民地主義者、帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新旧帝国主義、植民地主義企業への攻撃、財産の没収などを主要な任務とした”狼”である」(腹腹時計から、20世紀の記憶・連合赤軍・”狼”たちの時代 1969-1975 毎日新聞社 p350)と説明されている。大企業が都会にあるからではなく、戦前から彼らのいう帝国主義に協力していたことを理由としているのである。

◾️大道寺将司の名前を間違えて…

 さらに古谷氏の話は続く。

 「そういうような流れでグループの中に狼、大地の牙、さそり、今回、桐島はさそりに属しているんですけれども、これは一種のコードネームのようなもので、役割分担はあるようなんですけども、基本的にはみんな一緒だというふうに考えていいと思いますね。この反日武装戦線のリーダーっていうのが一応、狼部隊ですね、大道寺マサアキという人なんですけれども、これはもうですね、2000年代、2010年代の後半に刑務所の中で病気で死んでおります。ですから、この桐島を含めて逃亡しているのが最後の生き残りというような理解でよろしいかと思います。

 東アジア反日武装戦線の中に狼や大地の牙、さそりという集団があるが、この点については1999年発行の書籍に以下のような説明がなされている。

 「組織名でなく、運動の性格を表す仮の呼称として『東アジア反日武装戦線』とし、片岡(筆者註・現姓益永、利明死刑囚)らのグループは『戦線』に志願した一部隊と位置付け、グループ名を”狼”とした。」(20世紀の記憶・連合赤軍・”狼”たちの時代 1969-1975 毎日新聞社 p314)

 細かい話になるが、古谷氏は、東アジア反日武装戦線が、その組織内に小さな部隊をつくり、それぞれに名前をつけたというイメージで語っているのであろう。実際はそうではなく、後から多くの人が仲間に加われるように仲間で狼という部隊をつくり、帝国主義と戦う戦線を結成する目的で東アジア反日武装戦線という名称を看板のように掲げたというのが実態に近い。

 もう少し解説すると、東アジア反日武装戦線のリーダーは、古谷氏の言う「大道寺マサアキ」ではなく、「大道寺将司(マサシ)」である。そして大道寺は確定死刑囚であるから刑務所には入らない。2017年に死亡した際は東京拘置所に収監されていた。

◾️最低限の知識を持って語れ

古谷経衡氏(ABEMA画面から)

 筆者は新左翼運動の専門家ではないが、高校時代から連合赤軍事件に興味があり、事件から5年後の1977年に浅間山荘を訪れて管理人のM氏に内部を見せてもらった(参照・1972年浅間山荘事件が原点、高2の夏の思い出)。それなりに関連書籍も読んでおり、日刊スポーツ在籍時にある出版社のムックに記事を書くため浅間山荘事件の犯人の1人(加藤倫教氏)を取材している。

 そうした人間から見れば、古谷氏の話は(一夜漬けで調べて覚えて話しているんだろう)ぐらいの印象しか持てない。

 個人的には当時の極左暴力集団の卑劣さには怒り、憤りという負の感情しかない。とはいえ、そうしたことを語るなら最低限の知識を持って語るべきであるし、全くそのことについて知らないと思われる古谷氏に解説役をさせるABEMAのやり方には大いに疑問が残る。

    "古谷経衡氏 間違いだらけの新左翼解説"に2件のコメントがあります

    1. 匿名 より:

      元長野県民ですが、この古谷氏、新左翼についての知識はもちろんとして地理の理解も怪しいと思います。
      長野県の軽井沢にある筈の浅間山荘を「群馬の山奥」と公開の場で言えるのが皮肉の意味で凄いですね。

    2. BADチューニング より:

      古谷経衡さん、
      止せば良いのに、今度は特攻戦死に対する“散華”という言葉に難癖付けてます。

      https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b56097d2877c8ce6d7078286e9dc5e9473ba34cd

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